夕方、出勤前にシャツにアイロンをかけていると

太鼓の音と共に、ハァ~♪などと、何か楽し気な声が

聞こえてきた

 

ベランダから覗いてみると、浴衣姿の女子が二人、三人と

少しワクワク感を漂わせて歩いているじゃないか

 

おー、今日は盆踊りが近くの小学校で開かれるのだ

私も行ったな~ 5年ほど前

タイ屋台でココナッツ激甘焼き鳥を食べた

 

ズンドコズンドコ月が出た出たイエロ~サブマリン

みんな楽しそうに踊っていたな~

 

そこの浴衣にサンダル履きの女子たち

盆踊りは何のためにするんでしょう?

 

先祖や亡くなった人を想って供養をするため…

う、知ってたのか

 

しか~し、本当はちょっと違う

盆踊りとは、ゾンビの様に手をブラブラしたり首をコキコキして

‥今夜だけでも死んでれらボーイ(オヤジギャグじゃが)と

みんなで輪になって踊りながら自分が死者になる日なのだ

 

盆踊りのルーツは念仏踊りにある

平安時代、雨乞いや豊穣を願って踊っていた農民たちに

空也や法然が念仏を唱えながら踊ることを示した

 

南無阿弥陀仏‐仏様に帰依し、わたしも仏になります、と

唱えながら踊ったのだ

死と隣り合わせで生きた厳しい時代の開放の一時だったろう

 

しかし現在では死はとても隠蔽された状態にある

霊柩車は縁起が悪いと目立たぬ黒塗りのワゴンになり

死を迎える場所は家から隔てられ、施設や病院に変わった

家畜や自然の中の生物、ペットの死を見る機会も減ったろう

 

人生がずっと続くと勘違いして、つまらない妥協を続けたり

分かっているのに実行していなかったり

愛してない人達に愛想笑いを振りまいたり

明日ばかりを考えて、毎日そんな風に生きてはいないか

 

前日に一緒に酒を飲んだ友人は翌日、永遠に起きない姿となり

20下の元気一番のスタイリストは朝旦那さんの隣で息絶えていた

明日は自分もそうなるかもしれない

 

盆踊りは、そんなことに気づかせてくれるディア・デロス・ムエルトス

生をもっと積極的に見つめる為にある死者の祭典なのだ

2か月ほど前にTVのリモコンが壊れて

釣竿の先や園芸用の蔓の補助棒なんかで

苦労してチャンネルを変えていたんだけど

 

これ、変えても同じ事しかやってないんじゃないの

って事に気が付いた

ザッピングを止めて見ていると

普段見ない番組にいろいろな発見があって楽しい

 

この浪曲師のおばさんの顔、前世はジェームスブラウンじゃないの 

とか、キッズ番組に出てるこの子本当は35くらいじゃないの、や

 

 TV通販も音を消して見ていると(この時は園芸棒を使ったけれど)

出演しているお姉さんたちの表情や目が

ごめんねー本当はお勧めしたくないのよー

こんなのぜんぜん効かないのよー

実は私も使ってないの、お願いだから買わないでね

みたいに言ってる様で面白い

 

最近のマイブームは選ばないこと

スーパーに行っても、こっちのキャベツの方が円周率が満たされてるな

宮城産より静岡産の方がやや安心できるな、なんて考えない

 

そんな事を思っていたら、今度スーパーに来た時に

ちょうど良い太さの大根が無いな、産地も気になるし

あんまり好きじゃないけど今夜はモヤシ炒めでいくか、ってなる

それって選んでんじゃなくて、選ばれてるんじゃないの

 

みたいな事を考えつつネットニュースを見ていると

‣情報爆発で買い物がストレス化‣

20代の男女は買い物に関心はあるけど「あえて選ばない」を選択

(博報堂買物研究所分析)ってあるじゃないか

 

げっ、選んでたのは我々戦後のアメリカの畜産用給食を食べていた

貧窮世代だけだったのか、と衝撃を受ける

 

今の若者はそこまで悟っているのか、と思ったが、よく読むと

‥自分のお気に入りをイチから探すのではなく、選択して示して欲しい

それで良いのか、販売側に任した丸投げ状態、いや

丸投げられ状態で、失敗しない保証が欲しいって、どうなの

 

別のネットニュース

‣ドイツでは羊水検査を行っていた研究所を優生思想反対派が爆破‣

爆破は良くないとは思うけど、選択しないっていう思いには

自分を世間の価値観から自由にし、開放するっていう強い心も必要だ

 

神が死んだ現代では、善と悪、真理と虚偽といった二元論的な

世界観は通用しない

すべてのものは無価値であるというニヒリズムからではなく

自分の意志のよらない選択であっても、その結果を受け止め

全力で肯定していかなければならない、って

 

最近キティちゃんのお気に入りのニーチェも言っている

人は山登り派と波乗り派に分けられる

って話を聞いた事があるけど

スーパーボランティアの尾畠さんは

完璧に山登り派なんだろうな

 

目標をしっかり決めて

その場の状況や展開に流されずに

地道な努力で進んでいく

 

「子供は山に登ったに違いない」なんて

さすがに信念を持ったスーパー山登り派だ

 

山登り派は自分の価値観や欲求を周りの仲間の

中で作っていくので団体生活になじみやすく

現代の様な社会ではリーダーシップを取りやすい

 

一方の波乗り派は決まった事に固執せずに

流れて来たものに乗って柔軟な対応ができるけど

 

方向や軸が定まっていないと状況に流されて

すぐに周りと同調して信念を変えてしまう

 

山登り派がきっちり予定を立てて頂上に向かう

クライマーなら

 

