正義の鬼 -9ページ目

生い立ち日記、荒くれていた時代2

いわゆる、ヤンキーな友人たちと行動を共にし、本当の自分の心を取り戻していくと同時に眠っていた能力が少しずつ目覚めました。肝試しにいけば幽霊と遭遇し、友人たちが葬式から戻ってくると死者の訪問があるのです。毎日幽霊を見ていたわけではありませんが、何か特別なときに出くわしてしまうのです、ぜんぜん嬉しい事ではありませんでした。姉の仕事の関係で九州から大阪に引越しすることになり姉の家でしばらく世話になっていました。おとなしくしていたのはほんの数ヶ月でした、新しい仲間と大阪や神戸の夜の町に足を運ぶようになり、気がつくとゲイバーで働いていました。お酒を飲みながらお客の相手をしていると、そのお客の未来が見えてくるのです。そのことをお客に伝えてもたいていの人は信じてくれませんでしたが、中には真剣に耳を傾けてくれる人もいました。水商売をするようになってからは落ち着いた生活をしていました。仕事も毎日行きました、喧嘩もしないし、とても楽しいオネエの人生を過ごしていました。一つだけ気に入らないことがあったとすれば、時々現れる見知らぬ霊の存在でした、4人で入ってきたお客さんにお絞りを4枚出したら、「自分たちは三人できたてるんだけど、、、」とかってことはよくありました。そのような話をすればきりがないぐらい沢山あります。非現実的な世界から気を紛らわすために毎日のように酒やタバコを呑み続けた私の体は免疫力も落ちて行き、気がついたときには医者から死の宣告を受けていました。「今日が峠です、、、」実家では葬式の準備が始まっていたようでしたが、死の淵から蘇った私は、第二の人生を歩みだしたのでした。30才前後になると霊的なものを見ることがなくなった代わりに、どこからかメッセージをもらうようになりました。関西大震災の前の年に友人たちの結婚や死を口にしたこともあります。そして、関西大震災の三日前にもただならぬいやな予感を感じていたことなど、理屈では説明のつかないことが次から次におきたのです。私は私自身に何が起きているのかを知りたくなりました、そして、心機一転した気持ちですべてをやり直したくてアメリカに渡米しました。アメリカでの一人暮らしは自分の能力を少しづつ開花させていくのでした。父にまつわる因縁に続きます。


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生い立ち日記、私と継母の対決。

自分の実の母ではないことを確信した私もまた目の前のレールを踏み外し、好き勝手な生活をするようになっていきました。最初のころは外で羽を伸ばし家の中ではまじめな学生を装っていたのですが、そのうちに学校からの呼び出しや警察に歩道されるなどを繰り返し、気がついたときには高校に行くこともできず、完全な落ちこぼれになっていました。そのような私に腹を立てた継母は2本のテニスラケットがぼろぼろになるまで殴りかかって来ました。心の中にあるトラウマ(継母が怖い)が自分の体を萎縮させ身動き一つできませんでした、たまたま家に遊びに来た継母の姉がその現場を仲裁してくれたのですが、継母の怒りは収まらず「出て行けー このクソガキ!」と怒鳴られた瞬間に、自分の体の震えが怖くて震えているのではなく、怒りを抑えるために震えていることに気がつき、自分はその場を去り、友人の家で数日間お世話になり家に戻ると、今度は継母が竹の棒で殴りかかってきました、思いっきり体を殴られた瞬間に頭の中が真っ白になり、気がつくと自分は継母をけり倒し横たえている継母を上から懇親の怒りをこめて見下ろしていました。その後、継母は逃げるようにしてその場を去り次の夜まで見かけることはありませんでした。数日後、継母が私に話しかけてきました。「私って、子供に手を上げられるぐらい悪い母親なの?」私は答えました。「あんたの子供には良い母親だろうけど、自分はあんたを母親だと思ったことは一度もない!」継母は私の目の前で「そんなにだめな母親なの、、、」といいながら泣き崩れましたが、私は否定することなく彼女を黙ってみていました。ひたすら謝る継母に対し私の口から出た言葉は、「泣かなくても良いよ、あんたが今まで自分にしてきたことはすべて許したる、でも、一生忘れることはない!」っと言葉を残し私は部屋に閉じこもりました。その日から、継母の薄っぺらな努力が始まりましたが、見え透いた言葉や行動がただ頭にくるだけで、私は16歳にして家を出る決意を固めました。姉の手助けも有った御陰で私もまた自由を手に入れましたが、私のとった行動は正しいことだと思っていません、ただ、あの時はほかの手段を見つけることができませんでした。そのくらい追い詰められていたのです。私もまた数年後には継母と本当の親子以上に仲良く過ごさせていただきました。今では感謝することの気持ちでいっぱいです。悲しかったことや体の痛みなど、そして、厳しい躾けを体験したことで今の自分があるのだと思います。すべてを肥やしにしながら人間は成長をしなければならないのです。荒くれていた時代に続きます。

生い立ち日記、継母と姉の対決

継母のいじめに対抗をするようになった姉は、目の前にあるレールを踏み外したかのように行動や言動が変わっていきました。ほとんどといっていいぐらいに姉は家にいることがなくなり、自分も姉と顔を合わせることも話すこともなくなりました。そのような生活が二年、三年と続く中、継母の自分への躾がだんだんと厳しくなり息を抜く暇もなくなりました。父は家にいることがなく、外に女を作り継母の怒りをただひたすら受け続けた13歳の頃の私は継母に気に入られようとただひたすら言われるがままに毎日を過ごしていました。それはまるで、餌をもらう為に躾けられる犬のようでした。家の中では泣くことも笑うこともなくただひたすら朝が来るのを待ち学校に登校し、そこでやっと自分に戻ることができるような感じでした。ある日のこと、継母の事を無視し続けた姉に対し継母の怒りが爆発したのです。夜中に帰宅した17歳の姉に対して継母が殴りかかっていきました、姉の声が家中に響き渡りました。「やめてっ!」しかし、継母はその手を下ろすことなく姉を攻撃します。姉の中の細く細く切れそうに繋がっていた最後の一本の線が切れた瞬間に継母の髪を鷲づかみにして家の中から外へと引きずり出し、宣戦布告の態度を継母に見せ付けました、かなわないと思った継母は自分の部屋へと逃げ込んでいきました。その後、姉は17歳にして家を出ることになり自分の幸せを手に入れた後、幸せな結婚生活を送っています。(結婚後は継母とも和解をして本当の親子以上に仲良くしている姿が自分の中の記憶に残っています。)姉が家を出た後、継母は自分を呼びつけ「大切な話がある、、、」と言いました。それは、自分にとってまったく驚きもしない母の告白でした。「私はあなたの本当の母親じゃないのよ、、、」という言葉でした、自分は驚くこともなく、「知ってたよ、、、」と答えると、継母は言葉をなくしました。母のいじめはなくなりましたが、いもうとに与える愛情を自分は継母からは受けることはありませんでした。今思うと、苦しみはいつまでも続かないものなのです、必ずいつか終わるときが来るのです。17歳まで苦しんだ姉は目に見えない何者かの力により外に出されたらしいのです。そして心の傷を癒してから再び自分たちの前に姿を現したのだと思います。私と継母の対決に続きます。