柳田国男『遠野物語』 | 文学どうでしょう

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柳田国男『遠野物語』(新潮文庫)を読みました。

語り継がれて来た民話の調査や、伝統的な生活文化などを研究対象にした学問に、民俗学があります。

日本の民俗学は独自の発展を遂げたのですが、そうした日本民俗学の道を切り拓いたのが、柳田国男(やなぎたくにお)です。

あえて研究対象に取り上げていない領域が指摘されたりと、柳田国男は現在では批判的に語られることも多いのですが、弟子にあたる折口信夫と並んで、民俗学で今なお有名な人物でしょう。

そんな柳田国男の数ある作品の中でも最も愛され、読み継がれているのが、今回紹介する『遠野物語』ではないかと思います。

『遠野物語』は、岩手県遠野市に伝わる話を佐々木喜善(筆名は鏡石)から聞き、簡潔な文章で119の短い章にまとめたもの。

民俗学は一般的ではなかったため、最初は自費出版の形で発表されましたが、怪異異譚のような興味深い内容と、文語(書き言葉)で書かれた文体の魅力が、多くの文学者に評価されたようです。

独特の味があるものの、文語というのが、現在ではなかなか難しい印象になってしまうかも知れませんね。どんな感じの文体なのか、実際に見てみましょう。これでこの章は全文です。

一〇六 海岸の山田にては蜃気楼年々見ゆ。常に外国の景色なりと云ふ。見慣れぬ都のさまにして、路上の車馬しげく人の往来眼ざましきばかりなり。年毎に家の形など聊も違ふこと無しと云へり。(73ページ)


山田という場所の海岸から蜃気楼が見えるのですが、それがいつも外国の、見慣れぬ都の風景だというんですね。それが毎年少しも変わるところがないという不思議な話です。

どうでしょうか。ちょっとかたい感じの文章ではありますが、全く読めないというほどでもないだろうと思います。文語にはやはり、引き締まった文章が持つ、独特の味がありますね。

ようし、いけそうだぞという方は、各出版社から文庫(特に角川ソフィア文庫がおすすめです)でも出ていますし、また、「青空文庫」などでも読むことも出来るので、ぜひ原文に挑戦してみてください。

いやあ、やっぱりちょっと難しい、きつそうだなあという方は、口語訳をあわせて読むという手もあります。特におすすめなのが、河出書房新社から出ている佐藤誠輔訳の『口語訳 遠野物語』。

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まろやかで丁寧な訳文ながら、原文に比べるとやはり臨場感やスピード感には欠けます。なので、口語訳だけで読むよりは、原文と対照させながら読んだ方が、より楽しめるだろうと思います。

この口語訳の魅力は、注が丁寧についていることで、一歩踏み込んだ、何故こうした伝説が語られるようになったのかの考察がされていて、そんな所がぼくは特に面白かったです。

さてさて、ザシキワラシやカッパなどが登場する怪異譚的な魅力のせいか、訳や研究書が出て話題になったりと、『遠野物語』は忘れられたようでいて、何年かに一度、必ずブームになるんですね。

今年は、妖怪に造詣が深い推理作家の京極夏彦が、内容に忠実でありながらも、現代語訳よりさらに一段階自由な形でリライトした『遠野物語remix』を出版したことで、再び注目されています。

折角なので、明日は『遠野物語remix』を紹介しますが、内容の紹介はあえて重ならない話を選んだので、ぜひ両方あわせて記事を読んでいただければと思います。

本編である今日の『遠野物語』では、ザシキワラシやカッパ、山の神様など、民話や伝承的なものを、明日の『遠野物語remix』では、より物語的な、ホラーっぽい話を中心に紹介する予定です。

作品の内容


それぞれは短い章ですし、実際にあったという話をまとめたものなだけに、あらすじが紹介出来るほど物語的でもないんですよ。

なので、ぼくが特に好きな話をラフに、少しずつ紹介するという形を取りたいと思います。

『遠野物語』の世界に馴染みがない方に、どんな感じなのか一番イメージしてもらいやすいものとしては、宮崎駿監督のアニメ映画『もののけ姫』があります。

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『もののけ姫』は、人々が鉄を作り、暮らしを豊かにしていこうとする一方で、どんどん森が開拓されていってしまうという物語。

森を追われ、タタリ神になってしまったイノシシに襲われ、呪われてしまった青年アシタカは、山犬に育てられた少女サンと出会い、人と森、生と死の狭間で、様々な出来事に立ち向かっていきます。

『もののけ姫』の中では、人が森に足を踏み入れた時に、不思議な体験をする様子が描かれていました。『遠野物語』でも同じように、人が森で不思議な目にあった話が多く語られています。

たとえば61章で語られるのは、森の中で白い鹿に遭遇した和野村の嘉兵衛という猟師の話。

白い鹿は神だと言われることもあるので、殺せば祟りがあるかも知れないと思いますが、猟師のプライドをかけて銃を撃ちます。ところが、弾があたったはずの白い鹿はびくともしないのです。

