ひとつ前の記事、
読み返してみたら、ただのヤキモチですね
「私の旦那さん」を
「私の息子」とお義母さんに言われて
モヤッ と、してしまった気持ち。
あの時は、
「なんだろう?この違和感」
って思ったけど、
今思えば、ただのヤキモチだったと思います
嫁姑問題って、
こうゆう小さな気持ちから発展していくのかなぁ・・・
なんて思ったり
「このまま入院することになりました。」
と、病院からお義母さんに電話。
「あっそう。なら安心ね。
さちさん、一人で帰って来られる?」
想像していたお返事と、
あまりにもかけ離れていたので
一瞬、戸惑いました。
「あっ、ナビがあるから大丈夫です。」
「じゃあ、気をつけて帰ってきてね。」
電話が切れました。
ん???
旦那さんの病状とか、どれくらい入院するのかとか、
一切聞かれず。。。
入院なら安心って?
それより私の帰り道の心配? ん??
病院に行く前の、
「熱があるのが分かった時に、なんですぐ救急に連れてってくれなかったの?」
っていうお義母さんの言葉。
その言葉に、
私は自分の薄情さを感じて、お義母さんの息子への深い愛情を感じました。
なのに・・
入院と聞いて、私はパニックになりました。
そんなに重症なの?
っと、不安でいっぱいになりました。
それとは対照的に、
お義母さんは全く心配していない様子。。とゆうか、
安心って何??
私には理解できませんでした。
右も左も分からない山口で、
ナビを頼りに必要な物を買い揃え、入院の手続きをして、
義理の両親がいる実家に一人で帰りました。
思えば、
山口で車を運転するのは初めてのことでした。
「入院できて良かったわね。」
理解ができず、返事に困る。。。
「えっと。入院は、とりあえず一週間の予定です。」
「あっそう。
さちさん、息子がいなくても気兼ねしなくていいからね。」
「えっ、あっ、はい
ありがとうございます。」
ん~・・・やっぱり旦那さんのことは、心配してない様子。
とゆうか、
旦那さんのコトより、私の心配をしてくれてる?
なんで??
理解できず。。。。
その夜の夕食時、
お義母さんとお義父さんの会話を聞いて
ようやく理解できました。
「一週間の入院だって。」
「あぁそう。入院したなら安心だ。」 (←えーっ
お義父さんまで
)
「家で寝込んでたって、素人の私たちじゃ何もしてあげられないもんね。」
「そうそう。入院すれば、24時間プロに看護してもらえるんだから安心だよ。」
「さちさんも心配したって何もできないんだから、後はお医者様に任せておけばいいのよ。」
「息子がいなくても、いつも通りでね。お互い気を遣わずにいきましょう。」
お義父さんも、
「入院したなら安心」と、息子の心配は全くせず、
一人で帰ってきた私を気遣ってくれました。
なるほどぉ。。。そうゆう考え方か。
やっと理解できました。
と同時に、
やっぱり親子だなぁ~って思いました。
旦那さんも同じ考え方。
旦那さんと、まだお付き合いをしてる頃。
私が風邪をひいて寝込んだ時のこと。
のどが痛くて、頭も痛くて、熱もあって
すごく辛い。。。
っと、弱音をはいた時のお返事が
「僕に言われても、医者じゃないから治せないよ。
そうゆうことは、病院に行ってお医者さんに言って。」
えっ?? 
まったく予想していなかった応えに、
あ然としたのを今でも覚えています
普通なら「大丈夫?」って心配してくれるよね?
の応えが
「どんなに心配しても風邪は治らないよ。病院に行きな。」
当時は、すごく冷たく感じたその言葉。
でも、
そうゆう考えのご両親に育てられたのだから、
旦那さんにとっては、それが「普通」だったんだなぁ。。
言ってることは、確かに正しいしね
だからかなぁ。。
旦那さん、もともと無口なのもあるけど
頭が痛いとか、体調が悪いとか、一切言わないの。
私は、
「僕じゃなくてお医者さんに言って」っと、言われるのが分かっていても
今だに言っちゃうけど
旦那さんに治してほしい訳じゃなくて、心配してほしいだけなんだけどなぁ。。。
堂々巡りになるから、そこは言わないけど 
私の親は、まったく真逆で病院には行かない人たちです。
その親に育てられた私も姉も、実家にいる間は病院に行った記憶はなく。。。
市販のお薬さえ、家にありませんでした。
「頭痛だろうが腹痛だろうが、寝れば治る!!」
とゆう、なんとも原始的な発想
それで治らない病気なら、それが自分の寿命だと。
その言葉通り、
私のお母さんは、最初で最後の入院で亡くなりました。
だから、
私にとっての「入院」は、それはもう一大事
「入院」と聞いて、安心する人もいれば、パニックになる人もいる。
色んな考え方があって、人それぞれの「普通」があると思うけど、
それってやっぱり親の影響が強いんだなって思いました。