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グラトリのブログ

楽しいことを振り返る




4月19日(土曜日)のこと





3年前にきました





当日、御朱印に

まったく

興味がなかった




ここも
3年前かな




この日は
式を挙げていて
良い日だったのかな



もう一度

御朱印について

考えないとかな


スタンプラリーじゃないよな

色々と父の手続きをやって
あっという間に時間は過ぎて



やっと、みんなが食事をとれるようになった



みんなが

味噌らーめん食べたいということなので


田所商店にきた


三種類の味噌があった



兄夫婦は
北海道味噌野菜
ポテトが

母は
九州味噌野菜
さつま揚げが

私は
信州味噌野菜
山菜が


ちょっと落ち着いたことで

満足でした


気持ちに少しずつ

みんな余裕ができてきたかな

先日、父が亡くなりました

 

 

 

1月下旬、体調崩して

近くの病院に通院していた


2月19日、県立がんセンターへ入院

 

3月3日、担当医から両親と私へ病状説明


膵臓がん、肝転移、肺転移

肝膿瘍のため

ドレナージされ

肺塞栓症もみつかって

 

「これ以上の治療がもうできません」

余命1〜2ヶ月と宣告

 

 

えっ


毎日、1万5千歩のウォーキングしてた

82歳の父が

まさかの・・・

 

 

私が父へ

何がしたいかと尋ねると


「家に帰りたい」

「2階の自室でゆっくり過ごしたい」



私は正直

自宅に帰るのは厳しい




でも


父の願いを叶えてあげたい


母も父を自宅に帰らせてあげたいという気持ちだ


 

3月3日に宣告され


3月6日自宅に連れて帰ることを決めた


まず、実家の受入れ準備

一階の寝室スペース、駐車場スペースの確保


入退院支援の看護師さんが早急に調整してくれ

ケアマネ、訪問診療、訪問看護が決まって

介護認定調査も済ませ

 

包括支援センターで介護用ベッド、トイレの手すりを手配

在宅酸素を設置

迎え入れる準備が整った

 

 

3月6日10時退院


家に連れて帰ってきましたが

玄関の鍵が壊れて

鍵屋さんを呼んで車で待機してる間

父はちょっと辛そうだった


午後はケアマネ、訪問看護師、訪問診療医が時間差で次々ときて初顔合わせ

これはこれで

結構、私たちも疲れました


訪問診療医は、緩和ケアでかなり有名医


母や兄は、自宅での介護はとても不安を感じており

なにかあったら最後は病院へと考えてたけど

先生の言葉、思いを聞いて

私たちにとって

心強く、安心して介護をやっていける

やっていこうと思いました


気持ちも変わり

家族一丸となって

父を自宅で看取ることを決めました

 

訪問診療医が父へ家で過ごすにあたり

何が心配かを確認


①今後、妻が一人になってしまうこと

②トイレは歩いて自分でいきたい、家族にやってもらうならどこかに入院したい

③自分の部屋を整理をしたい 少しでも過ごしたい


といった思いを聞けた 


先生が帰り際に私へ

「2週間は厳しい」と伝えられた

 


3月7日夜、2階の父の部屋へ連れていった


部屋の整理はできなかったけど

わずか5分という時間を父はとても喜び満喫していた


父の好きな自室で

最後の4人で写真を撮ることができた

 

最高だ

 

 

下りの階段途中で父の意識消失

兄と二人で担いでベッドへ横にした

酸素投与量もあげ、意識が少しずつ戻った

 


3月8日朝5時、トイレへ付き添い歩行した

フラフラで歩ける状態ではなかったが

父の思いを尊重し行った

それもそのはず、退院時ヘモグロビンは7点台

貧血は進んでいる


朝9時、トイレに行きたいと父に言われた

家族3人で話し合い

私がこれ以上付き添い歩行は危険と感じ

父へ今の現状、尿器、おむつ対応が一番なことを説明した

受け入れてくれた

父が絶対に嫌と言ってたおむつ装着

自分の状態を危険だと自覚したと思います

 

他に方法が考えられなかった

少しでも意識があって

家族との時間を長く取りたいこと

私たちの希望を父へ伝えた


家族みんなで

父に嫌な顔せず

いつでも呼んで良いことを

毎回伝えて

排泄の介助をやっていった

 

 

3月11日訪問診療医が診察

父から子供たちに残す言葉として

なにかありますかと問うと


「良心の心をもって生きていくこと」


父から言葉を聞くことができた


先生が帰り際に私へ

「本当は本人に字を書いてもらって、子供へ残すようにしているんだけど、もう厳しいかも、1週間は難しい、覚悟して、心の準備を」と言われました


退院前から食事もとれず

退院しても

水分がほとんどとれていない状態であった

 

 

訪問診療医が先を予測して

処方してくれてたお薬のおかげで

父は痛みや呼吸苦もさほど訴えず

最後は眠るかのように息を引き取った



3月16日18時23分永眠


私は夜勤のため昼過ぎ父へ

「仕事に行ってくるよ。また明日朝に来るからね」って声をかけると、右手でOKポーズしたのが


それが最後

 

 

 


病院によって異なりますが

一日2名までの面会制限


3月6日退院してから16日まで

自宅で過ごすことができた

家族や友人たちが

自由に面会することができた

 

亡くなる前、3回ベッドから床に落ちていた

酸素マスクを外していたりすることもあった


もし、入院継続していたら

どんな父の終わりを迎えていたのだろう

 

自宅で看取るって

正直、簡単なことではない


職業柄、私が中心となって11日間

父へ最高な環境、ケアを提供することができたと思う

もちろん、私だけでなく

母、兄、嫁さんたちの協力があって

乗り越えることができた


父の残りの時間を

家族みんなで一緒に過ごし

父の死を受け入れる準備もできた



こんな父の状況で

自宅で看取ることができる家族は

実際、あるのだろうか


望んでいてもできないのでは・・・

 

人、物、金、時間、知識や技術、体力、忍耐力が必要かな

  


両親に最高なプレゼントができたかな




まだ、父の願いは残っています

 

「今後、妻が一人になってしまうことが心配」って言ってたことです

 

しっかり、兄夫婦、私たち夫婦で母をフォローしていきたいきます

 


今回、私は父と

仲直りできたことも良かった






父ちゃん、ありがとう