ブログ的雪かき -2ページ目

ユナイテッド93

 
ユナイテッド93

つれづれなるままに212本目。ユナイテッド93。

純粋な意味で映画ではない。

心に強烈なインパクトを与える作品である。ただ、その衝撃が9.11に拠るものなのか、この映画の徹底したリアリズムに拠るのかは全く分らない。そのような分析は不毛であるが、映画館を出た後に、この作品は一体なんであるのかという問いが頭から離れなくリ、その問いを何とか形にする為のとかっかりが欲しくなってしまう。

一応説明しておく。ユナイテッド93便は、2001年9月11日にハイジャックされた4つの旅客機の内、唯一目標に到達しなかった1機である。この作品は、そのユナイテッド93が墜落するまでを描いた極めてノンフィクションに近いフィクションである。墜落した機の生存者はいない事から、機内の様子はどうしてもフィクションとして描かれる。この作品では、乗客がテロリストに反旗を翻し機を取り戻すも、機体の体勢を取り戻す事が出来ず墜落してまう。という描き方をしている。

もちろん、ただ単にテロリストの操縦ミスで墜落したかもしれない訳で、この作品自体がプロパガンダである(そもそも9・11自体が自作自演という説もある)という考え方は、十分にあり得る事であり、反証はない。また、近々に公開される「ワールドトレードセンター」のような有名俳優を起用した、ヒロイックな描き方の映画のプロモーションを観ると、確かに、穿った見方をしたくなるのも分らないでもない。

しかし、そのような見方もある事を理解した上で、この作品に描かれえている事を、全て真実として、僕は受け取りたい。観た人間に、その様に思わせるだけの説得力が、この作品にはある。僕は、これまで大体1000本近くの映画を観てきたと思うけど、これほどまでに、役者の涙の演技が真実に見えた映画は初めてであり、人が死ぬ(あるいは殺される)という事の怖さを痛感させらた作品は観た事がない。

この様な強烈なリアリズムは、有名俳優を全く起用せずに、敢えて無名の役者を集め、更には、当日実際に管制官として勤務していた本人を出演させるという徹底ぶりからもきている。実際にエンドロールでは、多数のHimselfというクレジットが流れる。また、単純な善悪の二項対立という描き方もされていない。

監督は、映画を撮ろうとしているのではなく、2001年9月11日を再現しようとしている。そんな風に感じさせるものが確かにこの作品にはある。もちろん、その様な巧妙さがプロパガンダであるという見方に対する、なんの反証にもならないが。

ただ一つ言える事は、これは、よくある「この映画は真実を基にしたものである」という決まり文句では、括る事の出来ない作品であるという事だ。さらに言うなら、この作品は、最早映画ですらない。映画というには、あまりに真摯過ぎる作品だし、ドラマというには、あまりに真実過ぎる。

そして最初の問いに戻る。そして、それは最早どうでもいい問いの様な気がする。

コールドマウンテン

ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
コールドマウンテン
つれづれなるままに211本目。コールドマウンテン。

良くも悪くも安定。

南北戦争を舞台にした壮大なるラブストーリー。”21世紀版風と共に去りぬ”という謳い文句ちょっと大袈裟ではあるけれども、歴史恋愛ものとしては確かに良く出来た佳作映画ではある。

ジュード・ロウも二コール・キッドマンもいい演技をしていたが、二コール・キッドマンに生きる術を教え込むレニー・ゼルウィガーに完全に喰われていた。ちょい役で、ナタリー・ポートマンも出演している。

歴史ものの体裁をとろうと脚本は確かに頑張っているのだけれど、どうしても二コール・キッドマン、レニー・ゼルウィガー編がコメディに見えてしまう所が多々。これは偏にレニー・ゼルウィガーのキャラクラーによるものだろうが、個人的には許容範囲内ギリギリだった。

