Un bel giorno di tredici -28ページ目

Un bel giorno di tredici

~ある素敵な13日~

イタリアに関することを中心に、
楽しいこと好きなことを書いていきます。

『LORO(ローロ)欲望のイタリア』

監督:パオロ・ソレンティーノ

主演:トニ・セルヴィッロ

製作:2018年

 

イタリアの元首相シルヴィオ・ベルルスコーニ。

『彼』といえば汚職、脱税、職権乱用、マフィアとの癒着、

女性問題、失言の数々。

しかしイタリアの首相を3度務め、

合計9年間に渡り政権を握った。

その手腕を否定することは出来ない。

 

「この男 怪物か、カリスマか。」

まさに怪物でありカリスマであり続けた

イタリアの顔なのだろう。

 

 

南イタリア・プーリア出身の

若き実業家・セルジョが金と権力を求めて、

『彼』に近づこうと画策するところからストーリーが描かれる。

金と麻薬と美女を使いローマに進出し、

勢いを増す野心家のセルジョ。

確実に『彼』に近づく為の足がかりを作っていく。

 

一方、ベルルスコーニは、その巨万の富と

実業家としての実力、政治的権力を使い、

政権への返り咲きを虎視眈々と狙う。

 

※ここからネタバレあります。

 

映像の魔術師と称される

パオロ・ソレンティーノ監督ならではの映画だね。

ワンシーンワンシーンが、

まるで絵画のように美しい。

 

今年、2023年6月12日に86歳で逝去した

ベルルスコーニを題材にした映画なんだけど、

制作されたのは2018年。

存命中に実在の政治家を題材に映画を作るってのも、

凄い話だよね。

それだけ『彼』は影響力のある人物だったってこと。

 

どの国もそうだろうけど、

政治家なので国民からの評価は分かれるけど、

やはりベルルスコーニの死を心から悲しんだ

イタリア国民は多いそうだ。

 

映画全体を通しては、別にベルルスコーニを

悪人として描いてるわけでも、

善人として描いてるわけでもない。

政界の裏側をえぐるような社会派映画ってわけでもない。

センセーショナルでポップで、

常に上品な皮肉が表現されていた。

 

本当に「怪物かカリスマか」って人物だから、

『彼』の人生全てを1本の映画にまとめるのは

難し過ぎるよね。

マフィアとの癒着問題なんかは描かれてなかった。

 

ただ、第二次世界大戦前の1936年 に誕生し、

戦中~戦後を生き抜きビジネスを成功させた人だから、

時代的にマフィアとの関係は不可欠だったろう。

そして剛腕のリーダーが必要とされた。

そんな時代にマッチした人物だったんだろうね。

 

この映画の中では野心家のセルジョが

金と麻薬と若い女を使って、『彼』に辿り着く。

巨大な権力と金を持っている人間には、

マフィアや政治家も含め、

善い人間も悪い人間も群がってくる。

 

それらを、いなす手腕があるから、

ああいう地位に上り詰められるんだろうね。

 

映画前半では野心家でギラギラしているように

見えるセルジョだけど、

実際にベルルスコーニの前に出ると、

浅はかな小物感が隠せないのも上手い演出だった。

 

ベルルスコーニの女性問題、乱交パーティー

部分を映画の表現としてセルジョが受け持ってくれた感じ。

噂の「ブンガブンガ」ってやつね。

ブンガブンガ - Wikipedia

 

美しいローマの街に

爆発した清掃車からゴミがブチ撒かれて、

その映像がサルデーニャのセックスパーティーで

空からMDMAが降ってくるシーンと

重なるところなんかは秀逸だよね。

 

多くの破廉恥なシーンの後で、

その後に襲う『虚しさ』を表現しているのも良かった。

「グレート・ビューティー」の時もそうだったけど、

「甘い生活」へのオマージュを感じる。

「グレート・ビューティー」と同様に、

現代の「甘い生活」といえるのかも。

 

 

ベルルスコーニに関しては、

思ったよりも、一人の人間として描かれていた気がする。

凡人には想像できない

地位と権力と金を持っている人だから、

さまざまな顔・性格を持っていたと思うんだよね。

トニ・セルヴィッロが

ベルルスコーニとエンニオの2役を演じ、

2人がビジネスの話をするシーンでも

『彼』が、いくつもの顔を持つ『彼ら(ローロ/LORO)』

ってことが描かれているのかな。

 

タイトルの『ローロ(LORO/彼ら)』は誰なのか。

映画の中では皆、ベルルスコーニの事を

隠語の様に『彼(ルイ/LUI)』と呼ぶ。

それなにタイトルは『ルイ(LUI)』じゃないんだよね。

パオロ・ソレンティーノ監督は、

そんなつまらないタイトルは付けないのね。

 

ベルルスコーニは1人の人物としては語り切れない程、

様々な顔を持っている。

だから『彼』でなく『彼ら(ローロ)』という意味なのか。

ベルルスコーニにとって自分以外は

何者でもない『彼ら(ローロ)』という意味なのか。

最後のシーンに出てくる、

ラクイラ地震の被災者が象徴するように、

政治に絶望したイタリア国民である

『彼ら(ローロ)』を見ろという意味なのか。

パオロ・ソレンティーノ監督の

映画は解釈が難しいけれど、

見る側に考えさせる事が多い。

 

年を取ってからは蝋人形みたいな

作られた顔になってたけど、

50代くらいの時はベルルスコーニも

働く男の良い顔をしていたよね。

整形とか植毛とかは関係なく、

いつからあんな作られた顔になったんだろうね。

 

 

美しい歌のシーンも多かったんだけど、

私は映画の中では、この歌が好きかな。

タイトルが、なんと

「シルヴィオ(ベルルスコーニ)が居て良かった

 (meno male che silvio c'e)」

映画の為に作った曲だと思ってたら、

実際にベルルスコーニが作らせた、

もともとある歌なんだって。

こんな歌、日本の政治家が作っちゃったら

大問題になってるよ・・・。

 

でも曲も歌詞も良いんだよね。

思わず口ずさんじゃう(笑)

色々な考えの人が居るから、

うっかりイタリアで口ずさまないようにしないと。

 

このシーンでも監督の皮肉は、しっかり表現されている。

中心で踊る美女の右手に

大きな包帯が巻かれているんだけど、

よく見ると中指だけが包帯で固定してあるの。

ベルルスコーニを称賛する歌を歌いながら、

実際には『彼』に中指を立てているんだね。

 

全てのシーンで考察を書きたくなる。

破廉恥でポップでアイロニーに溢れ、

詩的で美しい。

これだけの映画の題材になる程、

良くも悪くもイタリアの顔の一面であり、

人を惹きつける人物だったのは確かだね。

 

私は好きな映画だったかな。

映画「LORO(ローロ) 欲望のイタリア」公式サイト|11/15(金)より全国順次ロードショー (transformer.co.jp)