少ししんどいお話になっています。
いやだいぶかな💦
苦手な方はスルーでお願いします。
限定記事にするかもです。


バラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラ

最近本当にきつい。
人生いろいろありますよね…

人は幸せを願いながら産まれてくるのだと思うのです。
だけど、時に自分をとりまく私の人生は、過酷に思えてしまう。

普段は明るく振る舞っているけれど、笑えない心の傷や秘密が私には沢山ある。

命はある。

だけど自閉症の息子をこれからも守ってあげたいと思っている私の身体は、正直なところ今現時点で年齢よりは結構ボロボロだ。

息子を育てる上で一番大切な身体がいうことをきかないことは辛すぎました。

私は小さな頃から病院ばかりだった。

黄疸が出ていた私。
母が見ず知らずのおばさんに、この子の目は黄色いからと、医者に行くようにと言われ、救われたこともあった。
太い注射を鼠径部からされる治療を行い、運よく介抱に向かうことができた過去。

私は昔からこども病院にも足を運んでた。

まさか娘や息子のことでも行くことになるなんて思いもしなかった。

小学生になれば怪我が絶えず、縫ったことは何回あるかわからない。何に対しても怖いということを知らなかった私。

どぶに落ちて頭から流血し服まで血だらけで家まで歩いて帰った💦
頭を縫ってみたり、海に行けば足を切り縫う、指を切り縫ったり、遊具から落ちて唇を怪我をしたり、無鉄砲にも程があったと今思う。

当時は守護霊なんていないかもって本気で思ったこともあった。

小学生の頃、土遊びが好きだった私は、全部の指先がイボになった。
だけど、誰もいじめる子供はいなかった。今の時代じゃ考えられない。

言われたこともあったかもだけど気にもしなかったし、みんなしつこくなかった。

指を切って病院に行った時の看護婦さんのイボを見る目のほうが、子供心を傷つけた。

何年も医者にかかり、液体窒素でイボを焼いたり、ピンセットで剥がしたり、指先は血だらけになり、母は参ってしまい、あげくイボ地蔵さまにまでお願いに行った。

途方に暮れた時に、また母の知り合いから運よく病院を紹介され、腕に太い注射をするのに通い、あれだけ治らなかったイボが2~3ヶ月で全ての指から消えた。

母はイボ地蔵さまの周りを言わずともほうきではきだした私を見た時に、必ず治ると思ったとは、あとから聞きいたことでした。

守護霊なんていないと思ったことはあったけど、よく考えれば私は昔から、どれも運よく良い出会いのお陰ですり抜けてこれました。

思えば母にも迷惑かけていたんだなぁ…。

私は凄く幸運でした。

だけど、だからかなんだかわからないけれど、身体に痛みを伴うことにもの凄く敏感だ。

そういえば、網膜裂孔にもなり目のレーザー手術もしてたんだ…。目の手術も苦痛だったなぁ。


二十歳の時仕事場で倒れて検査をしたのが最初だった。

最初の帝王切開では命がけとなり、さらに病院が苦手になった…。

私はアラサー後半の割りに、胃カメラや大腸検査を経験済みで人より身体のことで小さな体験をいくつもしてきたのだと思う。
だから病院が凄く怖い。

パニック障害にもなった。

パニック障害は、不思議と息子を育てる中でおさまっているのです。

息子がいてくれたから、落ちついたことで、息子のお陰でもあることなのです。

私はきっといろんなことが重なり、心的外傷があるのだと思う。

だから、人一番心配性で不安が強い。

今回も身体が悲鳴をあげたことは、前々からいつかこうなるのではとうすうすわかっていたことだった。

だけど、私はわかっていながら突き進んだ。
昔から自虐的なところがあるのです。

行き先だけの切符を手に今まで来ていました。
身体が終わりになればそれはその時かなと思っていました。

それを姉につかれました。

姉は今うつ病を患っています。
私の大切な姉。
姉はとても優しい。優しすぎるのです。

お年寄りや弱者にむける優しさはなかなか真似できることではなくて…。

姉はそんなだから、人のために自分を壊してしまった。
純粋なゆえに自分を酷使し、職場で自分より上の年齢の人から少しずつ少しずつ自信をそがれていき、身体の不調を無視しながら、自分は管理者だからと、職場のために寝ず休まずに働き続けてしまった。

だから、うつ病になった。

そんな姉が私を気遣うのです。

世の中にはいろんな人がいる。
どんなに自分が相手をわかろうと、努力に努力を重ねても、伝わらない相手はいるのです。
伝わらない相手に姉はわかろうと努力しすぎました。