逆に言えば、歴史もの特有の重たさがいい具合に抜けているので、そういうのをいつもは敬遠している人はチャレンジしてみるといいかも。もちろん、そういうのを好む人も十分に楽しめるように作られている。

ただ、これも歴史もの常で、やはり長時間(約二時間半)である。観る時はしっかりとそれなりの覚悟をもって観よう。疲れている時に観ると確実に眠くなります。

インサイダー

ポニーキャニオン
インサイダー
つれづれなるままに210本目。インサイダー。

社会派ドラマとして奇跡的。映画としても。

この様なしっかりした作りの社会告発型の映画は、近頃めったにお目にかかれなくなったので大変貴重な作品である。例えば、同時期の作品で、割と路線が近い「トラフィック 」は確かに完成度が高い映画ではあるけれど、最終的な着地点は娯楽的なものであり、硬派な外観はしているものの、明らかにアメリカ人にとってのfeel good movieとして作らている。しかし、この映画はその様な最近のアメリカ映画の傾向である自己正当化とは、まったく逆の方向を向いて作られている。本作はそのような意味で歴史的な名作映画である。

役者もスゴイ。主演のアル・パチーノとラッセル・クロウは渋すぎ。アル・パチーノは、ロバート・デ・ニーロとあわせてハリウッドの2大大袈裟俳優で、いつもとやってる事は同じなんだが、この映画では妙にいいから不思議だ。これもマイケル・マンの力なのだろうか?ラッセル・クロウは、役作りと演技の両方で、その輝かしいキャリアの中でも最高のポテンシャルを発揮している。全てのシーンにおいて完璧な演技をみせてくれる。どうしてこれでアカデミー賞がとれなかったのか不思議でならない。「60minutes」のインタビュアーを演じるクリストファー・プラマーと、エグゼクティブ・プロデューサーを演じるフィリップ・ベイカー・ホールは、よく知らないが、とにかく凄い。また、ミシシッピー州の検事総長や、その他の脇役で登場する男達がみんな何かしらの賞をとってもおかしくないような名演をみせてくれる。

カメラの揺れを意図的に使っているのも「トラフィック」に似ているが、その使い方が実に効果的にである。トラフィックの揺れのはただの見にくさとしてか認識されないのに比べると雲泥の差である。

なお本作は、CBSの看板番組である「60minutes」が、タバコ産業の圧力に屈して、放送中止になりかけたという実話を元にしてはいるものの、脚本化の際に一部事実が脚色されている。実際の人物は、映画ほど英雄的ではないらしい。まあ、マイケル・マンが監督なんだから当然と言えば当然の話だけど。

ともかくスンゴイ映画である。久しぶりに見直したのだけれど、その完璧さに鳥肌が立ってしまった。マイケル・マンが本気を出すと、こういう映画(まあ偶に踏みハズけど)が出来上がるわけか・・・。近々公開の「マイアミ・バイス」も是非観に行かねば!


オリバー・ツイスト

ポニーキャニオン
オリバー・ツイスト

 つれづれなるままに209本目。オリバー・ツイスト。

 観る人を選ぶ。

 ロマン・ポランスキー監督が、イギリスの文豪ディッケンズの名作「オリバー・ツイスト」を映画化。と聞いて、期待が膨らむ人はこの作品を素直に楽しめる人。結局のところ、これはイギリスの時代劇であって、日本人である僕らが楽しむには、それなりの教養が必要。ディッケンズなんて全く読んだ事ありませんという人が見るような映画ではないです。

 僕は教養なんて欠片も持ち合わせていない人間なので、はっきり言って全然面白くなかった。けれども、作品としてはしっかりと作り込まれてはいる。が、はっきり言って、この作品を現代という時代にわざわざ映画化する意図が全く分からない。という微妙な所に位置していてる。というのが多くの人が抱くであろう感想だと思う。

 役者の演技も上手いし、演出も上手い。しっかりと物語に引き込まれるのはやはり名作だけの事はある。でも、これを観た後に、一般の人は一体どういう感想もてばいいんだろうか?

