数年前の私は、心の内を誰にも話すことができませんでした。

息子が産まれ、義理の家族との関係がこじれていきました。

娘と母がそろえば鬼に金棒💦

やられました…。とことんに。

義理の母とは同じ嫁の立場だからと、どこかでわかり合えるだろうという思いでいたのです…。

ですが、甘かった。

嫁姑の時代は繰り返されるのか…

いいやいや(-д- 三 -д-)

そんなことあるわけがない…。
人によりますよね…絶対💦



まず、私の自尊心がやられました。 

やられたことを直球で真に受けてしまう性格の私。

言い返すことも苦手な性格。

しかもはっきり言ってくれるならまだしも、影でねちねちと裏からチクリチクリと責めるのです。

ご飯を用意してくれても、箸がないとかそういうたぐいのやつです。

言いたいけど言えない、言わさない、そんなせこさや考えに恐ろしさがありました。


だてに私より長く生きてません‼️ 

どーんと数倍返しされ、余計に身も心もやられましたとも。
( ;∀;)

それからは、
「勝とうと思うな嫁姑。」
この言葉を胸に刻みました。
( ̄▽ ̄;)

それよりも、右から左へ流すことが大事だったのだと今思います。

今はこんな冗談まじりに言えますが、当時はそれどころではありませんでした。

職業柄、上の意見は絶対で、先輩を立てて当然で、手取り足取り教えてくれるのではなく、見て覚えなければならない世界で生きてきたので、受け入れる気持ちや、我慢する気質があり、それが余計そうさせたのかもしれません。

チクリチクリされる度に、私は何をやっても駄目で、ゴミみたいな存在なのだと思うようになりました。

パワハラやモラハラにどこか似ているのです…

自尊心を少しづつ少しづつ削り取られる…

私はもはや廃人になりかけました。

小さい頃の息子は病気もあって、病院通いが続いていて、その中で自分も精一杯なのに、チクリチクリとトゲを刺してくる…

家の中だけの世界でいると、そのことだけが全てになり、苦しんでしまうのです。

今でも油断はできません。

心を許し、無防備でいると、いつやりが飛んでくるかわかりませんので、接する時は必ず心の中に防波堤を立て挑みます。

義理の妹の出産から、私の義理家族への気持ちが変わっていきました。

義理の妹とは同じ年での出産となり、同性の息子がいます。
(前にも書いたような…)

そして運悪く、義理の妹の旦那の転勤により、数年間隣の主人の実家である本家に妹が住むことになったのです。

私には何も告げることなく、主人だけにこうなったからと話すだけで…

その数年間は生き地獄でした。

私は何もしないし、お世話するのは義理の母で、とやかく言う筋合いはないということでしょうし、私もそう思います。

ですが、一言来るからね、よろしくねと、思っていなくても、義理の妹や、義理の母の口から聞けたなら…。

私の気持ちも全然違っていました。

その言葉がないということは、二人が私を見下している証だと思いました。

「いつかは帰ってくれる」と私は辛抱しました。

けれど、そのいつかが長い長い始まりでした。

住んでいる間もいつか帰るといいながら、居続ける義理の妹…。

私はその「いつか」だけにすがって生きたのです…。

いつしか「まだ帰らない」の言葉を聞いただけで体調が悪くなり、身震いまでするようになってきました。

外に出たくても、庭に義理の妹がいるだけで動機がしました。

精神が限界まできていました。

義理の両親が妹を心配する気持ちもわかっていました。

娘が親を思う気持ちはわかるつもりでいます。

でも、私達も居るのだということはすっかり忘れているようでした。

私は忘れられることが、こんなに悲しいことだと初めて知りました。

息子は名前を呼ばれることも少なかった。

娘の参観日に連れて行くのを迷っていて、そしたら、旦那が義理の母にまかせたらいいというので、少しの間見ていてもらえませんかと聞くと、よそよそしく
「いいですよ。」と言われた…。 

普段敬語なんか使わないのに…

そんなことが、何回かあった。

たぶん連れて行けばいいのにと思われてたんだと思います。

私は、比べられたこと、吐き捨てられた言葉、息子への欠落した情のなさに苦しめられました。

義理の妹の息子や、義理の母が庭の外で遊んでいるだけで嫌だった。

私が夕食を作っている時間にわざと外で騒いで娘を外に出そうとするのです。

娘が出れば息子も出て行きたがる。息子はあちこちさ迷って同じ遊びができない。

一人だけ取り残された息子が義理の母の前を通り過ぎても相手もせず、娘や義理の妹の息子を目で追うだけだった。

息子へ対する想いに傷つけられたことが沢山あります。

義理の母は、娘と義理の妹の息子が遊べればそれだけでよく、私は息子の後を追いかけるだけ。

娘は義理の妹の息子の成長を助けるためだけの役目。

あんたは息子と部屋にいたらいいんやと、思われてたと思います。

娘だけ家に来たらいいんやと睨まれたこともありました。

だけど、私は息子が可哀想で、外に負けじと連れ出しました。

言うことが聞けなくてどこまでも走っていく息子の後を、一人で追いかけました。

切なかったな…。

私はしばらくして、真夏の暑い日に半分シャッターを閉めるようになった。

外が見えないように…

今考えると異常ですね( ;∀;)

