Marcoのひとりごと

Marcoのひとりごと

変人マルコのブログです。

おもに、日々思ったこと、最近見たアニメやドラマの感想、ことば・言語、JCに関することなどについて書いています。

皆さん、はじめまして、私はマルコといいます(もちろんHNですが)。

当ブログは2~3日に1度くらいの間隔で更新していくつもりですんで、応援のほどよろしくお願いします。

記事に関して感想などありましたら、どうぞ遠慮なくコメント欄にメッセージを残していって下さいね。

Amebaでブログを始めよう!
最近ちまたでブームのスマホこと「スマートフォン。
いずれは携帯電話とシェアを張り合う存在になりうるかもしれませんね。

でも、メカが苦手な人(特に中高年層の方々)にはとっつきにくい印象を与えているのでは?
そんな人々でも使用できるようにとメーカー側も考えたのか、こんな物が登場しました。

変に説明するよりまず見てもらった方が手っとり早いかな?
でもこの世の中、人が思いつきもしないようなアイデアを思いつく人もいるもんだなぁ。



NHK朝の連続TV小説。
まいど見させてもらっちょります。


前作の『ゲゲゲの女房』も面白かったです。
実在の人物(水木しげるの妻)が主人公だったのでリアリティはありましたね。


それにテーマ曲の選曲が良かった。
いきものがかりの『ありがとう』。


♪ありがとうと伝えたくてぇ~♪

いきものがかりは私も大好きなのでOP(オープニング)は必聴ものでした。


まぁ、前作の話はお・い・と・い・て…。


現在放映中の『てっぱん』。
これもまたいいですねぇ。


出生にちょい訳ありの主人公「あかり」が尾道と大阪を舞台に、その快活な性分と負けん気の強さでたくましく生きている姿は、見ていて気持が良いもんです。


まぁ、ちょっとお節介なところが目につきますけど、なにしろ現代っ子には珍しい血気盛んな娘さんなので、その辺は「若気の至り」ということで大目にみてあげませう。


でも結局、あかりが尾道から大阪に来て以来焼きまくってきた「お節介」と「お好み焼き」が周囲の人々の心や行動に良い変化を与えていっているので、ここは結果オーライということで決まり!


さて、今後注目すべきはあかりと駅伝くんとの関係がどうなっていくかですね。
恋にまで発展するか、あるいは想像とは違った展開に転がるか。


今後が楽しみです。


皆さま、新年あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いもうしあげます。


さて、昨夜は大晦日ということで、うちんとこでは昔から「23:45まで(つまり紅白の終了時間までですな)起きておってもええで。」というんが恒例となってまして起きとりました。


ただ、紅白のほうは「後日改めてゆっくり見ればええ」と思ってHDDレコーダーで予約録画しておりましたんで、私はTVは見ずに、もっぱらメールの整理をしておりました。


しかし、23:00の時点で眠気が襲って来てしまったんでPCの電源を落として寝てまいました。


そして、今朝は5時起きしまして、明るくなったらWebのライブカメラで初日の出を見ようと思っていたんですが、昨日からの大雪で空は曇天、今年は桜島から上がってくる初日の出は見られませんでした。


なんせ、年末は30・31日と雷が鳴ってましたから、元日の天候の悪くなることはおおよそ予想されていたことでしたしねぇ。


ほんで、午後からは妹夫婦が姪っ子たちを連れて面会。

けれど末っ子の「あずにゃん」だけが風邪ひいているらしく来ていなかった。


あ、もちろんね、あげましたともお年玉。

しかも長女はんには去年より少し色付けてあげました。


なんせもう中学生ですからね。

小学生は3枚、中学生は5枚、高校生から社会人になるまでは諭吉はんと決めとんですわ。


ま、そんなこんなで、特に何事もなく過ぎて行った元旦でした。


あ、えっ、なになに?今年の抱負ですか?ガーン


あー、別にふれ回るほどの抱負なんてありませんので聞かんといてな。

人の抱負なんか聞くより、自分の抱負考えるほうがマシですよん。


ということで、今年も塔ブログ「マルコのひとりごと」をよろしゅうお引き立てのほどを。

なるべく奇数日には書いていこうと思ってます。


って、あったやん、私の今年の抱負が…!

今月28日に、薩摩川内市入来町で能のイベントが催されるそうです。
薪能の名の通り、薪を照明に舞われる能なので、伝統文化に興味のある方はぜひ見に行かれては?
8月末の初秋の雰囲気漂う宵に、幽玄な薪能のひと時を過ごすのも一興かと。


日時 : 平成22年8月28日(土)
PM17:00開場、18:00開演

場所 : 薩摩川内市入来小学校校庭 (清色城址)
※雨天時 入来文化ホール (当日券なし)

チケット : 前売券 \5,000 / 当日券 \6,000
(※前売券は500名様限定)


詳しくはこちら↓
http://washimo-web.jp/irikitakiginou/

ちはっす!マルコです!

