ちょうど今週末学期が終わり冬休みに突入...。

通知表が返されました。通知表や成績を見ながら友達と今学期を振り返っていた時の事、

「〇〇(私の名前)って天才かもしれないけれど、私からみたら秀才なんだよね。うちのお兄ちゃんは天才って感じなんだけど」

と言われました。彼女のお兄さんは科学オリンピックで日本の代表に選ばれている人でとても頭が良く..。

 

自分は天才じゃない、凡人であると知っていながらもたまにその事実に直面してとてつもないコンプレックスに陥ってしまいます。

努力をしている頭の良さ、を表す秀才は誉め言葉であって決して悪く言われたわけではなく、

むしろ努力している、ということを認められはせよ馬鹿にされているわけではないのに...。

 

でも人は往々にして努力をしない頭の良さをカッコよく思うものだな、と感じます。テストで勉強してない宣言をしていい点数を取ってみたり、すっごく時間をかけて練習したのにも関わらず全然やってないと偽ってすぐできるぞアピールをしてみたり...。

 

しかしそれでも、自分の能力のタイプや限界を知り、努力していける人が、天才だろうが秀才だろうが「頭がいい人」なんだなって思います。だって人によって頭の良さは違うから。高いIQの人もいれば、リーダーシップがある人も、コツコツできる人も、あきらめない人も。

 

もともと数値で頭の良さをはかる学力に取りつかれていた私は「頭の良さ」をテストや偏差値という一元的なメジャーでしかはかることが出来ませんでした。

 

でもあるときアメリカ人の友達に、学力だけじゃ人の頭の良さははかれない。人それぞれには得意なこと、不得意なことがあって、勉強が得意じゃないからって頭が悪い、とは言えない。逆にテストの点だけが高けりゃいいってものでもないんだよ、と。

 

みんな違ってみんないい。

 

国籍が違う彼女から言われた、この言葉はずっしりと重みをもって私の耳に残っています。

 

コンプレックスに陥ってしまう私はまだ彼女が言ったことを心から消化できてはいないのかもしれない、でも、彼女の言葉を糧にして自分の能力に向き合っていきたい、そうしてそのうちに自分で自分を認められ、みんな違ってみんないいって心から自分を肯定できるよう、

 

明日も勉強に励みたいです♪