 僕は、「で?・・・」としか思えなかった。

 わざわざ昔の文芸作品を映画化するんだったら、やはりそれなりの意義みたいなものが必要である。

 もちろん、ディッケンズと、ロマン・ポランスキーのファンは楽しめるわけだけれど・・・。

 

スーパーマン リターンズ

 

スーパーマン リターンズ
 つれづれなるままに208本目。スーパーマン リターンズ。

 王道。

 旧作へのオマージュに満ちた、丁寧に作られた続編。旧作のファンは、オープニングのジョン・ウィリアムズの音楽でまず感動させられる事だろう。エンディングロールには「クリストファー・リーヴ夫妻に捧ぐ」というテロップが出る。如何に、この最新作が旧作を大事にしているかが分かる。天国のクリストファー・リーヴも喜んでいる事だろう。

 他にも、オリジナルに精通しているファンが見れればニヤリとしてしまう場面やセリフが随所にあるので、それだけを楽しむ為だけでも、この映画を観る価値があるかもしれない。是非、オリジナル(特に一作目)を観てから映画館に行く事をオススメする。

 もちろん、2006年に作れた意義もしっかりと見受けられる。映像面での進歩はもちろんで、序盤の飛行機の墜落を食い止めるシーンなどは迫力満点である。また、9.11以降の作品であるという事も加味されているのかもしれない。終盤では、スーパーマンの危機に市民が団結する。このような演出は、明らかに現代におけるヒーロー像を考えた上でのものだろう。

 旧作では、スーパーマンは一方的に市民を助けるだけだったが、今作では傷ついたスーパーマンを市民が助ける訳である。コレこそが、今回のテーマである「現代にヒーローは必要か?」という問いに対する答だろう。確かに無理はあるかも知れないが、現代を舞台に真っ向からヒーローを描こうとすると、これ以外に選択肢はないような気がする。

 とにもかくにも、この夏を代表するに相応しい作品に仕上がっているので、是非映画館で観る事をオススメしたい。

となりのトトロ

ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
となりのトトロ

 つれづれなるままに207本目。となりのトトロ。

 まあ良く出来ている。今更だけど。

 こないだの金曜ロードショーでやってたので久しぶりに観賞。良く出来た作品だいう事はもう分っているので、どうしてジブリ作品の中でもこれほどまでに根強い人気(特に子供たちに)があるのかを考えながら。

 この作品が公開されたのは、なんと1988年。つまりもう18年も前の作品という事になるわけだ。時の洗礼を経たものだけが本物だとまでは言わないが、まあそういう部分は少なからずある。というか、時代の空気にその価値を左右されない作品というのは、大抵の場合、何かしら普遍的なテーマを扱っているものだ。

 で、その普遍性とは何だろうと思っていたのだが、実家で甥っ子(4歳)と観ていたら、結構あっさり分った。彼は、ハーフで香港に住んでいるので、当然ながら、あの様な戦後の田舎の景色に対する記憶や理解は全くない上に、日本の文化的感覚(日本人の子供なら感じ取れるような感覚)もないのだが、まあ楽しそうに観る。

 「トトロ」は古き良き日本の田園風景描いた作品だと言うような言われ方をよくするが、それはこの作品のほんの一面でしかない。もしそれだけの作品だったとしたら、恐らく20年近くもの間これほどまでの支持を集め続ける作品にはなり得なかっただろう。この作品が、これほどまでの支持を集めるのは、特殊な時間と空間の表現があまりにも秀逸だからだと思う。

 あんまり上手い説明が思いつかないが、結局の所、子供であるという事は時間に対する経験の比率が、大人とは全く違うという事を意味している。アインシュタインの相対性理論を持ち出すまでもなく、人間という存在を基準に据えるなら、時間というもんは相対的なものである。で、その時間の相対性というものを最も感じているのが子供なんである。