今日もよろしゅうに。


さて、本日は『こんにちはアン -Before Green Gables-』についてちょこっと触れてみようと思います。


『赤毛のアン -Anne of Green Gables-』の原作者ちゅうと「ルーシー・モード・モンゴメリ」はんというのが常識ですが、この『Before Green Gables』は彼女が執筆した作品ではありません。


すでに知ってる方もおられるとは思うけんど、Wikiで調べたところによると、


サーチ派生作品(小説作品)

* (2008年)『こんにちは アン』(Before Green Gables)
「赤毛のアン」100周年を記念してモンゴメリ財団から依頼された児童文学作家バッジ・ウィルソンが執筆した作品。
アン・シャーリーが両親を失い、マシュウとマリラの兄妹に引き取られるまでの11年間を物語る。この原作を元にしたアニメ作品が『こんにちは アン ~Before Green Gables』として日本でテレビアニメ化されている。サーチ


とのこと。


モンゴメリ著の『Anne of Green Gables』は発行後まもなく大勢の女性読者の共感をよび、瞬く間に一大ベストセラーの地位にまで登りつめた世界的名著と呼べる本です。


バッジさんもモンゴメリ財団から依頼されて執筆したとはいえ、出版後は世界に名高い「アン・ブックス」と並び評されるんだから、依頼されたこと自体すごく名誉なことやと思います。


でも、バッジさんにとって『Before Green Gables』を執筆するのはけっこう大変なことだったと思います。


1 まず、モンゴメリが執筆した原作群(アン・ブックス)のアン・シャーリーのイメージを崩してはならない。

2 原作と本著の内容に矛盾があってはならない。

3 原作は100年も前に書かれた作品なので時代考証はとても重要。


ただ、この中で最も気をつけないといけない点は12でしょうね。

ここはしっかり押さえておかないと、たとえモンゴメリ財団が「アン・ブックスに準ずる作品」として認めたとしても、世界中のアン・ブックスのファンが「これなら準アン・ブックスとしても申し分ない。」と認めてくれなければ意味ないですから。


けれど、一番大事なのは著者の「アン・ブックス」、ことに主人公アン・シャーリーに対する思い入れの強さ、愛の深さでありましょう!


この『Before Green Gables』が後世にも「準アン・ブックス」として愛されるか否かは、読者がこの本から著者のそれらの思いをしっかり感じ取ってくれるかどうかにかかっていると思います。

皆さま、ども、おひさであります!

このマルコ、本日をもって怠惰の戦地より無事帰還イタシマシタ!!


そういやぁ、私が最後にここに書きこんだのはいつのことだったのやら。

チャージ期間にしては長すぎたよなぁ。


さて、本日から再出発ということでスキンも新しくしてみましたっ!


いやね、実を申しますと最近アニメ三昧でしてねぇ。

…この歳にもなって恥ずかしい限りですが…叫び


ひょっとして、こんなんを「アニ・ヲタ」なんていうんかいな。

なんか自分でいうんもキモ…。


あ、話しもとに戻さんとな。


さっき新着のスキンを選んでいたんですが、なんと、その中に私の目を奪ったものがっ!

それが今表示されているスキン 『こんにちはアン -Before Green Gables-』 だったのです。


これは、去年TV放映されていたもので、『世界名作劇場』26作品目のアニメでした。

アン命の私めのこと、毎週放映を楽しみにしてましたよ。


ということで、再出発の記念としてこのスキンを選ばせていただきました。


では、今後も当ブログをチャル プタカムニダ(よろしく、お願いします)。

今日、YouTubeを見ているうちに、「余命1ヶ月の花嫁」というドキュメンタリー映像にたどり着きました。


このドキュメンタリーの主役は長島千恵さんという24歳の女性。

この女性については、TVで紹介され、映画化もされているのでご存知の方も多いはず。


実を言うと私はこのドキュメンタリーを見た感想を綴るつもりでいました。

でも、いざ何か書こうとすると、書くべき言葉が何も見つからないのです。


無理にでも何か書こうと思えばかけるかもしれません。

しかし、単に月並みな感想を書くことに何の意味があるでしょうか?


