それにくらべれば、というふうに考える | 阿蘇の国のクララ

 

9月13日(月)...

 

「クゥ♪」

 

「クーちゃん、何食べてるの...?」

 

「Rーワン、飲んでるの」

 

「Rーワンを飲んだら、旅の始まりです」

 

ケニーロード

 

「これから淋しい秋です♪」

 

「時折ブログを書きます。

涙で文字はにじまないけれど

わかってクーださい♪」

 

地蔵峠へ...

 

 

「車で先回りするから、

パパと走っておいで」

 

「クー!」

 

 

「ねぇ、パパ。

パパは落ち込んだりしないの?」

 

「するよ」

 

「そういったときはどうするの?」

 

地蔵峠

 

「う~ん、できるだけ楽しいこと、

明るいことを考えようとする。

たいしたことじゃないよ。

ぼくの場合は、

出会った動物や

虫や植物のことを思い出す」

 

「...クーちゃん♪」

 

「クー♪」

 

「それでもだめなときは、

今度は逆に、

もっと困難な状況のなかで

生き抜いた人のことを考える。

それにくらべれば、

というふうに考える。

たとえば...」

 

山犬の寝ぐらへ...

 

「ハイエナがいた」

 

「たとえば、

アウシュビッツ...。

アウシュビッツでは

一説によると六百万人のユダヤ人たちが

犠牲になったと言われているけれど、

そういう極限状態のなかで最後まで、

自殺をしたり、反抗して射殺されたり、

栄養失調で死んだりせずに

生き延びたのはどういう人々だったか、

ということを考える」

 

白糸の滝

 

「体験者たちの記録によると、

それは体が丈夫な人とか、

強い意志を持った人とかに限らず、

強制労働で外へ連れだされて、

死んだ人たちを埋めるために

スコップで穴を掘っている。

そのうちに日が暮れてきて、

林の向こうに真っ赤な大きな夕日が

今にも沈んでいこうとする。

それを見た瞬間、

スコップの手を休めて、

ああ、本当にきれいだ...

というようなことを言える人。

そんな人が極限状態のなかで、

比較的生き延びたそうなんだ」

 

「本当に、阿蘇でいちばんきれいな滝...」

 

「夕日がどうした、

自分たちは

明日はガス室に送られるかも

しれないんだ、と言って、

そういう自然の美しさとか、

夕日が沈んでいくさまに

ぜんぜん心を動かすことのなかった

人たちのほうが

むしろ先に死んでいったというんだ」

 

「ぼくたちが

日常なにげなくやっている生活の

アクセサリーのようなことが、

じつは人間を強く支えて

くれているのかもしれないね」