波乗り派は山を滑り降りる

孤独なスノーボーダーだ

 

せめてスキーだったら皆で楽しく滑りながら

ちゃんと前に進んで行けるけど

 

ボーダーはいったんリフトを降りてしまうと

目標をはすに見ながら一人山を滑り落ちていく

 

ずーと昔、適応能力がない一匹のサルが

仲間たちの住む樹から地上に落とされた

 

枝をつかむ足は歩くために変化して

洞窟に住み木の根や死肉を食べるようになった

 

その洞窟には

自分たちの手形と共に動物たちの悠然とした

姿が描かれていたという

 

自己観念と他への共感能力を持ちあわせた

世界最初の芸術とも宗教画とも言われている

 

たとえ波乗りスノーボード派でも

周囲と上手くやっていこうと無理せずに

少し苦しい思いをしたとしても

 

周囲のことや人とは距離を置いて

孤独な道を模索するのも良いんじゃないかな

 

昔、たまが「さよなら人類」で唄っていた

 

サルにはなりたくないサルにはなりたくない

こわれた磁石を砂浜でひろっているだけさ

今日人類がはじめて木星についたよ

ピテカントロプスになる日も近づいたんだよ

 

って歌詞好きだったなー

仕事が終わった後の楽しみは

冷奴で飲む焼酎とTVの深夜番組につきる

 

昨日帰ってさっそくTVを点けると

やってました「チコちゃんに叱られる」

この番組はとても面白い

チコちゃんの声をキム兄がやってるのも良いな

 

今回のテーマは「人はなんでペットを飼うのか」

 

ペットへの溺愛ぶりを路上インタビューした後

ゲストがいろいろな答えを推理する

 

大竹まこともとぼけているけどYOUは面白いね

深夜で少しエロティックに百合族を描いた

ドラマで見てから結構ファンだ

 

‥そしてチコちゃんの回答

 

ペットを飼って愛するという行為は

石器時代集団生活をしていた時に

周りの人に食べ物を与えたり与えられたりして

共存していた頃の名残である

 

赤ちゃんが母親にオモチャをあげて笑っている

幸せそうなVTRなども流されて

 

与えるという本能が人にペットを飼わせるのだ

と締めくくられていた

 

うーん確かに NHKらしい解答だ

 

でも集団生活での分かち合いというのなら

当然ルールに従わない人も出てくる

貰いっぱなしの人に対する恨みもあったろうし

 

無視するボコボコにする集団から追放する

なんて事もあったろう

 

犬はさておき

ネコがエサの分だけ芸をしたり

媚びを売ったりする話はあまり聞かない

怒って追い出す飼い主もいないだろう

 

集団生活していれば

他の集団との対立や搾取などの行為もある

 

進化した人間意識の高まりの中で

他種の生命を食べなくては生きれない

そんな罪の意識も出て来たろう

 

ペットを飼って愛する気持ちには

贖罪という心もあったのではないだろうか

 

自分が生きるために食した生

与え返さなかったため追放した人たち

自分が生まれる時選ばれなかった命

 

そんな事を考えながらペットを飼って

無償の心で糧や愛を分け与える

 

本当は人への愛もそうなんじゃないかって

ちょっと酔いながら思ったりした

 

あの時に違う選択をしてたらなー

人はそんな後悔を抱えてパラレルワールドを夢みる

 

最近見た「バタフライエフェクト」はタイムワープ

に目覚めた青年の苦悩と絶望を描いたちょっと切ない映画だ

 

ある日、彼は幼馴染で初恋の相手だった女性が

現在とても不幸な人生を送っていることを知る

 

過去に戻って、その不幸が自分の行動や選択が原因

している事を知った彼は、その選択を変えてみるが‥

現代に戻って来るともっと悪い結果が待っている

 

‥そんなもんかもね

 

映画は戻って選択、もっと悪くなって戻って選択って話が

繰り返される

 

‥ちょっと飽きるな

 

結果、やっと彼女は幸せになる

大人になった2人は街ですれ違い、また恋の予感が-

って定番で終わるんだけど

 

劇場公開のこの定番に加えて、別のエンディングも2つある

 

街ですれ違っても声はかけない、もう不幸にしたくないもん

というDVDおまけバージョン

 

そんなに甘くない、自分が生きてる限り、彼女は不幸になる

こうなったら生まれる前の胎内に戻ってへその緒で首つりだ

なんていうディレクターズカット版

 

お金を払って不快です、自己犠牲より自己否定って

人間としてどうなのって、レビューで叩かれているけど

このディレクターズカット版、なかなか良いと思う

 

この映画を見ているとキルケゴールの著書「死に至る病」

を思い出す

 

キルケゴールは、絶望こそが死に至る病であり

その絶望を人間が想像や空想で乗り越えようとすると

絶望は永遠に続くと書いている

 

彼はキルケ(教会)ゴール(庭)というくらいの熱心な

キリスト教徒で

ここに生きている自分が一番大事という実存主義者だ

 

自己が神を尺度とする自己に変わらず

内省的に自己意識を高めることは

絶望という死に至る病を悪化させるだけだと考えている

 

監督も主人公の青年が過去の選択を変えようとしたり

その上に人生を築こうとしても永遠の絶望を味わうだけ

 

実存的に生きていない自己を開放し、魂の段階から

やり直した方が良いって考えたのかもしれない

 

神はいなくても、メンタルコーチの付いている最近の

スポーツ選手たちは、成績が振るわなかった試合後

 

結果は出ませんでしたが、とても良い気づきになりました

これを生かして次は完璧です、と今を必ず肯定する

 

コメントとしては少し面白みに欠けるけどね