「カナリア」 犯罪は終わりはしない
どうも。
大分ご無沙汰でした。
また今夜から書きはじめたいと思います。
さて、今晩は邦画「カナリア」です。
- バンダイビジュアル
- カナリア
かの「黄泉がえり」を撮った監督さんの最新作・・・らしいです。
いや、僕は監督さんで映画を選んで見に行くわけではないので余り興味がなくて・・・
(あ、押井守監督作品の実写は別ですよ 笑)
さて、「カナリア」ですけど。
まずは簡単な内容から。
カルト教団『ニルヴァーナ』に母親に連れられて入会した光一は妹と数年を教団の施設で過ごした。
教団が事件を起こし崩壊してから関西の児童相談所に妹と共に預けられていたが、ある日現れた祖父に妹だけ引き取られ、光一は相談所に取り残されてしまう。
ある日、妹を祖父の許から取り戻すため。教団の幹部として犯罪者として行方をくらました母親を探すため。光一は相談所を脱走する。
途中、出会ったユキと行動を共にし、出会った人々と触れ合ううちに教団で日常だった出来事と現実の日常とのギャップに戸惑いつつ成長していく光一だったがその行く手には過酷な現実が待ち構えていた・・・
と、こんなところですね。
この作品。アノ事件をモデルにしています。
自分達の信じていたもの、生活の全てだったものが偽りであると世間から言われてしまったとき、どう行動するか?その後どのように生きていけばいいのか?
また、自分の意思ではなく、半ば強制的にカルトに入れられ、生きるためにその全てを受け入れるしかなかった子供たちはどうすればいいのか?
ハッキリ言えばこの作品中では答えは示されていません。
と、言うか、問いかけだけであると言ってもいいと思います。
が、最後に光一が言うセリフに全てが集約されていると思います。
そう、事が終わっても現実は終わり無く続き、時は変わりなく進んでゆくのです。誰彼の違いなく平等に。
それを知らしめるためにも是非見ていただきたい作品です。
事件はその当事者(被害者、加害者共に)の方にとっては犯人逮捕などで終わるわけではなく、過去の記憶として生きている限り記憶に刻まれるものなのです。
この作品をみて、その辺りに思いをはせるといいと思います。
と、もう一つ。ユキちゃん役の谷村美月ちゃんがまた可愛いんですよね。
美月ちゃんを見るだけでも価値があると思います(笑)。
・カナリア@映画生活