此時もいたく胸騒ぎして、平生魔除けとして危急の時の為に用意したる黄金の玉を取出し、これに蓬を巻き附けて打ち放したれど、鹿は猶動かず。あまり怪しければ近よりて見るに、よく鹿の形に似たる白き石なりき、数十年の間山中に暮せる者が、石と鹿とを見誤るべくも非ず、全く魔障の仕業なりけりと、此時ばかりは猟を止めばやと思ひたりきと云ふ。(45ページ)


お守りとして持っていた黄金の弾に蓬(よもぎ)を巻いて撃ったけれど、やはり白い鹿は動かず、よく見たら鹿ではなく、石だったというんですね。

何十年も猟師として暮らしてきた嘉兵衛が、石と鹿とを見間違えるわけがないので、これはやっぱり山の神の力による不思議な現象だったんだろうと思い、ぞっとしたというお話。

天狗や山男、山女にまつわる話、狐に化かされた話、狼の話、そして、山や森に迷い込んで見つけた不思議な物の話が『遠野物語』では数多く語られています。とても興味深いですよね。

みなさんが興味があるのは、やはりザシキワラシとカッパの話なのではないかと思います。

ザシキワラシの話は、17章から20章にかけて語られています。今淵勘十郎という人の家では、12、3歳の姿をした男の子の姿をしたザシキワラシが目撃されました。

ある人は橋の上で、女の子の姿をした2人のザシキワラシと出会います。話を聞くと、山口孫左衛門という富豪の家から来たと言うんですね。それを聞いて、そのある人はこう考えました。

さては孫左衛門が世も末だなと思ひしが、それより久しからずして、此家の主従二十幾人、茸の毒に中りて一日のうちに死に絶え、七歳の女の子一人を残せしが、其女も亦年老いて子無く、近き頃病みて失せたり。(25ページ)


ザシキワラシが出て行くようでは、山口孫左衛門ももう終わりだなと思ったというんですね。ザシキワラシが棲みつくと大金持ちになり、いなくなると貧しくなるものなのです。

そして思った通り、それから間もなく家中の者がキノコの毒にあたって死んでしまい、残された女の子も跡取りがないままに年をとって亡くなってしまったのでした。

何故キノコの毒にあたって家中の者が死に絶えるような、そんなひどいことになってしまったのか、その理由がその後で少し書かれます。

カッパの話が語られているのは、55章から59章にかけて。まずは、カッパの足跡について書かれている57章を紹介しましょう。

五七 川の岸の砂の上には川童の足跡と云ふものを見ること決して珍しからず。雨の日の翌日などは殊に此事あり。猿の足と同じく親指は離れて人間の手の跡に似たり。長さは三寸に足らず。指先のあとは人のゝやうに明らかには見えずと云ふ。(43ページ)


川岸の砂の上にカッパの足跡が残っていることが多いというんですね。9センチに少し足りないほどの大きさで、水かきのせいか、指先は人間のようにははっきりとは残っていません。

カッパと人間の間の子供について語られたり、カッパの顔の色(よく青いと言われるが、遠野では赤いなど)について語られるのも興味深いですが、一番面白いのは、58章。

カッパが馬を川の中に引きずり込もうとしたのですが、かえって馬小屋までひきずられてしまい、人間に捕まってしまったのです。

馬を引きずり込もうとして、かえって引きずられてしまうというのが、なんともおかしいですよね。馬の飼料を入れる桶に隠れるのですが、水かきのある手が見つかってしまったのでした。

村の人々で集まって、殺してしまうか、それとも許してやるか相談しますが、結局「今後は村中の馬に悪戯をせぬと云ふ約束」(43ページ)をさせて離してやったというお話。

不思議な生き物の話の他に、様々な不思議な物の話が出て来ます。

33章で語られているのは、山奥で見つけたものの、持っていた鎌ではどうしても取り外せず、木に目印をつけて人を集めていったけれど、どこにあるのか分からなかった金の樋と杓の話。

63章で語られているのは、山の奥にある不思議な家”マヨヒガ”に行った後で川から流れて来たのを見つけ、米を計るのに使ったら、ずっと米が減らず、持ち主を金持ちにしたという赤き椀の話。

95章で語られているのは、庭作りの得意な男が、美しく大きな岩を見つけ、あまりに重かったため地面におろし、もたれかかって休憩していると、そのまま石と一緒に空を飛んだという不思議な話。

その他には、死者をめぐる怪奇現象や、鳥の鳴き声の由来やヤマンバの話など、昔話的なものも収録されています。

ざっとぼくが関心を持った話を、民話や伝承的なものを中心に紹介して来ましたが、いかがだったでしょうか。ちょっと不思議で、興味深い話ばかりですよね。

文章としてはやや難しいかも知れませんが、内容的にとても面白いので、興味を持った方にはぜひ読んでもらいたいと思います。

実際に起こったこと(より正確には、そう語り継がれたもの)であり、生活に密着した話なだけあって、生と死、富と貧について語られたものが多い印象を受けました。

不思議な話が多いのですが、何故そうした話が語られるようになったのか、そうした理由を考えてみるのも楽しいかも知れませんね。

明日は、より物語的な、ホラーっぽい話を中心に、京極夏彦『遠野物語remix』を紹介する予定です。