昨日フジテレビで29年前の日航機事故の特番をやっていた。若い方などは子供の時だったりであまり記憶にないかもしれないけど、私は社会人になったばかりで、鮮明に覚えている。特番は当時の飛行機の中を再現していたり、生存者の証言があったり、遺書を残した人の家族が出てきたりと、涙なしには観られなかった。私は乗客はもちろんのこと殉職した乗務員にも思いを馳せる。当時若かった私は、CA(当時はスチュワーデスと呼ばれていた。)を目指していたからだ。

あの時代は、バブル真っ只中で、松田聖子がトップアイドルで、ディスコが流行っていたり、社会全体が明るい時代だったな、と思う。私も前年までお気楽な女子大生で、それでもこれからの自分の将来が不安だったのを覚えている。当時憧れだったJALの国際線スチュワーデスを目指し、一生懸命だった自分を思い出す。

今はLCCなどあるし、また航空会社も増えた気がするけど、当時は日本の航空三社、日本航空、全日空、今はないけど東亜国内航空があった。国際線に乗りたければ、みんなJALを目指したと思う。外資系の航空会社は英語がよほど上手ではないと無理だと思っていた。なので、大学の英文科で勉強している女子などは航空三社を受ける人が多かった。ただ今でもそうだと思うけど、CA受験はなかなか厳しい。とにかくすごい倍率だし、そんなに簡単にはなれないのだ。面接が幾つもあり、適性検査を経て初めて合格する。受けたことがない人や、あるいは一度の受験で、ラッキーにも受かった人には、あの独特の思いはわからない気がする。

御巣鷹山の事故の前前年の夏休み、スチュワーデス夏季講座に参加した。関西の新卒受験を目指す短大生や大学生、およそ30人くらい。筆記対策、面接指導などがあった。みんな一生懸命だった。ほんとに憧れてなりたくて、授業が終わったあと、お茶したり情報交換をしていた。結局その年の新卒受験を受かった人は4人くらいだった。すごく美人な人でもダメだったり、英語が凄いのにダメだったりと、受かる決めてって何なんだろうと思ったものだ。その中にすごく可愛くてチャーミングな短大生だったA子さん。隣の席で親切な人だった。A子さんはその年の新卒者試験に見事合格し、次の年に入社し、国内線に配属されたと風の噂で聞いた。

私は全部落ちてしまい(汗)自動車会社で働いていた。あの日、八月十二日仕事帰りの号外新聞で事故を知った。とっさにA子さんの事がなぜか頭に浮かんだ。そして、次の日彼女の写真と名前を新聞で見つけた時は驚愕してしまった。間違いであって欲しいと。事故の詳細がわかると、A子さんだと確信した。お客として乗っていたそうだ。本当は、前のフライトで実家の四国に里帰りするために大阪行きに予約していた。ところが、先輩にあたる生き残った、非番のOさんが一緒に帰ろうと、誘ったためその便をキャンセルし、事故機に乗ってしまった。可愛くて、私がなんてラッキーな人だと思っていたA子さんは21歳で逝ってしまった。それからこの生き残ったOさんはなんと私の出身大学の短大部にいた方だった。

こんなことを思い巡らすのは変かもしれないけど、もし私がラッキーにもJALに受かっていたら、同じようにこの飛行機に乗っていたかもしれない、なんて何回も考えてしまった。なぜかと言うと、このA子さんとOさんと私との共通点があまりに多いからだ。

私は、結局一年ちょっとで、自動車会社を辞めて、語学留学し後に外資系の航空会社でCAとして5年間無事仕事を全うした。乱気流にあうことはあっても、仕事中そんなに怖い経験もしなかった。毎年この事故の追悼ニュースを観ると、ほんの数週間だけど一緒にCAを目指したA子さんを思い出す。A子さんは国内線勤務だったそうだけど、国際線を目指していたかもしれない。未来は輝かしかったと思う。いずれにしても、運命というには余りにも悲しく多くの人を不幸にした事故だった。

合掌