藤枝市のピアノ教室
藤枝市の大人のピアノ教室
吉川ピアノ・ソルフェージュ教室です。
今でこそ、中堅〜ベテランと言われてしまう年齢になりましたが、私もヤマハシステム講師として若い時もありました
ヤマハの指導スタッフの先輩先生方に可愛がって頂き、食事に誘って頂いた事や(決して従順でおとなしいタイプではなかったのですが)
幼児科ジュニア科(当時)のお母様たちに 私自身が指導者として育てて頂いたという想いが今もあります。
どの幼稚園やセンター会場の事も忘れられないのですが、
そのお母様たちで一番思い出に残っている幼稚園・・・
(昔はほとんどが幼稚園会場でした)
当時配属されたヤマハ特約店が新たに参入した由緒あるお寺さんの付属幼稚園、普門院幼稚園です。
「とても重要な幼稚園で、センター会場と同じ位置付けになるので、心して指導に当たるように」といった内容のお達しを 特約店の店長から受けた記憶が・・・・
とても大きくて立派な幼稚園で、幼稚園の園長先生(住職)や事務方の経営も先生方も皆お優しくてしっかりされていました。
ヤマハの教室用に教室を一室与えて下さり、冬は灯油を入れる事と お母様たちと一緒に掃除から始まりました。
年々みるみるうちにクラスが増え、あっという間に一日4、5クラスの 幼児科とジュニア科、そしてその後に個人レッスンが二日間埋まりました。最終的に私が都内の特約店に移動するまで、3日間まで増えたと思います。
そのグループレッスンの2、3のクラスのお母様達からも「先生、ランチ食べましょう」とお誘い頂き、
かなり早く家を出てランチ、その後グループレッスンを4、5時間、その後にピアノ個人レッスンというハードさ・・・
でも、お母様達の生の声を聞く事もでき、信頼関係も築く事ができました。
若い20代そこそこの私に対し、とても敬意を払って接して下さる事をいつも感じました。
また、「お中元お歳暮は、他の会場の方はどうされいるのでしょうか?私たちは初めてで分からないので失礼のないようにしたい」とまでお心使い下さいました。
住んでいた都内練馬区から西武池袋線、埼京線、東北線などを使って、その後大宮駅から徒歩20分ほどかかり、往復4時間かかりましたが、
子供達が可愛くて、そしてお母様方がとても素敵な方ばかりで、通勤は実際に大変でしたが苦労とは思いませんでした。
子供達の笑顔が嬉しくて 夢中で通っていました。
今その幼稚園はどうなっているのだろうかと、先ほどHPを調べましたら HPがありました
園長先生のお名前にも見覚えが・・・・
ご健在でいらっしゃる事を知り、ホッと致しました。
当時の生徒たちは、今は親になってちょうど子供をピアノに通わせるお年になっている筈です
当時、
レッスンの授業配分や内容のチェック、
生徒への言葉の投げかけ、
言葉遣い、
発音チェックの為に録音 して家で確認していたのですが、
お母様たちに向けての言葉遣い、敬語や謙譲語が正しく支えているかのチェックとしても良かったと思います。
セレブのお母様が多かったです・・・・
レッスンの内容録音してチェックし、
レッスン計画を毎日立て、
夜は気になった生徒の家に電話をしてお母様と話をしてフォローを忘れない
などの努力は続けていました。
その成果なのか、
グループレッスンの悩みである「周りについていけないと退会」生徒もほとんどなく、
子供が作曲するJOCでは、ヤマハの財団からいらした藝大の作曲家の先生にもお褒め頂く生徒さんも出てきました。
私も失礼のないように服装も気をつけていましたし、夏も麻のスーツやワンピース(両親が買ってくれたものですが、この2着は白の麻というのが、今思えば贅沢! )
などきちんと見えるものと、3~5cmヒールのある靴を履いて通勤していました。
「先生もしかして、皇族に関係していらっしゃいます?」と、とんでもない質問も頂きました
それらもご家族様に対して
「きちんとしなくては」、
「見られている仕事」、
「憧れられる職業」に、
という思いが働き、お母様方に育てて頂いた一面だと思います。
このように書くと、いい事ばかりに見えますが、
もちろん、人生いい事ばかりではありません。
自分の能力のなさに悩み、受験で悩み、挫折も味わい、離婚もし、家族の悩みも・・・・・
学生時代や子育ての中で、理不尽なイジメや仲間はずれなど、
人間関係の苦しんだ事もありましたが、
音楽の世界の中ではとても恵まれていたと思います。
全ての経験の上に 今の私があるのですよね。
感慨深いです。