もうすぐ父の日ですね。



ウチの職場でも「父の日特集」真っ盛りです。



父の日のプレゼント、買っていたこともあったなぁ…












子どもの頃、私はお父さんっ子でした。



父は甲斐甲斐しいくらい面倒見のいい人で、


赤ちゃんの私が吐き出したものまで食べてしまうほど、ベタベタに世話をしてくれたそうです。



(そう話す母は、「私はようやらん」と言っていました。)
(^o^;)



妹が生まれてからは、週末の度にドライブに連れて行ってくれました。



動物園、プラネタリウム、海へ、山へ、



チャイルドシートの取り付けから、車内のエアコンの風向きまで、



至れり尽くせりの世話やきぶりでした。



お決まりの
「大きくなったらパパと結婚する!」
も言っていましたよ。



自転車の補助輪が外せるまで、後ろで支えてくれたり、



初めて映画館で「E.T.」を見たのも父と二人でした。



ピアノの練習や勉強にも、よく付き合ってくれました。



私の成長ぶりを楽しんでいるのがよく分かりました。












10才くらいの頃でしょうか。



父の言動に違和感を感じるようになりました。



いつも母にダメ出しばかりをしていました。



母方の祖母の悪口も言っていました。



夕食の間の話題は、毎日職場の同僚の悪口でした。



外出先では、店員さんに向かってキレることもありました。



悪く言われるようなことをする方が悪いのか…とも思いましたが、



聞き続けるのは、気分のいいものではありませんでした。



私や妹のはしゃぎ声や泣き声にイラついて、怒鳴り散らすのも日常茶飯事でした。



大人の男が大声を上げて怒鳴り散らす迫力は、かなりの恐怖でした。



私は父から距離をとるようになりました。



小学校高学年の頃には、口を利かなくなりました。



語彙力の弱さや、養われているという立場では、他に方法がありませんでした。



それが寂しかったのでしょうか。



父は益々、私に向かってキレるようになりました。



「誰のおかげで生活ができると思っているんだ!」



「気に入らないのなら出て行け!」



それがいつもの決まり文句でした。












母には泣かれました。



「お父さんは苦労して育ったせいで、心が荒れているのよ」



「あなたは何不自由なく育ってきたんだから、余裕があるでしょう」



「あなたが折れてあげて、分かってあげて」












父は祖父が早くに亡くなったために、年上の兄弟の家を、たらい回しにされて育ちました。



兄弟の配偶者から、かなり嫌がらせをされていたようです。



他人を信じることができず、いつも噛みつく寸前の野良犬のような殺気を抱えています。



絵に描いたようなアダルトチャイルドです。



子どもの頃の私に尽くしたように、家族に必死に尽くすのは、



そうしていないと捨てられると思っているから。



母からそう説明されても、イヤな言動はやはりイヤなのです。



私は父のことが大嫌いになりました。




                                                        




父の日のプレゼントはここ10年、買っていません。



それどころか、両親には10年合っていません。



ウチの家庭は何かがおかしい……そう感じながらも、



暴力をふるわれる訳でもなく、お金に困っている訳でもなく、



自分が親に傷つけられていると、言っていいのかどうかも、分かりませんでした。










10年前、パニック障害の発作に耐えかねて駆け込んだ病院で、



臨床心理士のカウンセリングを受け、自分自身でも心理学の本を読みあさり、



ようやく自分が親に傷つけられた子どもであり、



ネガティブなマインドコントロールを受けている、という自覚が持てました。



(自分で進むタイプのカウンセリングでしたので、心理士さんは一言もそんなことを言っていません。)



その時に読んだ本の提案に従い、問題のある親から距離をとるという方法で、



親に心を揺さぶられない状況をつくり、自分らしく生きることを模索してきました。



そして今年で10年目になります。










親に植え付けられた自己否定感や対人恐怖は、簡単に消えるものではありません。



完璧主義や上昇思考から、自分で自分の首を締めるクセも、なかなか抜けません。



親に対する怒りは随分薄れて、理解されたい思いも諦めに変わってきましたが、



「ただいま!」と言って明るく帰る気持ちには、未だなれず、



10年会っていない親に、何をどう話せばいいのかも、まだ分かりません。



愛されていなかったのではなく、愛し方を知らない人だったのだ、ということは分かります。



ただ、暴れ馬を乗りこなす技術が、私にはまだ身に付いていないと思うのです。











よくあることとは言え、なかなか大変な課題を背負ったものです。



自分のことを「大変」と言えるようになっただけでも進歩でしょうか。



ずっと「このくらいなんだ!」と自分を叩きながら生きてきたことを思えば…


   







重い話なのでなかなか筆が進まなかったのですが、



父の日を前に、敢えて触れてみようと思いました。



親もどんどん年老いていきます。



さあ、どうする私?












本当にどうしましょうね…