これは1回目の回の時、の読者さんと記念撮影。
みんな、私のこと知ってくれてありがとう。
私のために会場まできて、30分も私の話聞いてくれてありがとう。
そして通訳してくれてたヘルパーさんやお母さん、ありがとう。
前もって準備してたはずのメモが行方不明になり、
泣きそうになったけど当日になって見つかるミラクル(笑)
さすがミラクルガール、なにが起こるかわからない!
ヒューマンライブラリーは超福祉展というところでの会場の一つ
渋谷キャストというイベントスペースにて行いました
座談会的な感じの対談で、普通は質問に答えて進めていくのかもしれないけど、
私は質問をされてすぐに返事をするということが難しいため
まあ、そのへんは主にお母さんにまかせたり(笑)
して、質問をされる以外は私の発症〜歩けなくなるまでの経緯をメモにしてたをおもに話しました。
普段はお母さんがお客さんに向かって喋るなんてことしないから
とってもレアだったのでは??(笑)
そして、参加してくれたお礼に出会った記念品をプレゼント。たいしたものじゃないけど、みんなが喜んでたから嬉しい!
絶対なくさないでね(笑)
いじめられてたことを話すかどうか、記憶障害が歩けてた頃からあったことを話すかどうか迷ったけど
べつに隠すことではないよな、って思って話すことに決めた。
そして歩き方がおかしくなってた頃の周囲の理解の無かったことは
家族にも誰ひとり理解してもらえなかったこと。そして両親が半強制的に転校を決めたこと。
これは果たしてママのいる前で言うべきなのか?なんかお母さんが悪者扱いに見られないか、ドキドキこわかった。でもみんな
『今の私たち親子』をまっすぐ見てくれた。
わたし本人が何年も受け入れることのできない現状を、目の前にいる人たちは会ってすぐに受け入れてくれる。
それはヒューマンライブラリー以外でもだけど、いまだに慣れない。
母はこの生活の私に、今の障害者の私に慣れるのに3年?四年?かかった。いや、いまだに追いつかないでいるのかもね。ママはわたしよりしっかりしてるから、わたしが何かあってもすぐに冷静になってくれるけど冷静になれないときもあるだよね。
あの歩けていた頃の検査入院から丸7年が経つ。
そして歩けなくなり進行が一気に進んだ2011年から6年近く経ってもまだなんとか生きてる私が不思議だ。
余命宣告されてから6年生きてるんだ。
自分の話が終わったあとにはみんなに
謎のわたしの入院コレクションを自慢してたね(笑)入院中にもらった手紙とか写真だとか、色々見せたり。
でもね、言い忘れたことあって。
通学中、やひどいことを言われたりもしたってこと話したけど。どうやって通ってた?って質問あったけど。
でも、私が通えたのは、通学中の電車でいつも優先席を座って私に譲ってくれる
私のために優先席を座って待っててくれたサラリーマンのおじさん?お兄さん?がいたから。
満員電車でも座れたのことが、私には大きい。
帰りは確かに罵声浴びせられたり、「若いもんが!」と言われたり
転べば邪魔だとか、どこ見て歩いてんだ!とか言われたり。うんうん。
ジミーなJKがすっ転ぶわけよ。電車内で。何もないのにマンガみたいな転びかたなわけで。(笑)
優しいひともいて、ジミーなJKに超超超やさしくしてくれて、席空いてるわよ!ってわざわざあけてくれたり。転んだ私のカバン拾ってくれたり。
でもね!そんな優しさと冷たさの中で
一番に際立ってたのが、その優しい席譲ってくれるおっさんなの。
おっさんなのか、さだかじゃないけど、JKからしたらサラリーマンはみんなおっさんなのよねww
だってさ、わざわざ私のために優先席を座って私がくるのを待ってるんだよ?
私を見つけたら、「お嬢さん、ここ!早く!」って手まねきしてしかも満員電車の中で人をかき分けて私が歩きやすいように道作ってくれるの。
それで私の目の前で他の人から押しつぶされないように守ってくれて、私が乗り換え駅で降りるときに
「行ってらっしゃい!」それだけ。
ほんとそれだけなの。
ありがとうございます、って言っても。
行ってらっしゃい!気をつけて。
それだけを毎日繰り返した。
まじこのおっさん神だよね。ってのはよくだっこさんとかとも話したことある。
そうだよ、音楽活動つづけたら、そのひとにありがとうを言える日がいつかくるんじゃないか?ってずっとおもってて。
でも、もうその人はきっとわたしのこと忘れてて
そして肝心なわたしも、その人のことを忘れてて。(泣)
顔どころか、そのこと自体もう全部をまるごと忘れてるとか泣けてくるけど。
お母さんにわたしがずっと話し続けてたからお母さんだけはこのこと忘れてない。
でもお母さんはその人に直接会ってないから顔は知らない。
顔を知らないままでもお母さんはずっとこの7年前から感謝し続けてる。娘が無事に学校に通えたのは、あの人のおかげだって。
こういうこと話したからって冗談でも、そのひとになりすましたようなメッセージとかやめてね。。。
そうだ、病名が確実にわからないあいだはそれをどうしても伝えたくて活動してて
いつの間にかニーマンピック病のこと知ってほしいと活動してて、
わたし自身を知ってほしいと、活動して。
もしかしたら私からありがとうをそのひとに直接会って伝えられたらもう、活動に終止符がなのかもしれないから
わたしは自分からその人を探さない。
さがしたい気持ちもあるし、
もちろんありがとうの気持ち伝えられたら…って思うけど。
それは、私がちゃんと病気が治ったときに伝えたい。
一生無理な気がするけど。
あ、髪の毛切りました。
本当はもっと違う髪型にしたかったんだけど、そう言ってられない状況になり、いきなり今日中に切って!と頼んで
それでも切ってくれたお姉ちゃん。(笑)
文句は言えません、こんなに可愛く切ってくれたんだもん。1000点でしょう。
後ろがちょっとケガしちゃって、傷ができてしまって。
事故というか、ツイテナイだけだったのか、それともその程度で済んでよかったね!なのか。
真相は謎だけど。それが原因で傷に薬塗るため&洗髪で洗うの乾かすのすばやく終わらせるために
いそいで切ってもらった(笑)
はやくもヘルパーに来月の予定を聞かれて、もう12月かぁ。と思いながら、まだ一年が終わらない、まだあるの?、長いな。。という複雑な心境。(笑)
でも年内にどうしても会いたい人たちに会わねば!という強いいし!気持ち!
わたしは自分にこれはミッションだと言い聞かせてる。
Claireはいつまでアイドルでいるの?生涯アイドル??
ってリハビリさんに聞かれるので、
病気が治ったらやめます!って答えてる(笑)
まだ治るの諦めてないんだ。。と苦笑いされる。
そしてまた今日も私は、「ねぇ、病気いつ治る?」「ね、病気なおった?」と笑顔できく。
きかれたほうは、とても困ってるけど(笑)
ではでは(=゚ω゚)ノ
しーゆーあげいん☆★☆
Claire
(このブログをかいてるあいだに充電切れになったり、わたし自身が充電切れになって意識低下なってたり。