皆さんこんにちは。
才能がない、とは?
イチローは、努力をしたからできるようになった、とか、天才、とか言われます。
どっちなのでしょうか?
理由は簡単です。野球をやっていたから。
野球をやっていたから、できるようになったのです。
集中力です。肝は。
集中力を侮るべからず。集中力があれば、なんでもできると言っても過言ではない。
まあ、僕もイチローではないので分からないですけどね。
人間について、「身体」と、「精神」がありますよね。心身二元論を唱えるつもりではありません。
両者のバランスが崩れると、体調を崩したり、精神的におかしくなる、ということです。
もちろん、ウイルスから来れば体に異常をきたし、同時に身体が動かせなくなるのでやる気もなくなるでしょう。無理をするとは、「身体が動かせない→やる気を出させないようになった」のを、逆に捉えてしまうことです。
もちろん、身体の不調によって、いわば自然にそうなっているので、人工的に、「やるべき」という口実をつけることは可能です。
ただ、我々は人間です。ロボットじゃないです。では、ロボットとの違いはなんなのか。ロボットには感情がないですね。人間にはあります。ロボットは、「科学」という哲学に基づいて生きています。
人間は、そもそも混沌の中を生きているわけです。その中で、秩序を与えるために、「哲学=勉強」をしているわけです。
「勉強ってなんなの?」という問いに対しては、「勉強とは哲学。人間に秩序を与えるためのもの。」と答えます。
数学が哲学?何をおっしゃる、1+1=2、2以外の答えを作ることができるか!!!!と理系の人は言いそうです。理系とはそういうことです。ある考えを、それは絶対だと信じれば、理系になれます。
数学が苦手、という方。1+1=2、田んぼの田とか言わず、そう、2なんだ、何者でもないんだ!
数学が得意な人の考え「2次関数を微分すると、1次になるのか。確かに、下がるもんね。ふーん。」
苦手な人「なんで微分すると1次になるの?どうして???」
理由はないです。単純に、2次の世界から、1次元下がるから1次になるのです。整数的に、1、2という大小関係を絶対的なものと捉えているかの違いです。
一方、文系とは何なのか?文系は、いろんな哲学を読むことになります。ほう、この人はこういう理解をしているのか、という多様な考えを見ることになります。
理系だって、1つのことにこだわっていて、ほかの考えを認めなかったら大変なことになるし、文系だって、いろんな考えがある中で、自分はどれを信じるのか分からなかったら、生きていけるでしょうか。
ということで、どちらも必要なんじゃ、てことですね。
ただ、ある考えをしっかり持っていると、文系は、いろんな学問を理解するので、それも違う、理系は、数学という世界を絶対的なものとするが、その考えが数学的でなければ、理系でもないでしょう。
その場合、自分という哲学を信じることになります。
人間とはカオスな生き物です。社会的地位、健康、など、求めたらキリがありません。
人間それぞれに、違った考えがあります。脳の細胞が1つでも違ったら、考えも変わるでしょう。
「自分には哲学がない」と思っている人も、「自分には哲学がない、という哲学」を持っています。
そうすることで、いろんなことを吸収するようになりますね。東大生は、いろんなことを学びますが、このタイプでしょう。というより、こうじゃないと、そんないろんなこと頭に入りませんね。
才能がない、とは?
イチローは、努力をしたからできるようになった、とか、天才、とか言われます。
どっちなのでしょうか?
理由は簡単です。野球をやっていたから。
野球をやっていたから、できるようになったのです。
集中力です。肝は。
集中力を侮るべからず。集中力があれば、なんでもできると言っても過言ではない。
まあ、僕もイチローではないので分からないですけどね。
人間について、「身体」と、「精神」がありますよね。心身二元論を唱えるつもりではありません。
両者のバランスが崩れると、体調を崩したり、精神的におかしくなる、ということです。
もちろん、ウイルスから来れば体に異常をきたし、同時に身体が動かせなくなるのでやる気もなくなるでしょう。無理をするとは、「身体が動かせない→やる気を出させないようになった」のを、逆に捉えてしまうことです。
もちろん、身体の不調によって、いわば自然にそうなっているので、人工的に、「やるべき」という口実をつけることは可能です。
ただ、我々は人間です。ロボットじゃないです。では、ロボットとの違いはなんなのか。ロボットには感情がないですね。人間にはあります。ロボットは、「科学」という哲学に基づいて生きています。
人間は、そもそも混沌の中を生きているわけです。その中で、秩序を与えるために、「哲学=勉強」をしているわけです。
「勉強ってなんなの?」という問いに対しては、「勉強とは哲学。人間に秩序を与えるためのもの。」と答えます。
数学が哲学?何をおっしゃる、1+1=2、2以外の答えを作ることができるか!!!!と理系の人は言いそうです。理系とはそういうことです。ある考えを、それは絶対だと信じれば、理系になれます。
数学が苦手、という方。1+1=2、田んぼの田とか言わず、そう、2なんだ、何者でもないんだ!
数学が得意な人の考え「2次関数を微分すると、1次になるのか。確かに、下がるもんね。ふーん。」
苦手な人「なんで微分すると1次になるの?どうして???」
理由はないです。単純に、2次の世界から、1次元下がるから1次になるのです。整数的に、1、2という大小関係を絶対的なものと捉えているかの違いです。
一方、文系とは何なのか?文系は、いろんな哲学を読むことになります。ほう、この人はこういう理解をしているのか、という多様な考えを見ることになります。
理系だって、1つのことにこだわっていて、ほかの考えを認めなかったら大変なことになるし、文系だって、いろんな考えがある中で、自分はどれを信じるのか分からなかったら、生きていけるでしょうか。
ということで、どちらも必要なんじゃ、てことですね。
ただ、ある考えをしっかり持っていると、文系は、いろんな学問を理解するので、それも違う、理系は、数学という世界を絶対的なものとするが、その考えが数学的でなければ、理系でもないでしょう。
その場合、自分という哲学を信じることになります。
人間とはカオスな生き物です。社会的地位、健康、など、求めたらキリがありません。
人間それぞれに、違った考えがあります。脳の細胞が1つでも違ったら、考えも変わるでしょう。
「自分には哲学がない」と思っている人も、「自分には哲学がない、という哲学」を持っています。
そうすることで、いろんなことを吸収するようになりますね。東大生は、いろんなことを学びますが、このタイプでしょう。というより、こうじゃないと、そんないろんなこと頭に入りませんね。