ドラマの感想だったらなんとでもかけたと思います。

けれど確かに実在したある一人の人の命の軌跡について感想を述べるのは、私にはあまりにも重すぎると感じられるのです。


私が拙い言葉を100個並べるより、彼女の残した次の言葉を紹介する方がはるかに価値があるかもしれません。

彼女は亡くなる数週間前、自身のブログに次のように書いています。


   みなさんに明日が来ることは奇跡です。

   それを知ってるだけで、日常は幸せなことだらけで溢れています。

                                    - 長島千恵 -


私もある疾患をもち、あと何年生きられるのか分からない身です。

それに数年前にうつを経験したこともあるので、彼女の言葉は強く私の胸を打ちました。


うつを経験された方なら分かると思いますが、うつになると「幸福感」を感じることが大変難くなります。

うつ病は過度のストレスにより、脳内の神経伝達物質のバランスが崩れることによって罹患します。

治療法はおもに抗うつ剤などの薬物療法と、認知療法などの心理療法です。


でも、それに加えて一番の薬は、どんな些細なことでも幸せを感じられるような工夫をすることです。

ただ、努力するという態度は、うつ病を余計に悪化させる恐れがあるのでやっかいです。





ついこの間からGyaOで配信されている韓国映画『猟奇的な彼女』、今日やっと見る機会に恵まれました。


この映画はクァク・ジェヨン監督の「彼女シリーズ」の第一作目で2001年制作。


彼女シリーズとはこの『猟奇的な彼女』に始まり、『僕の彼女を紹介します』『僕の彼女はサイボーグ』『最強☆彼女』など、クァ・監督が手がけてきた、タイトルに「彼女」がつく一連のシリーズもの映画のことです。


さて、『猟奇的な彼女』についてですが、実はこの映画、原作はなんとネット小説で、著者はキム・ホシクというナmジャ(男性)。


ストーリーについては、韓ドラファンならすでに見ているだろうし、これから見ようと考えている人にはネタバレになってしまうので詳しくは書きませんが、とにかく面白かったです。


主人公はキョヌという平凡な大学生。

あるひょんなきっかけで二人は出会い、告白とかそんなものもないうちに、いつの間にか二人は付き合い出します。


ただ、タイトルから察しがつくように、この映画の「彼女」は、少し…、いや、かなりのサディストです。

彼女はキョヌにとって一見好みの女性なのですが、彼女は女性でありながらキョヌを殴るはボコボコにするわで、逆デートDVとでもいえるような仕打ちを彼に与えるのです。


最初こそ、そんな彼女に振り回されるのを嫌がっていたキョヌでしたが、彼女と過ごすうちに、実は彼女の胸の内には深い悲しみが横たわっていることに気付きはじめます。

そして、彼女の心の傷を癒やしてあげようと、彼女のワガママに耐えながら、けなげにも彼女の望みを叶えてあげようと努力するのです。


ラスト近くになり、なぜか二人は別れを決心し、お互いに宛てた手紙をタイムカプセルに入れ、山の上の一本松の根本に埋めて、二年後のこの日にその場所で逢う約束をして別れてしまいます。


そのあと数年間音信不通の時期を過ごすことになりますが、ラストに意外な展開が待っていました。

ここで視聴者は、前半戦のあるエピソードが伏線であったことを理解するのです。

それがなんであるかは見てのお楽しみです。


最初は笑ってみていた私も、最後にはしみじみ感に満たされながら見ていました。

大いに笑えて、たまにしみじみできて、ちょこっと泣ける、そんな映画でした。

やってきて今日で3日目です。


今回は、予想していた通りアガッシ…ではなくて男子でした!

ただねぇ、男子はやっぱ気が利かんわ…ふぅ~。


でも、男子の看護学生はアカンと考えてるわけやないんですよ。


女子の看護学生には絶対に話せないことでも、男子の看護学生には遠慮なく話せることがあるし、女子の看護学生には絶対分からないであろうことでも、男子やったら「そうですよねぇ!」と分かってくれる。


確かに男子の看護学生は気が利かん。

すべての男子看護学生がそうだとはいわないが、これは事実。


本人にそんな話をしたら、

「そうなんですよ。やっぱり女子の気配りの良さ、細やかさにはとてもかなわないですね!」

というようなことを言ってました。


でも、こういうこともいえるのではないかと。

確かに男子看護学生には苦手な分野があるが、男子ならではの得意とする分野もある。

逆に女子看護学生でも得意な分野があれば、苦手とする分野もある。


だから、理想的な看護環境としては、両者がお互いに足りないところを補い合いながら仕事することですよ。

なぜなら医療とは「チーム・プレイ」なんですから。


医師、(男女)看護師、それから薬剤師、そのほかさまざまな人たちが一丸となって行うもの、それが医療というものです。


ただ、ここで忘れてはならないことがあります。

それは患者自身も、いや患者こそが大事なメンバーの一員であることを。


だって考えてみなはれ。

患者がいなければ、いくら優秀なスタッフが揃っていても医療は成り立ちません。


患者あっての医療。

このメンバーが欠けては医療とはいえんとです。