私も今やっと、いろんな人がいるということがわかったのです。

だけど、姉はわかろうとしなかった。自己犠牲してまで尽くしてしまっていた。

私達は完璧になんてできないのに、完璧にやろうとしてしまうところが良く似ている。
駄目だとわかっているけどやってしまう。

そんな姉が、あなたが倒れてしまったら、息子はどうなるのかと。私に言うのです。

身体をいたわるべきだ、今まさにそう身体が知らせているのではないかと言うのです。

今のあなたは休みがない。と…。

週一回の休みは息子と療育に行くから、休みなんてなかった。

わかっていたけど止められなかった。

周りが許さない、私も許せない、私しかいないと思っていました。

息子と行き着く先なら…
何かが起こってからでないと、立ち止まることはできないんだと思ってた。
先送りにしていた問題を突き付けられた。

姉は息子は私から見ても一人で見るということは、無理だと思う…と。
息子は今からもっと身体が大きくなり、力もついてくる。って。
だから、頼れるところがあればもっと頼るべきだと…。

だけど、市は助けてくれないし、義理の家族だってそうだ。
私は私しかいないと思ってやってきた。

やっとデイサービスに見学に行けるようになったところで、来年の保証が今ない私達は、とても不安でいっぱいだ。

私は来年小学校に上がることで、もうずっと前からお願いしていたのだけれど、なかなか相談員さんが動いてくれなかった。
それがやっと動いてくれる。

やっとなんだ。

そんなことにも実際精神的に疲れてもいた。

このままでは私がいつ潰れるかわからない。と姉は続けました。

泣くんじゃないよ…。
あなたはいつか、息子を手放さないといけない日がくるんだよって…
だから、今見てあげてと言うのです。

学校にいる間に身体を休められる。
あなたには旦那がいる。
旦那のお給料でやっていけるでしょって…。

姉はシングルマザー。
いろんな苦労がある。

仕事は辞めてもいいんでは?と姉は言いました。
それか、今よりもっと楽な働き方があるでしょって。
それは娘のためでもあるという。
私が早く死んでしまったら、娘が悲しむというのです。

涙が出そうになった。

娘のことを考えてあげられていなかった。

図星だった。

正直長生きできる自信がない。
自分の10年先が想像できない。

コーヒーも飲めない胃なんて普通考えられないと姉は言う。

図星。

姉は私を心から心配してくれている。
もしも姉が私だったら、私も同じことを言うだろう。

だから何も言い返せなくて、頷くだけだった。

うつ病は悪くなれば持って10年なんだと姉が言い出し悲しくなった。
脳の病気なんだって。
脳が萎縮する病気なんだって…。言う。
悲しい。
だけど、自分の身体を理解していると姉は言う。
私も脳の萎縮を心配していたんだよ。

そんなこと言わないでと、考えたらダメだと私は言った。

姉は、だから、あなたが身体や精神の病気になる前に、今のようなことは辞めて欲しいと言いました。



姉妹っていいね…。

親がわからない部分でいろいろ相手の気持ちが痛いほどわかるから…。

小さな頃からいくつも二人しかわからない秘密を共有してきた。


私は、姉がうつ病になってしまったこともとても辛いし、とても心配で悔しいです。

うつ病は治るのだろうか…
とても怖い。

こんな私の悲しみいっぱいの人生はいったい何かとも思っている。

まだまだいろいろあって、、、

いろいろありすぎて止まらない。

姉にも子供の心配がある。

自閉症の息子との人生の他にもいろんなことがあって…。
正直辛くなる。

だけど、どんなことがあっても逃げない。

姉をうつ病に追いやった職場の人間が妹として許せない。
姉の優しすぎる性格も嫌になる。

もっと自分を大切にしてと心底思う。

姉はあと10年も生きれるかな…と言っていて、それでもその頃には子供が成人しているし、もう悔いはないと言っている。
私の無鉄砲さも姉の無鉄砲さも似ているなと思ってしまった。

姉の人生はどうなるの?って思った。

だけど、私も私で子供のためだけに生きていた。

あなたはまだまだ生きなきゃいけないでしょって言う。

姉には私以上に身体を大切にして欲しいと思った。
病気に飲み込まれたりしないで欲しい。

気持ちを強く持つことだけが、自分をふるいたたせる、病気から自分を守るのだと今まで思ってきた…。

精神の病気はお医者様だけでは治せない。
本人の揺るがない気持ちが大事なんだと思う。
だけどその部分がわからなくなるのが精神の病気なのかもしれない。

神様がいるなら、こんな悲しい話はもう終わらせて欲しいとお願いしたい。

姉の悲しみは私の悲しみ。

私は姉に、姉の気持ちはわかったから…とだけ伝えました。

姉は、私が言うことを聞かない性格だってわかってるし、もうこれが最後だからねとだけ言った。

そして、姉は自分もだけどねとも言いました。

私はありがとうと喉元まで出ていたのに、泣きそうで言えなかった。

だけど、心の底からありがとうと思った。


姉の、

「今ならまだ命を失うまでいっていない。まだ間に合う。」

って言葉が、凄く重い言葉に聞こえました。

私はその言葉を重く受け止めています。

最後まで読んで下さりありがとうございました。