ぼやき多めです。
観覧注意です。

氷山の一角は孤独だ。

先日放課後デーからの連絡で、日数制限を知らされ、なんだか悔しくなった。

さまざまな問題を抱えること…
健常児育児では感じたことのない問題が山積みである。

放課後デーとはどんな場所なのか、ご存知の方はいくらいるだろう。
そして、こんな苦悩わからないのだと思うと、悔しくなった。

昨年は保育園から小学生に上がる春休みに、息子はまだ放課後デーは利用できなかった。

春休み中に学童保育も考え、私達は面接を受けましたが、そこでは辛い言葉も投げかけられ、利用もできず、放課後デーを待つ状況でした。

そんな時に、スーパーで息子とクラスで同じだった気さくなママに会い、話の中でお子さんは保育園卒業後すぐに春休みから学童保育に行ってるよって聞き、正直羨ましくて涙がちょちょぎれました。平気なふりして、私達はだめだったのと言いましたが…

もちろんその方は悪くないのです。

だけど私達とでは学童保育側の対応の仕方の差があり、温度差を感じずにはいられなかったです。

すんなりできることとできないことの違いは埋める努力をしない限り埋まらない。

私は学童保育が先生不足なのに対して子供達が多いこと、息子が障害児で、息子には先生が1人必要なのだということも理解しました。

だけど先生が、勉強の時間があって、息子さんは静かにできませんでしょと言われた時は、私や私の息子を目の前にしてよくそんなこと言えるなと思いました。

そんなふうに、面接で親子でメンタルをボコボコにされた私達。

どうしたって諦めや、自粛を迫られるのかな。

遠回しに駄目だと言いたいのだと思います。

だけど言葉の使い方や、寄り添い方って、いくら先生や偉い人であっても足らない人は数多いです。

その人達の前に、大きな決まりごとや基準があるのかもしれませんが…言い方ってあると思う。

学童保育がだめなら放課後デーがあるじゃないと思われるかもしれないが、放課後デーこそ人員不足、学童保育に受入られなかったこたちが一斉に放課後デーに集まるのです…

日本国憲法ではすでに全ての人々の人権が尊重されていて、保証されているはずなのですが…
 
時に、〇〇君(息子)は放課後どこに行ってるの?学童保育?と聞かれる時があります。

私は〇〇を見てくださる〇〇という放課後デーというところがあって、そこに預かってもらってるのよと言ってます。

けれどそこへ行くまでに、親子でかなり大変な思いをしています。

放課後デーは家より片道数十分かかります。
そんな遠い所へ行かせてます。
本当は胸が痛いし、帰って来るまで心配しています。
毎日のように無事届けていただいたことに安堵し、息子を迎え入れられた一日の終わりに感謝します。

そんな想いをしてまでと思われるかもしれないけれど、そこしかないのです。

他の一年生にできないことも体験しています。
体験しざる負えなくて、本当は支援の必要だと国が認めてくださった子供なのですが、それらを息子以外のハンデのあるお子さん達も同じようになされています。

ハンデをもつ子供達が無理しなきゃいけないってどうなんだろう…

学童保育なら学校のすぐ側なのにです…本当にもどかしい。
国や福祉関係の方々にそんな親の気持ちをわかっていただけたらな…というのが本音。

学童保育の待機児童の中に、障害児がいたとしても、飛ばされる場合があるそうで…
歯がゆいなぁ。
待機児童にもなれない子供達がいる。

批判するつもりはないけど、そういうこともありますからと、健常児なら入れる可能性がまだあるとおっしゃる方がいて、そんなことよくも平気で言える人がいるなと驚きました。

放課後デーの話をする時、遠い所へまで預けてなんて親だと思うかな…そんな気持ちが聞かれる度に行き来します。
自分が一番感じてるからなのです。

息子にハンデがあるとわかっていて謎かけのように聞く人もいます。

そんな時は預かっていただける場所に行ってますと言う嫌な自分もいる。
 
そんな人には全てを伝える必要もないと話をそらしてしまう私がいて、だけど息子は隠すべき存在ではないのにと、自分の意と反しているのでモヤモヤします。

けれど今や放課後デーは、私達家族にとってなくてはならない有難い存在だ。

放課後デーはハンディキャップを持つお子さんが、放課後や長期休みに預かってくださる場所。身体的にも、療育的な面からも日々フォローしてくださっています。

うちの子供も帰りには、先生方が一日の様子をこと細かく書いて知らせてくださる。
お話のできない息子ですから、親にとってはなんとも有難いことです。

時には制作した物を持たせてくれたり、お菓子を持たせて下さったり、(それがまた感動します)長期休みには遠足に連れ出してくれ、防災訓練なども怠らず、本当にお世話になりっぱなしの、涙が出るくらい嬉しいことをしてくださる場所だ。

けれど、4月からは受入れが難しいと2月に聞き、私は甘えすぎていたのか、もしもの用意が悪かったのか、だけどもう少し早めに伝えて欲しかったと思うあたり…
ストレスが相当溜まっているせいなのだと思います。
それが現状であって、当たり前で仕方ないことなのだとわかっていても、私にとってはそのことが切実な問題で…