 なんか余計に分りにくい説明だな・・・。まあ、とどのつまり、子供であるという事は、大人とは全く別の時間軸で生きるという事で、まったく別の時間軸で生きるという事は、まったく別の空間の中で生きるという事である。で、その時間性と空間性を象徴的な形で表現したものがトトロなんだろうと思う。

 メイやサツキにはトトロや猫バスが見えるけど、お父さんやばあちゃんには見えないとは、結局そういう事だろう。それにもっと象徴的なのは、猫バスが森を突っ切る時に木が避けるというシークエンス。これなんか宮崎駿の感覚的な相対論(特に空間的な表現)の表現だとしか思えない。また、トトロから貰って蒔いた種が、夜中に爆発的な勢いで成長するというのも、一種の感覚的な相対論(こっちは時間的な表現)の表現だろう。

 で、そういう感覚は子供なら誰しもが、どんな時代に生きていようと必ず感じるもので、それ故にトトロという作品は20年たっても支持され続けているんだろうと思う。

 大人がトトロを観て泣く。というのも同じ理由によると思う。別の時空に生きるという事は、子供であるというだけで、なにものかであるとう事で、大人になるという事は、その時空を感じられなくなり、なにものでもなくなってしまうという事だろう。

 昔は生きているだけでなにものかであったのに、気が付くと自分がなにものでもなくなってしまっているというは、大人の皆さんにはよくわかると思うが、非常に切ない感覚である。どんなに本や音楽や映画でその感覚を維持しようとしても、時の流れには誰も抗えない訳で。

 という訳で、僕はこないだの「トトロ」で泣きました。歳をとるとはこういうことか・・・。

 
 

ライフ・オブ・デビットゲイル

ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン
ライフ・オブ・デビッド・ゲイル
 つれづれなるままに206本目。ライフ・オブ・デビット・ゲイル。

 娯楽作品として支持していいものかどうか・・・。

 たぶん監督の建前としては、社会派ドラマとして作ったんだろうが、オチを観ちゃうと、かなりディープなブラックジョークでしかないような気もする。まあ作品として完成度高いので、観て後悔はしないけど、やっぱブラックジョークだよなコレ。監督が、ジョークだと思ってないあたりが、かな~りディープだ。

 脚本は大学の哲学科の教授が書き下ろしたものらしいが、無駄な要素がそぎ落とされていて、トリックもまあまあ(まあミステリが好きな人は中盤あたりでネタばれしちゃうとは思うけど)だし、かなり良く出来ている。

 DVDの特典映像では、テキサスの死刑制度の現状が紹介されていているのだけれど、これを知っていると知らないとでは、作品に対する印象が結構変わると思うので、借りた際は、特典を観る事をオススメする。

 で、社会派ドラマとして如何なものかとという問題だけど、やっぱり死刑制度に対してNOという態度をとっているなら、こういうトリッキーな主張の仕方には限界がある。真摯な問題を、真摯に扱うには、やっぱり真っ向勝負で行かないと上手く行かないんだなという例証である。死刑制度に対する問題提起としは「デッドマン・ウォーキング 」の方が遥かに有効というのは、まあそういう事である。

 ただ、決して詰まらなくないし、ケイト・ウィンスレット嬢の地響きが聞こえてきそうな豪快な闊歩を拝むという目的の為だけでも十分価値がある映画である。

スタンドアップ

ワーナー・ホーム・ビデオ
スタンドアップ 特別版
 つれづれなるままに205本目。スタンドアップ。

 左翼フェミニズム映画であるが支持せざるを得ない。

 実話を基にしているという事だが、いやはや凄い話ですね。としか言いようのない程フィクショナルな内容。そういう訳で鉱山での過激ないじめは、現代という視点から見ると、脚色されたフィクションと受け取る人もいると思うが、個人的にはかなり事実に近いと思う。そう思って見ると、これは極めて良くできた作品という事になる。安っぽい演出だなと思っちゃうと興ざめだけど。

