悲しいことがありました。

息子は食事で嫌いな物があると嫌がり食べなくて、前の先生なら聞けていたことが聞けなくなることが増えているそうなのです。

先生方もどうにか息子に食べて欲しいと考えて下さっているのだと思います。

家での食事の内容を教えて欲しいとおっしゃったので、朝の食事と夕御飯の写メをお見せしました。


食事中に、はしを持つなども、左手をお椀に添えるように言ったり、左手を私が持っていたりすりなどして手がいかないように介助しています。と、お話しました。


すると、先生が、

「お母さんがお仕事中はお父さんが息子さんを見ているんですよね。」

と一言おっしゃったのです。

先生は何を私におっしゃりたいのだろう…。

私は私なりに、朝は一緒に起き、夜は一緒にご飯、お風呂に入り、寝るをする。

休みの日には息子を療育に連れて行くことをして、自分の時間など仕事以外なく、息子のことを考えているつもりです。

テレビもいつから座って見ていないんだろう…


共に過ごす時間は先生より長く、息子をわかっているつもりなのです…。

息子は好きな人に好きだと近づくことをしません。

だけど、それはハンディ故なのです。

それも理解していただけない。

「お母さんが前先生と離れて辛いんではとおっしゃっていましたが前先生には引っ付いていっていません。」
と言い、

まるで、私がいつも側にいないから、息子のことはわからないんじゃないかと思われている気分になりました。


確かに私は働いています。

働く間、父親だったり、おばあちゃんにだったり、息子をお願いすることもあります。

だけど、父親に「お願いする」というのは違う気がするのです。

息子も娘も二人の子どもなのです。

そして、二人とも働いている。

助け合っていかなければからないのです。

母親とはこうあるべき、父親とはこうあるべき、誰かがこうならあなたもこうあるべき。
それは、私は違うと思うのです。

いろんな考えがあり、いろんな人生がある。
それを理解して欲しい、助けて頂けるなら助けて欲しいと思うことは難しいことなのでしょうか…

努力は影の部分。

相手には見えにくい…

私にも先生の努力が見えていないのかもしれません。

私ももっと先生に寄り添うことをいなければいけないかもしれません。


先生と私の違う所。

それは自分の子供かどうかという部分。

息子が一人でも先生はまたあんな所にいる。隅が好きなのかと思うのかな。

私が息子が一人でいたら、可哀想にと近づき抱き締めることをするだろう。

その想いは歴然なのです。


だけど、私には決して傲慢な気持ちなどありません。

いつだっていつだってお願いをしています。

当然ですが、
「すみません」「ありがとうございます」
言わない日はありません。

辛いです。

先生に、毎日向き合っていない私が意見を言うことは違うと思ってるんじゃないかと感じました。

先生達も息子を思うからこそなのかもしれませんが、私は思いが伝わっていないのだなと感じました。

理解していただくことは本当に難しい。

息子のことも、私のことも…。


ハンディも個々に違っていて、前の生徒がそうであっても息子は違うのだということが伝わらない。

ハンディがある前に人間です。

性格がある。

そして、父親が子育てをすれば母親より称賛される。

確かに父親が子育てに勤しむことはできない。働いているからでしょうか…。


だけど、親という立場は同じなのに…。

私の主人は息子のことは可愛いけれど、見てあげているという、どこか自分の子どもなのに、私だけの子どもなのかと思う発言をします。

そんなこと先生も、知りません。

私は本当はいつだって孤独なのです。


義理の家族のいじめにあい、身体が悲鳴をあげた時、私は初めて自分の命に不安を感じました。

パニック障害になり、何度も子ども達を残して死んでしまうんじゃないかと恐怖でいっぱいでした。

パニック障害は今も身体から離れません。

こないだの参観日でも、極度の緊張からか、動機がし、倒れてしまいそうになりました。

胃腸も弱い私です。


そのことがあり、私は「息子の先」を常に考えるようになりました。

身体を壊しながらの育児ほど辛いものはありません。

今でも義理の妹の後ろ姿を見ただけで嫌な記憶が浮かび、心が押し潰されそうになります。



こうなってしまっては、誰かの助けや、父親の協力が必要だと思いました。

今までは娘のことも全て私がやっていたけど、これからはそうであってはいけないと思いました。

私がいなくなってしまっても、息子が誰にでも合わせることができる子であって欲しいと心底思いました。


けれど、私が働くことは自由だと思われる。

仕事が私が好きなものだから。

好きの裏にも悩みや不安はつきまとうのにです。

好きだけでは仕事はでないのに。


違うのに…。どうして伝わらないの…


私が働く理由。

それは家族のため。

それしかない。

息子が私と離れた環境で、いろんな人に接する機会を作ることで息子の未来のためにもなるとも考えました。

そして、息子には父親に慣れることをしてもらう。


私が仕事をしなければまるごと息子をまかせていたでしょう。
娘の時と同じように…。

主人は文句も出ますし、人としてどうかということも言う時がありますが、私が働くことで、息子と過ごすうち、格段と父親らしくなりました。


そして驚くことがありました。

息子はレジに行く前にお菓子を開けたりがありました。


しかし、息子が主人とお菓子を買いに行くようになり、お菓子をお菓子コーナーから自分で選び、レジに持って行き、会計が終わるのを待つことができるようになったのです。

私にはできなかったことです。


私は心から主人に感謝しました。



誰かの力を借りることはいけないことなのでしょうか…。

働く=自由

思わないでと泣きたくなりました。


いつも子どものことを思っています。

転ばぬ先の杖……

我が子が可愛いが故にいつも手を貸していた。

だけど、息子には違うのです。

息子こそいたわらなければいけないのかもしれないけれど、逆に強く生きて欲しいと願ってしまうのです。

小さなうちから社会の波に飲まれる息子。


今日も息子のことを思い、心配しながらも、子ども達のため、家族のあるべき姿を目指します。

私がいなくなっても生きれる息子、息子が大好きな父親、姉、家族一丸となって息子を支える心を持つ家族。

そんな風になりたい。

身体が離れていても、いつも心は一つ。

あの世でもこの世でも…。


思いを巡らせ地に根をはることしかできない自分がもどかしいです。



読んで下さりありがとうございます。