人の持つ正義というモノは、
その人の立つ舞台によって、
変わってしまう。

私にしても、
「個人」としての正義、
「占い師」としての正義、
「横須賀市民」としての正義、
「日本人」としての正義、
「人類」としての正義、
「地球上の生命」としての正義、
などと幾多の舞台上で、
それぞれの正義を持っている。

そしてそれらは、
同一の正義とは言い難く、
中には相反するモノもある。

大切な事は、
自分がどの舞台上で、
意見を述べているか、
自身が正確に把握するという事。

それが自信を持って発言することへと繋がる。

わたしの持つ「死生観」については、

今年の1月~2月に、

ブログ上でいくつかに分けて話した通りです。

(あえてリンクははりません)


それは、

わたし固有の考え方であるとともに、

両親から受け継がれたものだと、

最近良く感じます。


経験上、

一般的には冷酷であったり、

不適切な考え方ととらえられたりするのですが、


わたしはそれを、

誰かに押し付けるつもりもないし、

間違っているとも思ってもないです。


だからそれでいいと思います。

才能というやつの見極めは、

極めて難しい。


結果を求められるモノもあれば、

そうでないモノもあるし、


死んでから評価されるモノもある。


悲しいかな、

「金」にならない才能は、

低くみられたり、

酷評を受けたりする。


才能がなくても、

続けることはできるし、

才能があっても、

止めることもできる。


結局は、

本人にやる気や覚悟があれば、

続ければ良いし、

なければ止めれば良い、

ということにいたる。


何が言いたいかというと、

別に何もないのだが、


わたしに

「自分には才能がない」

と嘆く人の多くが、

「金にならない」

「成果が得られない」

と、

才能の有無とは違う点で、

苦しんでいるのである。


彼らに無いのは、

「金」「結果」を生みだす技術であり、

それはわたしの知ってる才能とは、

違うと思う。