ilmare便り 昭和100年

ilmare便り 昭和100年

柔らかな陽ざしを受けて、きらめく海、その海に抱かれるようにして海辺に建つ家、家の傍らにひっそりと停む、クラシカルな郵便受け――。

7月1日


父が他界しました


ずっと、長女として張り詰めていた、ここ数ヶ月


いや、いつも恐ろしいものに支配されいた62年

やっと解放されたような気がする


そして、最近、弟と別離しました


ここに一枚の写真があって、一見極々普通の4人家族の写真

しかし、違和感を隠せない


父以外、見窄らしい服を着ているのだ


父は、天皇陛下から勲章を戴くまでに出世した


でも、アル中だった

家の中でしか見せない姿


飲んで帰ってきて、朝まで母を殴り蹴りが続いた


わたしと弟は父が帰ってきたら、ドアを開ける音と共に2階に逃げた

わたしは、聞こえてくる音が怖かった


わたしと弟の救いは、別宅にいたおばあちゃんだった

おばあちゃんがいなければ、私たちはどうなっていたかわからない

大好きだった

無償の愛情を注いでくれた


わたしが帰省した時は、電車の時刻に合わせて来てくれて、駅の網みたいな所にしがみついて待っていてくれた

その姿が忘れられない



母が朝3時からパートに行っていた頃は、時々

父が女の人二人を、母が寝た途端連れてきて飲んでいた

父が真ん中に座って、女の人の手を握りながら笑顔でベロベロになるまで飲んでいた


情けなかった


でも、止めるわけでも、やめて!と叫ぶわけでもないわたし


わたしにとっては当たり前だったのかもしれない

感情を抑えているというわけでもなかったと思う


今年4回、北海道へ帰省した


帰ってきたのは、つい先日の事


帰省していた時は、昔の弟との関係だったと思う


しかし、あきらかに二人の歩いてきた道は違っていて、疎遠で、弟は結婚してから一度も帰省していなく、子供も連れて帰る事もなかった

とてもケチで

もう、考え方も、常識も何もかも違ってしまった私たち


子供の頃は弟が可愛くて、可愛くて、沢山遊んであげたり、いつもいつも、弟はわたしの側から離れなかった

どんな事でもしてあげたかった

何でも買ってあげたかった

八重歯の笑った顔が目に浮かぶ


わたしはブラコンだったと思う


帰省していた時、弟の歯ブラシが、使い込んでいて、毛の部分が大きく開いていた


その歯ブラシが目蓋の裏から離れないのだ


母は一人部屋に引っ越し

一ヶ月半しか過ぎていないのにボケが進行し

車椅子になっていた


わたしは、テーブルと椅子の間に布団を敷いて小さくなって寝ていた

母は夜中に続けてうんちを3回漏らした

介護士さんをその度呼んだ


次の日は夜中にガサガサ、ドンドンという音が続き、とうとう、ドーンという音と共に転んでいた

冷蔵庫を背に、何も履いていない足を大きく開いて、そのまま動けなくなっていた


痛ーい


また、介護士さんを呼んで助けて貰った


とても、我儘になっていた


弟の歯ブラシと母の姿を思い出して、涙が出てきた

もう、何年も涙が出なかったわたしの目から涙が溢れだした


泣いた


父から解放され、弟に丸投げして逃げて別れたわある意味安堵感だったのかもしれない


色々あった

あり過ぎた


でも、夫が側にいてくれた


夢を見た

昔働いていたTブティックの夢だ


早くに亡くなってしまったH山ちゃんと年下のNいくんが出てきて

三角関係なのだ

わたしの心は歪んでいたから、男性との付き合い方がわからなく、Nいくんの事嫌いじゃないのに、いじめていたかもしれない

そんなありえない笑ってしまう夢だった


でも、亡くなったH山ちゃんを思い出し 涙が出た


やっと、普通に泣けるようになった

悲しい事は悲しいと表現できるようになったのだ


父からの遺言を滞りなく済ませて

やっと自由になれたのに


わたしは、鬼かもしれないわたしが一番の悪なのかもしれないと思う

地獄へ行くのはわたしなのかもしれない


地面と空の間にいるような


まだ、心の整理がつきそうもない


憎んでいた父へも、可哀想な20日間だったと思う

もう、会えないんだなと思う

やっとそう思えるようになった


父との会話は電話で「ありがとうな」だった


この数ヶ月、沢山のフォローといいね コメントありがとうございます。


少しづつお返しいたしますね


台風に気をつけてくださいね


では また