私たちは、ゆっくり、一歩踏み出しました | 阿蘇の国のクララ

 

蔵人珈琲(くろうどかくら)

 

「きのうのアサギマダラ、

不思議だったね。

アリスの話をしながらのぼっていたら、

突然飛んできたんだから。

まるでアリスが

アサギマダラになって、

励ましに来てくれたみたいだった」

 

「不思議の国のアリスだからね」

 

10月14日(木)...

 

その日私たちは、

九州最高所にある秘湯、

法華院温泉山荘を目指していました。

 

3時間かかってようやく、

坊がつるという湿原に差しかかった時に

そのアサギマダラは現れたのでした。

 

ママは口を半開きにして空を見上げていました。

 

むしろうっとりとした顔に見えました。

 

青色の空と、

同じく青色がかったアサギマダラは

たしかに美しかったです。

 

坊がつる

 

「そこ、アリスも泳いだところ」

 

「クー♪」

 

玖珠川源流

 

「がんばったね♪

ここのガイド犬になりなさい」

 

「クー、アリスおねえさんも言われた」

 

法華院温泉山荘...

1882年に開業。

標高約1300メートル。

 

「パパ、さっそく温泉に行っちゃった」

 

「クー」

 

「...誰もいない」

 

 

大船山・北大船山・平治(ひいじ)岳

 

「お待たせしました、ママもどうぞ」

 

 

「温泉気持ちよかったね♪

秘湯をひとうりじめ、なんてね」

 

「ママ、上手」

 

「がんになる前は、

この世に存在する

自然の美の価値が

よく分からなかったの。

花やあざやかな色彩の生き物を

きれいだな、と思うことはあっても、

しみじみと感じ入ることはなかったわ。

でも今は違う」

 

「...花も星も有限であり、

それらを今目前にしている

私の命もやっぱり有限である

ということを理屈ではなく

感覚でわかりはじめてから、

美しいものを見ると自然に涙が

零れるようになったの...こんなふうに」

 

「クー」

 

法華院温泉山荘は

鎌倉時代からの歴史ある

天台宗のお寺でもあります。

 

「帰ろうか」

とパパがママに言いました。

 

「帰ろうか」

うん、とママは頷きました。

 

「クー、でもとりあえず私、

もう少しだけ歩きたい」

 

私はテントが見える場所を

鼻で指しました。

 

じゃあぼくも行く、

とパパが隣に並びました。

 

もちろん、アリスおねえさんも。

 

歩こう、という声がしました。

 

私たちは、ゆっくり、

一歩踏み出しました。