初期の頃にブログにも書いたことがあるのですが、息子は早産でした。


ストレスや心労もたまり、前回の帝王切開の影響もあったのかもしれません。

お腹が張りやすくてしんどいなぁと思っていたのですが、36週で破水してしまったのです。


破水した時は旦那は仕事で家におらず、家には娘と二人きり。

この子を残して今から入院なのかと思ったら武者震いのような震えがきました。


結局は早産になってしまった自分を責めましたし、もしも息子の身に何かあったらどうしよう。

入院時はそのことばかり考えていました。


それでもできるだけ出産を遅らせようと抗生物質や張り止めのウテメリンの点滴をすることになったのですが、やっぱり体質からか数日経つと身体が浮腫み初め、腎臓の機能が弱ってくるのです。


結局妊娠高血圧症候群歴のある私だからか体質だからなのか、どういう訳か術中に血圧が一旦上がってしまいました。


男性医師が私の前で、また妊娠高血圧症候群を起こしているのかもしれないぞと口走ったことに対して、若い女医さんがその医師を睨んで、そんなこと言わないでくださいと、私には大丈夫だからねって…言ってくれた。


その一言でみんな落ち着き、女医さんが天井にあるライトをぐっと掴み、お腹の方に向けたところまで記憶がしっかりあります。


結局は運命にまかせるしかない。

そう思いなが自分を落ち着かせました。


私の身体は妊娠を継続することが難しいのかもしれません。


妊娠は1つの身体で2人分の命を持続させている状態。後期になるほど身体は頑張らなくてはならなくて、それが私には難しかったのだと思います。


息子が生まれ、旦那や義母は私のことより子供を見に行ったそうですが、母親だけはやっぱり私がなかなか手術室から出てこないことが心配だったと聞きました…


その辺が他人と違うところです。


息子は帝王切開で産まれたこともあり、呼吸の調整が上手くいかず多呼吸で、体重も少なめで低血糖、心室中隔欠損があることがわかり、私は胸が痛みました。


それに輪をかけ

息子を見た義父母は小さいなぁと。

言ったんです。


自分の娘の子は大きいし、よく母乳も飲むと喜んでいたのを出産前から知っていたから辛かったです。


私は悲しくてその後、皆が帰った後に泣きました。


小さく産んでしまった息子に申し訳なくて、しかもいろんな身体の不安を抱えているのに、なぜ気持ちがわからないんだろう。

不謹慎すぎると思いました。


ただでさえ周りには当たり前だけど元気な赤ちゃんが泣いていて、その中で1人搾乳をし、冷凍の母乳を作る作業をしなけらばならないことは仕方ないことですが酷なことでした。


そういえば沐浴もどなたかの赤ちゃんの見学をさせてもらったっけ、申し訳なかったです。


退院してから一週間でお腹の傷をかばいながらこども病院へ行き、沢山の荷物を持って何時間も待つのは本当に大変だったけど、周りの皆さんも同じだと。気力を振りしぼりました。


のちに臍ヘルニア、鼻涙管閉塞、瞳孔膜遺残と、次から次へと見つかり病院通いは続くのに、いつも誰も頼れなくて1人で遠方まで向かわなくてはならなくて、母親として一番鍛えられた一年間になりました。


だから娘の時になってしまった産後うつにはなることがなく、ある意味それは息子のおかげで抜け出すことができた息子からのプレゼントでした。


息子が心臓に穴が開いていたので、マイコプラズマ疑いの娘を実家に呼ぶことができず、予定より長く義父母宅に預かって感謝もしてもらうことになってしまって感謝もしているのですが、それもいろいろありました。


もしも心臓に菌が入ってしまうと危険だったので本当にしかたなかったのです。


その頃には義理の妹の子供が産後5ヶ月はすぎていたと思うけど家にいて、その時はまだなにも私は感じていなかったのだけれど、もう住むことが決まっていたのか居て、義理の妹と子供、義父母、私の娘、時々旦那の生活が始まりました。


娘にはきっと淋しい思いをさせたと思います。


家に来れば朝から晩まで部屋着の義理の妹とそのことになんの違和感も感じない義父母がいて、義理の妹の子供だけを受け入れるのが当たり前な人達の中、幼いながらに肩身のせまい思いを少なからずしていたと思います。


旦那は夜勤をしていたけど、娘を預ける私への文句もあったのか、娘のこともしろと言われたのか、自分から言ったのかわかりませんが、普段はしないのに仕事をしながら娘のことをするようになっていたので、旦那は疲れただろうと思います。


早く迎えに行きたいのに迎えに行けない、こんな気持ちになるなんて思いもしませんでした。


旦那には厳しい義父母の対応にも私は驚きましたし、娘なら違和感なくできることでも息子には違うんです…

今でも理解できません。


こんな関係でしたが私がどうしても体調が悪くて子供をお願いするしかなくて、お願いすると嫌そうな顔もしていました。


預ける先には必ず義理の妹と子供がいるのですから…

邪魔に感じたのかもしれません。


いつか私が歯を悪くしたことがあって、どうしても専門の遠方の病院に行かなくてはならなくて息子をお願いすることがありました。


じわじわいじめられストレスでパニック障害を発症してしまった私は歯医者に行くのも運転するのも一苦労でした。

月一でないと歯科には行けませんでした。


それでも自分の症状がわかっていても無理をして1人で行っていたのだから、すごく荒療治をしたと思います。


その時も義母は、妊娠によりカルシウムが取られたからかもと母が言ったことに、私には実の娘はそんなことで虫歯なんてならなかった…や、息子である旦那も虫歯が少ないなど、なんの張り合いにもならない幼稚な言葉が返ってきて、私のことが気に入らないことがビンビン伝わってくるのです。


いつか子供達を預かってもらった時も、ありがとうございますと言うと、いえいえ、ほったらかしにしとるからと言われた時は悔しいのと、ゾッとしたのを覚えています。


他にも痛いの痛いの飛んでいけ、ママのところに飛んでいけ…など、言われてびっくりしたことも。

そんな言葉があるのかな?と思わずGoogleで検索してしまった私です💦

だって傷つきたくないですもん。


でも義理の妹の子供には、痛いの痛いの飛んでいけ、ばあちゃんとこにと言ってたので恐ろしいです。


ありえないことだらけの義母なんです。




最後まで読んでくださってありがとうございます。