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Un bel giorno di tredici

~ある素敵な13日~

イタリアに関することを中心に、
楽しいこと好きなことを書いていきます。

『フェリチタ(Felicità)』

監督・主演:ミカエラ・ラマゾッティ

製作:2023年

 

 

アメリゴ・ヴェスプッチ号が東京に寄港中、

東京国際クルーズターミナルでは

映画上映もされていたの。

私はミカエラ・ラマゾッティ監督の

『フェリチタ(FELICITA')』を見てきたよ。

 

 

映画の撮影所でヘアメイクとして働くデジレ。

俳優に誘惑されたり、

大学教授のブルーノと同棲をしていたり、

父親はちょっとしたタレント業をしていたり。

その概要だけ見れば華やかで幸せな人生に見える。

 

しかし実際は、

恋人のブルーノは、

インテリではないデジレの事を

どこか下に見ているナルシストな男。

見栄っ張りで利己的で、

挙句の果てにはデジレに金を無心する両親。

弟のクラウディオは精神疾患があるが、

デジレ以外の家族は、その事実を認めようともしない。

弟の病気の件で、

たびたび途中放棄せざるを得なかった職場からは、

もう仕事を与えられないと言い渡される。

それでもデジレは、彼女なりに必死にもがいて、

逆境に立ち向かっていく。

 

 

映画の冒頭から俳優に誘惑され、

俳優の股間に自分の手を持っていかれるデジレ。

大人なのでこのシーンが別に何って訳じゃないんだけど、

東京国際クルーズターミナルの映画上映って、

かなりオープンな場所で開催されてて、

子供も普通に歩いている場所なんだよね。

 

「ここ、子供も通るオープンスペースだけど大丈夫?」

 

私が上映してる訳じゃけど、

誰かにお叱りをうけないかハラハラした(笑)。

 

 

さて、冒頭の話ね。

冒頭30分くらいで、

見事にデジレの性格と彼女を取り巻く人間関係を

把握出来る演出になっていたよ。

 

[以下、ネタバレあり]

 

デジレは俳優に誘惑されても、そのままコトに流される。

考えなく彼氏のブルーノにその話をする。

そのことでブルーノが怒っても、

ブルーノとセックスすれば仲直り出来ると考えている。

両親に言われるままに、

弟・クラウディオの車購入のローン書類に

自分の名前をサインしてしまう。

親から金を無心されて渡してしまう。

 

学歴とかではなくて、

デジレは決して賢い人間とは言えないということが、

冒頭部分で直感的に分かる。

周りに流され、自分が犠牲になることで

問題を解決しようとする。

デジレは、そんなもどかしさを持っている人間だ。

 

冒頭で俳優に誘惑されるシーンや、

ブルーノとの絡みのシーンは、

デジレの考えの浅さや、

ブルーノがデジレをあまり大切に扱ってない

ナルシストな人間だというのを

短時間で表現するのに必要なシーンだったんだね。

 

デジレの両親は今風に言えば毒親。

ミカエラ・ラマゾッティ監督が

インタビューの中で答えているように、

おぞましくも「双頭の怪物、二つの頭を持った怪物」

だと言える。

利己的で子供たちの自由や希望を食らい尽くす。

表面上は円満に見せかけるのが上手く、

デジレに金を無心し、

挙句の果てに弟の病気に向き合わない。

歪んでいて、病的な家族関係といえる。

 

 

それでも、デジレなりにではあるけれど、

正面から問題と向き合い、

破滅的な環境から弟を救おうと、懸命にもがき続ける。

家族や人間関係の問題についは、

必ずしも正解があるわけではないと思うんだよね。

ただ一つ「正解」といえるのは、

デジレのように正解じゃなくても、

みっともなくても正面から向き合うしかないということ。

この両親は問題から目を逸らして、

しかも寄り添おうともしない。

親としてとかでなく、そもそも人として間違ってる。

 

 

映画の終盤、

タレント業をしている父親が陽気に歌を歌い、

それを母親が携帯で動画撮影をしているシーンは、

腹立たしさと気持ち悪さを同時に感じた。

家族の問題を見て見ぬふりをして、

子供たちから金と自由と希望を奪い、

挙句の果てに自分たちが被害者面をして、

更に、そんなことお構いなしで陽気に生きてる。

 

デジレは不完全で考えが足りないから、

彼女の状況の半分は自業自得の部分もあるかもしれないけれど、

それでも、こんな両親が陽気に生きているのは不平等だし、

世の中ってそういうクズみたいな人間の方が

楽しくやってるのっておかしくない?

そんな風に思ってしまう。

 

もしかしたら、

自分の家族も助け合うことが出来て、

全員で問題に向き合っていける日が

来るかもしれないというのが、

デジレの儚い希望だったのかもしれない。

 

 

ミカエラ・ラマゾッティ監督は

「この映画は姉弟の愛の物語なんです。」

と言っている。

病院の前の芝生で、デジレと弟のクラウディオが

取っ組み合いのケンカをするシーンがあるんだけど、

両親とは違って、不器用ながらも

正面から向かい合ってるのが分かるシーンだよね。
 

自分たちの家を購入しようと、

一緒に家の内見にまで行ったのに、

恋人のブルーノは自分の娘みたいな歳の

若っい若っい女性を妊娠させて、

デジレとは別れて、その家に住み始めているし。

デジレの状況が、どんどん苦しくなっていく。

 

 

唯一の救いは、最後の最後に、

弟のクラウディオの病状が回復に向かい、

電車に乗り込み旅立つシーンがあったことかな。

それでも電車を見送るデジレの顔は哀しそうで

「フェリチタ(Felicità)」=幸福

ではなかったかな。

ただ一人、デジレと正面から向き合って生きてきた

弟のクラウディオがデジレの

「フェリチタ(Felicità)」=幸福

だったのかもしれないね。

 

「フェリチタ(Felicità)」=幸福

というタイトルには程遠い内容だけど、

幸福のために自分なりにでも、

理不尽な人生に真剣に正面から向き合う。

そんなデジレの姿が見られる映画だった。