こんにちは。


最後にブログを書いてから一か月近くたってしまいました汗

最近何をしていたのかと言いますと・・就活で忙しかったわけでもなく・・・



遊んでました^^^▽▽^



いや6月はそれなりに忙しかったんですけど7月は遊びまくってました。



就活?ナニソレオイシイノ・・・?

内定なんて決まってません^^^^


でも僕もう疲れたよ・・パトラッシュ・・・

中休み?も兼ねて遊んでます。笑



でも、一番の理由は・・



片思い相手が来日していること。笑




まあタイトルを見てピーンと来た人も多いと思いますが・・そうなんです。

忍は只今片思い中ですドキドキ

しかも海外の方に・・笑



相手の国はブラックジョークがお国柄!な所です^^^^



これも話すと色々長くなりそうなのですが・・どうやらかなわぬ恋になりそうです。笑

彼との出会いは2月の頃なのですがそこから色々な話をして・・

そしてもちろん私が好きな事も伝えています^^^^

でも・・どうしても地理的な問題があって前も、そしてこれからも友達以上恋人未満な関係になりそうです。


私としては友達としては好きの範囲だけど彼女として見れないんじゃないの?!

と思うこともありますが・・前にそう言ったら


『オマエハバカカ?』


とご丁寧に日本語で打ってくれました・・爆笑

あー・・でも実際に生で会ってる今はどう思っているのか詳しくお話ししたわけではないから・・良く分からないんですけどね^^;



彼自体は日本で就職をすることを強く望んでいるようですが・・日本語のレベルが初級であることと今大学に通っていること。

でも卒業する前に一年実際に働いてみたいこと、そして卒業するのに2年は在学しなければいけないこと。

要するに・・彼の夢がかない日本で働けるようになるまであと3年はかかるのです・・


まだまだ先の見えない話ですし・・そんなに長い間滅多に会えず、チャットかスカイプなんかの映像通話だけで三年間やりとりするのはなかなか難しいですし・・さびしいですよね・・・・

その事に最近気がついて愕然としました。笑


なんて先の話なんだろう・・


実は私はなぜ彼はこんなに彼氏彼女の話に否定的なのかよく分かっていなかったんですね。

一年後日本に来るつもりだけどその時にならないと分からないという話は聞いていたんです。

生で会っている訳でもないですし、そのころやっと海外と日本の恋愛の違いが分かったので納得できていたんですけど・・

で生で会ってでも断られて・・悲しかったですけど(笑)でもどうしてこんなにアヤフヤな関係のままなのだろうか・・凄く謎。


そんな時に友人と3人でお茶していて色々気になったことを2人で質問していてやっと、やっと全てのパースがそろいました。

というか勝手に思い込んでいた事もあって・・私の勘違いでパースがそろわなかったんですね・・




日本人は単身赴任とかあるので耐性ありますけど、海外の方には信じられないようですね・・^^^^;;

純粋な文化の違いでしょうね。

昔から結構日本の女性は旦那の帰りを家でだまって待つ習慣があるし・・今はもう時代錯誤な所がありますけど・・でもなんとなくその名残ありますよね。



その名残を受け継いだ(?)私はまた会えるなら思い続けて待てる!!と思ってるんですけどね・・

でも彼は違う。





こんなにも恋人になるのに難しいのに、友達としてしか見れないとか、恋人としては見れないとかいうわけではなく・・日本にいるのはしばらくの間だけだから、だから友達。という彼・・





なんて酷い男なのだろう。



そう思えたらどんなに楽なことか。

じゃあもし一緒にいられるようになったら違うの?とは怖くて聞けませんでした^^;

でも一度ちゃんとその話はしないといけないと思うので・・今度頑張って聞いてみようと思います!