 しかし、シャーリーズ・セロンはホントいい女優になった。出始め頃は、美人で金髪というだけで重宝されて、あっという間に消えてしまうONE OF THEM か思ったけど、しっかり自分のキャリアを磨き、かなり幅広い役をこなせる演技派と言っても過言ではない女優になった。

 で、

 この作品。映画として極めてしっかりした作りではあるんだけど、如何せんテーマが微妙だったので、位置づけが曖昧になったしまった。もちろんジャンルとしは、社会派映画なんだろうけど、社会派映画(それも実話を基にした)としては成功しているとは言い難い。

 よく出来ているだけに惜しい映画である。
 

Mr.&Mrs.スミス

ジェネオン エンタテインメント
Mr.&Mrs.スミス プレミアム・エディション
 つれづれなるままに204本目。Mr.&Mrs スミス。

 豪華キャストだけど・・・。

 金に糸目をつけずに作りましたという映画。主演二人は、ハリウッドでも高額なギャラで有名だし、二人が住む豪邸は劇中に豪快に爆破されるし、カーチェイスでは、BMWの新車が3台豪快に吹っ飛ぶ。まあ、そういう映画なので、あんまり細かい事を言ってはいけない。

 脚本は、非現実的かつ緊張感の欠片もないおちゃらけという極めてハリウッド的なもの。で、そのアクションとしての緊張感のなさは、ロマンスにも波及している。これが良くない。ハッキリいって二人の関係がどうなるのかなんて事にまったく興味が持てないような作りになっているわけだ。だだのアクション映画なら、恋愛なんて添え物程度で構わないのだけど、これはあくまでラブコメであると思うので、これは致命的。

 でも、まあ、きっとそんなつまらん事をいってはいけないんだろう。豪快で大味な映画は、豪快で大味に楽しめばいいのだ。

栗の樹

小林 秀雄
栗の樹
 つれづれなるままに26冊目。栗の樹。

 究極に圧縮された硬い言葉。

 僕が小林秀雄という作家に出会ったのは、もう6年も前になる。以来、小林秀雄は僕が最も好んで読んできた作家であり、最も信頼してきた作家であり続けている。僕にとってその位懐の深い作家は彼だけだ。

 最近は忙しさに感けて、あまり読む時間がないのだけれど、小林秀雄の言葉の特性を最近身に沁みて感じ取る事が出来る様になってきた。そう、小林秀雄の言葉は硬いのだ。その硬さ故に、急いで理解しようとすれば、あっという間に砂の様に砕け散ってしまう。何度も何度も、その硬さを確かめていくうちに、徐々にその塊は解けていき、気が付くとそれは液体として自分の体を巡っている。その様に取り入れる事しか出来ない、そんな硬さをもっている言葉らしい。6年という歳月をかけて、僕はその様に感じ始めている。

 でも、考えてみると当たり前かもしれない。小林秀雄だって、きっと長い時間をかけて言葉を圧縮していたのだ。それを解凍するのに、同じだけの時間がかかるのは当然と言えば当然の話じゃないか。

 思い返せば、初めて小林秀雄を読んだ時は全く何を言っているの分らなかったし、どちらかと言えば退屈な文章だと感じていた。それでも読み続けたのは、その言葉の硬さが妙に心地良かったからで、僕はそれ程急いでその文字の羅列を理解しようとはしなかった。

 なかでも一番心地よく、繰り返し読んできた文庫がこの「栗の樹」だ。あまりにも読みまくったので、ボロボロなり、何度も失くしたりで、今手元にあるのは4冊目になってしまった。

 この文庫には、小林秀雄の主要なコンポーネントがバランスよく納められている。多少他の文庫に比べて値は張るが、その言葉の硬さを時間をかけて味わうには、最良の選択肢としてオススメしたい。