息子を受け入れて下さる場所全部にはどんなことも、受け入れなければなりません。

そうですか、わかりました。辛くても。
いつもありがとうございます。心から。
すみませんでした。至らない点反省してます。
申し訳ないんですが…お願いしたい時には。

しんどい時も正直あります。

心からの気持ちだけど、長い育児を思うと久々にため息がもれて…

福祉とは、困りごとのある方のすみずみまで届いてこそ福祉なのですからね…、だけど、国が決めたことがあってなかなか許可がおりなかったりするんですと相談員さんが言う。

素敵な言葉なのに、もう全然胸が響かなくなってしまっている私は、だいぶ疲れてるし、
本当にそうだといいけどってデビルが背後でざわついているし、結局どうにもならなくて、諦めるか、無理するかしかないのとちゃうの?と思ってしまいます。

国が決める基準って、誰が決めたことなのでしょうか…
今他のことでもいろんな問題がありますね…

例えば困ってない人が決めたことはなんにも意味をもたないんじゃないかと思ってしまいます。

どんなことも、困り感って1人1人違っていてあたり前なのに。

決め方からして問題があるような気がします。

子供がいても金銭的なことや身体を壊していて親を見れないご家庭もあるのに、親や子供がいる場合は保護してもらえる環境とみなされ、親子共々苦境に立たされるケースがあると聞きました。

そんな部分はフォーカスされないのでしょうか。

体験しないとわからないで済むことなのかな?

私は少なくとも、不十分なことがあれば、反省をしたり、いろんな立場になって考えることを辞めたくないです。
そんな社会であって欲しいです。

声をあげてくことが必要だと言うけれど、上げ続けなければならない立場にもなってよと思います。
サウンドバックじゃないんだから。
打たれたら立ち上がれるとも限りませんもの。
前向きな人ばかりじゃないもん。

無理と言うなら解決法を模索し、あらゆる手を考えることをしてくださったならどんなにか有難いと思うでしょう…

私はまだなんにもわかっていないのでしょうか…

だけどそんな身を粉にしてまで考えてくださる方々は本当にいるんだろうか…

もう十分でしょ?って思われてるのかな…

自分には力がなくて、もどかしいです。

そんな私はどんなことがあっても乱れることが許されず、健常児とハンディキャップをもつ子供の母として、妻としての立場があり、遊んで逃げることも、お酒をのんで管をまくこともできない、お金を散財することもできない…

いっそそうしてしまえれば楽なのかなと思うけど、そういう訳にもいかず、逆に私の周りにそんな人がいるから自分が留まっていられてるようなもので、なんだか窮屈だと思うやけくそな日もある。

例えるなら、今の私はぼやきのジョーだ。

40代にしてぼやくこと過多って悲惨やなぁと、我ながら思うーあせる
だけど内なる気持ちを綴られるのはブログの中だけだ。
 
非常識で現実的ではないけれど、私のジョーは
もうすでにボロボロになりながらお酒を浴びるように飲み、ある場所へと乗り込んでいき、想いを訴えている。

常識とはかけはなれていることはわかっているけれど、こうするしかなかったんだって泣いている。

姿に心を投影してるつもりなのだろうか…。

ワンカップじゃないところが思いつめてる証拠です。
何あの人という冷ややかな目線も気にしません。

だけどジョーがいうことはぼやきではなく真実です。

そんなジョーの気持ちが物凄くわかるよ。

形は間違ってるけど、そんな姿にならざる得なかった、あんたの気持ちはわかる!

だけど、あなたには家族がいる。
それは忘れたらあかん。

だけどいくら間違いのない正しいことを言ったとしても、ほら見てみて?
周りはあんたを信用してはくれないだろう。
冷ややかな視線を送っているでしょ?
あんたは間違っていないのにね。

だけど私はわかってる。
お酒を飲んでも自分を痛めるつけることにしかならないんだよ。

それはお守りなんかじゃない、自分を痛めつける物で、疎外されたりするものでしかないんだから…

だけどね、結局は自分を傷つけ苦しんでるのが痛いほどわかるよジョー。

痛みをわかって欲しいんだね。
私だけはわかるから…
もう苦しまないでいいんだよ。。。

ジョーが欲しかったものは一番の理解者だった。

そんなことを思いながら、祖父を思い出した。

昔私の祖父はそんなだった。
お酒を浴びるほど飲んだ。
なにもかもからお酒に逃げていたと思う。

当時は迷惑かけるそんな祖父のことが訳がわからなかったけど、言ってることは本当のことも多かった。   

芯は悪くない人間だった。

騙されたり、ずる賢い人に使われたりもした。
戦争に行って辛かったこともあっただろう。
いろんな悔しさがあったのだろう。
弱いがゆえに、家族にしか強さを見せることができなかったどうしようもなく哀れな人だったかもしれない。
だけどそのせいで、妻である祖母も苦労し、子供である父や兄弟も辛かったと思う。

私はそんな祖父にはなれない。

自分を留まらせる鍵がある。
守るべき子供と信念がある。

だけどね、気持ちはわかるんだ…

こんな状況だからかなんだか久々祖父を思い出した。

そんな祖父だけど、それはもう過去のものとなり、許してしまえている家族や自分がいる。
血は水より濃いとはこのことだ。

春になったらお墓参りに行こう。
息子も連れてと思う。

いろいろ感じてしまう方の私は墓参りが苦手になっているのだけれど、だけど、息子と一緒だと不思議と大丈夫なんです。

息子は私のお守りです。
息子がいろんな物弾いてくれる感じなんです。バリア?
これは本当の話目

最後まで読んでくださって、ありがとうございますございましたクローバー