非常に自分で意外だったのが

ここのところ、心の状態が落ちているということ。

旦那が2ヶ月出張だからか

まわりの妊娠ラッシュだからか

生理中だからなのか

あまり望んでいないつもりだったのに

いまはすごく望んでる。

しかしそれは果たして本当に子供を授かりたいからなのか。

仕事のサイクルから、早いとこ抜けたいからなのか。

適齢期の波に乗りたいからなのか。

たぶん後者の理由なんだろうな。

こういう気持ちでいいのかな。

こういう理由で子供が欲しいって、産まれてくる子は、わたしの人生の道具、になってしまうだろうか。

それを考えるとたちまち、

じゃあ、この世に産まれることは幸福なのか?

と思ってしまう。

親の勝手なエゴで産み落とし、

社会の荒波に強く生きられるよう教育して、

さぁ、自分一人でしっかり生きていけよと

勝手に産み、さもあなたが望んだことなのだからと言わんばかりに、社会に放り出す。

これはなんだ。

いやしかし、人間はこうして命を繋いでいく。

私というのは、きっと一個人という側面を強く意識して生きてきたけれど、

もうひとつの側面は、人間の中の一部

大きな存在の中の一部

私も旦那もいつか来るかもしれないけれど子供も

人類という大きな集合体の一部

そういう意味では、パーツとしては小さいが、役割がないわけではないだろう。

私たちは、目先の欲や希望に捕らわれて子供を欲するが

人類が続いていくようにという大きな目的を達成するために、遺伝子にプログラムされている営みだ。

欲しいとか、欲しくないとか、そんなことに関係なく

考えなしにプログラミングされている。

人類の繁栄のために。

最近思うことは、人類は絶滅の道をたどっているのではないかということだ

高齢出産で産めなくなる女性が増え

環境は自らの手で破壊し尽くそうとしている

私たちは発展をすることで、衰退の道をたどるのではないかと

単純思考で考えてみる。

こんなに、周囲が子供子供と言うなかで、

私はあなたの年齢のときは既に二人子供いたよとか言われる度に

個人とか自分とか自由とか

そういうずっと強く意識してきた概念を

持ってきたことに疑問を抱く。

私の人生は、これまでの考え方は、果たして正しいものであっただろうか。