マイナー
てきとうにしゃべった時のほうが笑ってもらえる。それがまた笑える。笑えてくる。誰かのために生きよう、と言ってみるとどこからどこまでが嘘なんだかわからない。諦めていることだけはなんとなく確かなんだと思う。
情緒不安定な子と錠剤が手放せないけどおかげで平常心な子ってどっちのがまともなんだろう。
人の目を気にしてコンプレックスが形成されるのなら、やっぱりそれは自分のせいだけではないと思うのだけど、そういうのを総称して被害者意識とか言うんだろうなあとも思う。どうでもいいんですけど、被害者意識って言葉は不思議ですね。被害者って、加害者なんかどこにもいないのに。
それがアポリアだというオチなのだろうか
わたしは免許とか持ってないので何という名前なのかわからないのですが、信号みたいに電柱に釣り下がるような形になってる、この道をこう行くとこういうところに着きますよ、ということを教えてくれる青い表示板がありますよね、突然ですが。うちの近くにあるそれに「観月橋」という、地名なのか、スポットなんだか知らないけど、ともかくそういう字が書いてありまして。わたしは無意識に「みづきばし」と読んだんですが、下のローマ字のルビを見ると「kangestukyo(かんげつきょう)」ってなってて、「ああ、わたし今漢字一文字も読めてなかった」ということに気づいて、愕然としつつなんだかとても面白かったです。
京都は東日本にはない読み方をする地名が多くて、簡単な字の組み合わせなのに読めないということが非常に多いところです。太秦とかはまあともかく神足とかわかってるのに読めた気がしない。
それとは関係ない話ですけど、うちから最寄の書店は名前が「アポリア」と、なんともエキセントリックな名前です。どういう経緯でそんな不穏な名前にしてしまったのか、とレシートを受け取るたびに思います。
そこにいるのは誰だ
顔文字とかをまったく使わないので、よく「メールが堅い」と言われる。人が無意識に適応している文化や習俗に関しては、自覚的にどうにかこうにか要所要所で押さえているつもりだけど、わかっていてもこれだけはうまくできない。というか、顔文字はともかく、☆ってなんなんだろう。メッセとかで使ったことはあるけど、考えてみるとわからない。頭の中で発音できないし。
嘘偽りなく、大学は楽しいところです。でもどういうわけかいつも、何かが間違ってる、と頭の片隅で感じる。ほぼ成年に達した人間がうじゃうじゃいて、何か話したり笑ったりして、思い出が溢れてて、後で誰もがすばらしいところだったと人が賛美する場所。
そういう気持ちは普通に理解できるんだけど、なんだか違和感を感じる。寝起きの時とか、頭が覚めてると、これから行くのはたまらなく異常な空間だ、とよく思う。ただの思い過ごしかとも思うけど、「思い過ごしかな」と感じる時はだいたいそれが本質に触れそうな時だから、ぐっと踏ん張ってその違和感を見つめる。本当に楽しいんだけど、「楽しければそれでいいというわけではない」、といういつかの予感が、最近やたらと実感に変わってきているので、よけい気持ち悪い。
指針
知り合いを無視したらしかった。というか故意にしたので(めんどうくさかった)、ばれないようにごまかした。普通の人は、知り合いを偶然見かけたときにめんどうくさくなるというか、やる気が失せて、なんとなく無視したりするということがないのかと思うと少ししんどかった。
日に日にしゃべることが安っぽくなっていく。客観的な何かの尺度で計測してどうだ、ということは関係なく、人がまわりにたくさんいる生活をしていると頭が悪くなっていく感じがする。たぶん腑抜けてしまうというのはこういう感触のことを言うんだと思う。
去年は浪人して、東京の予備校の寮に入って、友達もほとんど作らずに一年を過ごした。あのひりひりとした、適当なことをしゃべる人を皆殺しにしたいと切望した日々の空気について、「間違ってなかった」とは全然思わないし、たとえそれが強がった殺気だったとしても、絶対に失ってはいけないものなんだと今でも感じる。東京での生活は辛かったし、穏やかな時間なんかなかったけど、いつも正しさに包まれているという実感があって、幸せだった。ただ、周りのバカに囲まれて見つけた正しさかと思うと、下らないものなのかとも思うけど。
「嫌いな虫がいた」
電柱を蹴ったところを誰かに見られた。誰かに、というのは、人の顔が見たくないからといって視力が0.1もないくせに裸眼なので(大学の講義中ぐらいはかける)、まったくの他人だったのか知り合いだったのかわからないから。知らない人なら別に見られてもかまわないし、知ってる人でも、さして問題ないような気もするけど、その後はなんとなく言い訳を考え続けた。
語学で、村上春樹の話題を扱ったTIMEの記事を読んだ。「村上春樹大好き」とか「文体が好き」とか「気持ちがほわーんとなる」とかいう恐ろしい感想の中、担当の講師と「村上春樹は雰囲気を楽しむために読むものだ」という意見が一致して嬉しかった。
わからない
なぜだかいつも、どんなコミュニティでも、「わかっている人」扱いされて、いやな面を見ないといけなくなる。「わからない人」が大勢いる中では「わかっている人」は確かに辛いんだろうけど、そんな信頼感ならいらないやと思う。だからわからないフリをしてごまかしているんだけど、まだ優しすぎるのか、心の底では「やっぱりわからない人の側にいるのは心外だ」と思っているのか、それはいまいち判断できないけどとにかくボロが出てしまう。向こう側にいることはそれはもちろん、いやだけど、気づかないことは一種の幸せではあると思う。
よぎる
京都の大学に入って、一人暮らしをはじめて、自炊したり、面識のない同学年(こちらでは同回生という)の人が事故で亡くなったり、その人たちのために祈ったり、いろいろなことがあったのにまだ2ヶ月も過ぎてない。正しく言えば、いろんなことが現にあったのであり、2ヶ月というのは数字であって、観念でしかないんだと思う。でも、いろんなことがったという実感よりも、数字のほうがリアリティがある気もする。
食器を揃えたい。小皿が欲しい。漬物をのせて、のせたものを箸でつまみ、口に運ぶ。何の疑問も浮かばない。
