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捜索    A BUSCA   2013年作    監督 ルシアノ・モウラ

 

 

 今回の映画は家庭問題と父の精神的傷を十五歳になる息子の行動によって解決するという、家族の心理的世界を扱った感動的な映画です。一般に十五歳の男の子と言えば子供から大人への移行期で精神的不安定と未知への好奇心と強烈な体験願望期、規制や法律を嫌う反抗期で、両親、特に父親と激突する時期です。父親テオ、母親ブランカと息子ペドロは絶え間ない意見の対立ゆえに癒し不在の家庭を作っていました。テオが「こんな筈じゃなかった!私達の為に築いた家庭じゃないか!それが…なぜ、この様に成ったのだろうか?どうしたら解決が得られるのだ?」と嘆いて言います。

 

 実はこの原因を見るメガネが120年も前にドイツの社会学者F・テンニース(18551936)が、著書「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト(1887年初版)」に提示していたのです。前者ゲマイン…は本質意志(情・地・血・主観性がベース)で成された情緒共同集団であり後者ゲゼル…は選択意志(目的・意図・客観性がベース)によって築かれた利益機能集団です。簡単に言えば、前者が情緒を核とする集団(家庭、協会、教会、寺院)であり、後者が計算機中心の企業体といえます。サンパウロ市をはじめ大都市と呼ばれるメトロポリタンは正しく後者ゲゼル…の企業都市と言えるでしょう。当時テンニースはゲマイン…からゲゼル…に移行するとしましたが、今日私達が住んでいる大都市にはゲゼル…だけではなくゲマイン…も存在しています。それは「癒し」という言葉を考えれば理解できます。人は働けばストレス・疲れが出てきますが、疲れを慢性化させれば病気になります。その病気になる前に必要になるのが「癒し」です。土・日曜日には自分の好きなことをして気分転換を図ったり、田舎の別荘に行ってまったりと休息を取ります。ここ伯国では教会・寺院に行って信仰の「癒し」を受ける人もいます。ご存知の様に神様も日曜日に休息を取りました。即ち都会で生活するゲゼル人間は少なくとも日曜日にはゲマイン人間に成らなくてはなりません。それを忘れたゲゼル集団は過労を必要以上に蓄積するゲゼル生活を美徳としています。時間外労働を始め土日曜日の過労になる家庭サービス、いやな付き合い仲間との同一行動。自動車が無ければ…、資格が無ければ…、運動しなければ…の「…ねばならない」風潮生活。限り無い程の義務的な選択を余儀なくされるゲゼル生活が日曜日を侵害しています。テオの苦悩はそこに有ったのですがこの分析理論に遭遇してはいなかったが故にゲマイン生活を日頃怠っていたのです。

 

 この映画はそのテーマと解決策のモデルを提示しているようです。思春期にある息子の無謀とも思える行動が結果的に、意外にも解決策になったという、社会に一石を投じるような作品です。映画を見ながら「神話の力」の著者ジョセフ・キャンベルが「戦争は仲間の絆を強くする…」と書いていたのを思いだしました。離婚した父親・母親は子供の家出にパニクりながら一体となっていく様子がうかがえます(自己、家庭、社会の理想と現実…の戦争)。息子というゲマイン…の中心的存在を失わないとする本質意志を極限にまで直面させられる父親、パニックに入りながらも「息子が生きている!」という希望で苦境を乗り切り捜索をあきらめない姿は霊場巡りのお遍路たちの精神的葛藤を扱った映画「ワーカーズ」を見るようです。

 

 息子(父親に理解されていない)にとっての祖父エミは自分の血が求める親愛なる者であり、愛する恋人に初対面するようなロマンを秘めた出会いだったのです。「愛は何ものをも超越する」と言われるように老馬(老婆じゃない)を失くした一人住まいの祖父の為に新しい馬を贈るべく、その馬に乗っての一千Km冒険旅行でした。その結果、祖父と父の精神的外傷と理不尽な疎遠関係を解く鎹(かすがい・媒介)の役目をも成した事になります。

 

また、父が発見した息子は秀でた才能と勇気と愛情を持った理想の息子であり、なによりも父親と祖父との友愛関係を再構築した親親孝行息子です。しかも、少年には不可能な1千Kmの馬上旅行を自給自足しながら成就したという血族の誇りと神話を創った体験記でした。 

 

 息子が十五歳の誕生日を迎えた日にその失踪事件が起こりました。父親が息子に「海外留学の説明会」に参加する旨を予約しながら、それに出席しなかった息子に激怒…息子は逆切れして「お父さんが一方的に決めたんじゃないか!」と食って掛りました。しかも、テオは疎遠・対立・闘争中の父エミリアノ(以後エミ)から孫(ペドロ)への誕生祝いの贈り物として届いたエミ自らの手作り椅子が気に食わないとして破壊しました(坊主憎けりゃ袈裟まで憎い!テオの父エミとその孫ペドロの仲の良い関係を忌み嫌った)。故に怒り狂った息子ペドロは家出を決行!…と言いたいところですが、本当は緻密で計画的な…祖父の住む東北伯への馬上一人旅だったのです(西部劇のガンマン…カッコいい!)。

 

 息子が家出したその夜から元夫婦による息子の捜索(A Busca)が始まりました。息子を捜す為に父と母が心身・金銭ともども多大なる犠牲を払って三州の地を捜しまくるのですが…最後の最後に息子の行き先が祖父の家だと分かります。「ご無沙汰している父に替わって…」とか言う大人染みた意図ではなく、純粋な子供心に存在する血の繋がった祖父、しかも手紙で交流し合った懐かしい祖父に会いたいというものでした。それは血から出た本質意志と祖父に馬を贈りたいという選択意志が統合した形での行動でした(実に、やる気と成功はこの様な型を成している!)。

 

 息子の目的を知ったテオは一足先に目的地に到着し、数十年会っていない自分の父エミに会います。そこで目にしたものは息子が描いて祖父に贈った似顔絵や馬の絵でした。テオの父エミは微笑みながら大きな声で「俺の血である孫は素晴らしい才能を持った絵描きじゃないか!」と言った時、テオは誇らし気に「私は息子の偉大さと才能を今知った!彼は馬に乗って二つの州を越えてここに遣って来ているんだ!」と言うと父エミが嬉しそうに「馬でかぁ!孫が私に馬を届けに遣って来ているんだ!」と言いながら二人の血の繋がりを喜び称えあったのです(その時、二人の嫌悪なる柵・しがらみが消え去ったのです)。窓を見るとペドロが目前にいました。テオは完遂した勝利感を持った息子の笑顔に応えて、嬉し涙をうかべながら祝福の強いハグを贈ったのでした(この時、二人はゲゼルの柵から解き放たれていました)。