Jewel in the Lotus -38ページ目

 
 昨日の勉強会で
神父様が引用された教皇様の言葉   

わたしたちは信者である前に

人間であるように召されています


(フランシスコ教皇様もしばしば
同様のことを仰っていたそう)

今朝読んだ

カテケーシスの要旨に

この言葉を見つけました





 カテケーシスの中で

 心に残った箇所を備忘録として...


*****


自分自身に集中し他者には気づかないために

視点を変える必要がある人物について

話しましょう

(参照 ルカ10,25-37)


彼がイエスに唯一意味を尋ねた言葉は

「隣人」という言葉でした 

それは文字通り

「近くにいる人」という意味です


この問いのために

イエスは一つのたとえを語られました


このたとえは

「わたしの隣人とは誰ですか」という

問いを変容させるための


わたしを

「愛してくれる人は誰か」

という問いから

「愛したのは誰なのか」

という問いに移るための行程となるものです


最初の問いは未熟なものであり

後の問いは自身の人生の意味を理解した

大人の質問です

 

最初の問いは

わたしたちが隅で様子を見ながら

言う質問です


後の問いは

わたしたちが一歩を踏み出せるように

背中を押す質問です


*****

 

 困難を抱えた方に寄り添われ

 路上を歩いて来られた教皇様らしく 

 

人の背景を慈しむことの大切さに

視点をおいたお説教をなさるので

とても心に響きます


*****


人生とは出会いでできています

その出会いを通して

わたしたちの本来の姿が現れるのです


わたしたちは他者を前にして

その人の困難な状況や弱さを前にして

どのように振舞うかを決めることができます


その人の世話をするか

あるいは見ないふりをするかです


*****



信者としても...

人間としても...


その人の背景を慈しむことが

出来る感性


それを養うことの

大切さを思います


出会いを生きながら


謙遜のうちに学び

その姿に倣いたいと思います