クライバー(カルロス), ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団, ベートーヴェン
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」&第7番

言わずと知れたクライバーの超名盤。ベト7の決定盤。

のだめの影響ですっかりメジャーになったベト7だが、

クライバーの演奏は他の演奏とは一線を画している。


その快刀乱麻な演奏は、あまりの演奏スピードから

スポーツ的と揶揄される事もしばしばあるが、

しかし音楽表現の精緻さは比類ないものである。


クラシックを聴き始める人には何をおいてもまず最初に聴いて頂きたい、

最高の1枚です。

クレーメル(ギドン), バッハ
バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ(初回限定盤)

鬼才クレーメルの奏でるバッハは、冷厳な響きである。

一切の感情を排したかのような音楽は、

シェリングが演奏するような甘美なバッハを知る人には、

違和感を持って受け入れられるかもしれない。


しかし、にも拘らずクレーメルのバッハは説得力がある。

一度この演奏を聴くと、この音楽に対する他の解釈は

ありえないのではないかと思われる程、その音は

我々の心に深く沁みわたる。


やがてこの音楽を聴き終わる頃には、

我々はこの氷のような音楽の奥に秘められた

煮え滾るような熱い情熱に気付かされるであろう。


10年前の録音よりも更に進化した、クレーメルの魔術的名盤。

ヴィオラの巨匠、ユーリ・バシュメットが今年も来日する。

手兵モスクワ・ソロイスツ合奏団を従え、諏訪内晶子と夢の初共演だ。

http://www.japanarts.co.jp/html/2008/orchestra/moscow_soloists/index.htm


曲目:

バッハ:ブランデンブルク協奏曲 第3番 ト長調 BWV.1048

モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲
(ヴァイオリン:諏訪内晶子、ヴィオラ:ユーリー・バシュメット)

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲 第2番 ニ長調 K.211

(ヴァイオリン:諏訪内晶子)

ブルッフ:コル・二ドライ Op.47 (ヴィオラと弦楽合奏版)

(ヴィオラ:ユーリー・バシュメット)

モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク K.525


演奏日程:

2月2日(土)  横浜みなとみらいホール大ホール 神奈川芸術協会 045-453-5080
2月3日(日) 壬生町中央公民館 0282-82-0108
2月5日(火) 文京シビックホール大ホール 文京アカデミー 03-5803-1120
2月6日(水) 福岡シンフォニーホール アクロス福岡チケットセンター 092-725-9112
2月9日(土) 豊田市コンサートホール 0565-35-8200
2月12日(火) サントリーホール ジャパン・アーツぴあ 03-5237-7711

チケットぴあにもまだ若干の席が残っている模様。

バシュメットのヴィオラ演奏は、ヴィオラという楽器に興味を持つ人も持たない人も、一度は必ず生で見ておきたい。ヴァイオリンのクレーメルを思わせるような存在感を持った演奏である。


諏訪内晶子とは:


諏訪内 晶子(すわない あきこ、1972年2月7日 - )は東京都出身のヴァイオリン奏者。
コンクール
1990年、チャイコフスキー国際コンクールで第1位を受賞した(同コンクール史上最年少、日本人初、満場一致による)。同時にバッハ作品最優秀演奏者賞とチャイコフスキー作品最優秀演奏者賞も受賞した。
1990年以前のコンクール歴
1981年、全日本学生音楽コンクール(小学校の部、東日本大会)で第1位。
1985年、全日本学生音楽コンクール(中学校の部、全国大会)で第1位。
1987年、日本音楽コンクールで第1位。
1988年、パガニーニ国際コンクールで第2位。
1989年、エリザベート王妃国際音楽コンクール及び日本国際音楽コンクールで第2位。
留学
1995年にジュリアード音楽院修士課程を修了した。同音楽院ではドロシー・ディレイに師事。交換制度により学んだコロンビア大学では政治思想史を履修、その関係で後に政治思想史家の丸山眞男と交流を持った。1995年に出版された著書『ヴァイオリンと翔る』[1]では音楽・演奏・自らの生き方などについて考察している。

(wikipedia より引用)


バシュメットとは:

ユーリー・バシュメット(Yury BashmetまたはYuri Bashmet, 1953年1月24日 - )はロシアのロストフ・ナ・ドヌー生まれの、現代を代表するヴィオラ奏者・指揮者。世界の主要な都市でソロ活動を行っているスタープレイヤーである。

圧倒的なテクニックと、変幻自在のボウイング・ヴィブラート技術により、非常に表現の幅が広く、独奏楽器としては影の薄かったヴィオラの魅力を世界に広めた演奏家である。日本にも1983年以降、10回以上来日している。

ロシアのロストフに、鉄道技師の子として生まれる。父親はユダヤ系、母親は4分の3がユダヤ系で4分の1がロシア系である。幼少時代を、ウクライナのリヴォフで過ごす。

8歳からヴァイオリンを始める。14歳のとき、ヴィオラに転向する。転向した理由は、音楽学校の先輩に「ヴィオラはヴァイオリンに比べて練習時間がずっと少なくてすむから」と言われ、当時熱中していたギターを弾く時間が増やせると思ったからだという。

1971年、モスクワ音楽院に入学し、ボリゾフスキー、ドルジーニンにヴィオラを師事する。1976年、ミュンヘン国際音楽コンクールで1位を獲得。以後、クレーメル、リヒテル、ロストロポーヴィチら著名な演奏家と共演するとともに、ヴィオラのソロ活動を行う。1983年に初来日。1986年に室内合奏団「モスクワ・ソロイスツ」を結成し、指揮活動も行うようになる。現在では、「ユーリ・バシュメット国際ヴィオラ・コンクール」を主宰し、若いヴィオラ奏者の育成にも努めるほか、モスクワ音楽院で後進の指導にも当たっている。
(wikipedia より引用)