そして、昼間は家に居れなくなった。

義理の母と妹には幸せな時間が流れ、私には何もなかった。

毎日のように息子を連れて公園に連れ出した…。

そんなことをしているうちに、自分の体調にまできて離婚まで考えるようになりました。

胃が痛くて身体が痩せて、物が食べられなくなった。

ガリガリになった。

胃カメラに大腸検査。

本当にきつかったです。

しかし、縁がありまだこの地にいます。

私はどこにたどり着こうとしているのかわかりません。

ただ、娘や息子は守っていかなくてはと今も強く思います。



殻を破り、仕事を得たことで、やっと自分の自尊心を取り戻せ、さぁこれからという時に息子が自閉症だということがわかりました。

時々、もしも私が義理の妹や義理の母だったら、生きていけないだろうにと思う時があります。

しょう害のある息子や私にしていた自分達の考えを責めるでしょう…

しかし、そんなことはないようです💦

人って強い(* ̄∇ ̄*)アハッ

ある意味その強さを見習いたいものです。

いや、そんな人の心を踏みにじってまでの強さなんかいらんっ‼️

と、断じて許せない私がいます。

この想いが風化することはないのかもしれませんが、憎しみが支配する人生は送りたくないです。

愛する時間ですら足りないのですから(涙)
(;∀; )

だけど、心が壊れたのは真実で…

治る傷ではないのだと思います。

その心に絆創膏をはるのだけれど、時に剥がれ傷が痛み出すのです…。

そしてまた絆創膏をはる。

を、繰り返す私なのでしょう…。

今やっと、義理の両親は私が求めているのとまた違った形で私達家族を支えてくれていのだ思えるようになりました。

苦しんだけど、私はしていただいたお返しはしていきたいと思っています。

ただ、「していただいた気持ちの分」、という限定的な考えに対していささか私も意固地な奴だな、と考えます。

だってめちゃくちゃ辛かったもん
( ;∀;)

辛くて息子抱えてどうにかなりそうやったんやからな(涙)


と、言ってやりたい衝動にかられます。

かかってきたら、いつだって言い返せる。

でも、私は人をいじめなくて本当に良かったなと思います。

そんなのしてたら人生の終わりに後悔する。

夫婦仲もお陰で最悪になりました。

しなくていい喧嘩もしました。

けれど、息子がいるから私達は背を向けることがあってもどこかで繋がっている…。

接点がないようで、いつも同じとこらへんをぐるぐるさ迷っているのです。

それだけ苦しんだ過去があり、今も義理の妹からは私は悪くないと思われることが許したいけど許せないから苦しい時があります。

そして、私は義理の妹に、本当は一番したくない、居ても顔を見ない、話さない、を決め込むようになってしまったのです。

だけど、本当はそんな自分が大嫌いなのです。

だけどそうしないと、自分が保てないのです。

受け入れれば自分が傷つくのです。

これ以上ぼろぼろになりたくないからと、人間の自然な防御反応だと自分を許したいと思いながら、懺悔するのです
( ̄▽ ̄;)

本当は、仲良くしたかった。

本当はね、甥っ子も姪っ子も嫌いじゃない。

だけど見たくない。
近づくことができない…。

やられたことを思い出してしまうから。

今も会うのは辛いです。

毎年休みに長期で来ますが、決まって体調が悪くなります。

生きてるといろいろありますよね…。

嘆きも必要ですよね、立ち向かうためには…


ブログを初めた当初は、私完全に病んでいました。

暗い部分が全面に出ていたんです。

だけど、どちらも「自分」なのです。


普段は明るく陽気なつもりですが、考え混んだり落ちてたらめちゃくちゃ暗い。

ビビる大木さんのように、名前の前に「ビビる」とつけたくなるほど私も防御したくなる時…
ありますから💦

(ビビるさんの由来はビビるという意味とは違うそうですが💦)

浮き沈みの激しいアラサー改め、今年でアラフォーになるという私です。

息子のお陰で言いたいことはほぼ飲み込まずに言えるようになりました。

息子といると、以前よりも強くなったし、立ち向かわなければならないことが次から次に沸いてくるのですもの(笑)
(* ̄∇ ̄*)

涙腺も弱くなりました。

娘とドラえもんの映画を見たのですが、号泣してしまい、恥ずかしかったです。

隣の娘は泣かず💦

普段過酷な現場を見ているせいかな💦

ちなみに、私の左隣の女の子も号泣でした。

それにつられ、さらに号泣。

お父さんとお二人で映画館に来ていたのです。

泣いたと思ったら涙を拭いて、エンディングの星野源さんの歌を熱唱していたところにも、きゅんとしてしまいました。

娘は泣かず💦でしたがね💦

そんな娘がちょっと心配です。( ̄▽ ̄;)



こんなブログを読んで下さった皆さま。

最後まで読んで下さりありがとうございましたお願い