正直・・日本滞在中の丁度いい暇つぶし相手とかキープちゃんとか思われてるんじゃ・・と思うこともありますし、疑うことはいくらでもできて簡単です。


でも、疑い続けて悲しい思いを抱き続けるより自分の好きな人なんだから・・信じたい。

信じることは難しいことだけど・・その先の幸せを願いたい。






とまあ色々書きましたが・・私、英語ほとんど出来てませんよ!!爆笑


えっじゃあどうして???と思われる方も多いはず^^^^


本当に中学生以下なことしか喋れません。涙

文にするのであれば少しはましになりますが・・・・汗

言われても半分以上理解できてません(´;▽;`)


ええまったく・・お前はよくそんなレベルで好きだとか言えんのな?(笑)といわれても反論できません^^;



世の中には便利なものがありまして。笑

チャットであればヤホー翻訳さんを使用して・・あと辞書と高校までの英語の記憶を頼りになんとかできます・・笑

まあでも、翻訳ツール100%使用なんてことだけは絶っっっ対やめたほうがいいです!!

結構な頻度で変な文になってますから!!

ちゃんと分からなかったり不安な所は辞書で確認しつつ・・最終的には自分で読んでみて確認した方がいいです!

ツール使っていることも少々失礼だと思いますが・・あくまで話したい!という思いをかなえるための補助ということで・・

最終的には補助なしで話せるようにするための間使っている補助輪ということを忘れないようにしたいと思います。

相手に期待して甘えっぱなしはどうかと思うので。



大切なのは話したいと思う心と感心です。



それさえあれば会話はなんとかなります。

あとは生身で会ってる時ですね・・笑



これはもうツールは役に立ちません!!

辞書と・・そして気合いとガッツとボディーランゲージで!!!!!!爆笑

すでに言った通り話したいと思う心と感心さえあれば・・そこそこうまくいきます^^;


でも半分以上意思疎通できませんが・・アッー!

しょうがないよね!ってあきらめるんじゃなくて・・次はもっと話せるように頑張ろう!

という気持ちが大切なんだな・・といつも思います。



だからがんばろう!!




今日は普段よりちょっと饒舌になろうと思います。

だから本日2回目の更新^^




私は思春期の頃から希死念慮を常に抱いていました。

ただただ漠然と、時に唐突に。

嫌なことがあった時『今ここで死にたい。』殺し屋が来て撃たれたらいいのに、一瞬で死ねたらいいのに。

何もなくても『今ここで死にたい。』砂のように風に溶けて一瞬で死ねたらいいのに。


自分をこの世界からかき消したい。

なかったように消したい。



常にそんな事を思っていました。



もっと酷くなりだしたのは祖母が亡くなった時からでした。

私にとって祖母の存在は本物の"母"を感じさせるような愛おしく、大切で本当になくてはならない存在でした。

でもその事に気がついたのは亡くした後でした。

人は大切なものをなくしてからやっといかに大事だったか気づくんですね・・



亡くした時はまるで世界がモノクロのようにしか見えませんでした。

本当に自分でも驚くほど色が感じられなかった。

色は確かに見えているのに全てが白と黒のトーンでしか感じなかった。




それからはひたすら祖母のもとに逝きたくてたまらなかった。

すがりついて泣きじゃくって叫びたかった。

また与えてくれる愛を全身で感じたかった。


時々祖母との優しい愛で満ちた思い出に浸りながら、より一層強い死への思いを抱いていました。

死んだ時は祖母と同じ墓に入ることや遺書を書くことまで考えていました。




何がそこまで死への願望を抱かせるのか、私の家庭環境が理由以外の何物でもない事は明白なんですけどね。

親からの束縛や服従も高校までだと思っていました。


そう信じて生きてきました。

もうあと少しで・・私は自由に色々なことができるし苦しむ事もないんだと思っていました。



でも人生はそんなにうまくいかないんですね・・。

今まで変わらなかったことがすぐに変わることなんてありえない。

結局は多少自由になった生活が送れるようになっただけで根本的なことは何も変わらなかった。

その事に気が付いていれば理想と現実の間でこんなに苦しむことはなかったのに。


時を重ねるにつれ高校で過ごしてきた日々と同じような生活にだんだん戻って行きました。




それがもう耐えられなかった。




指折り数えて待っていた自由と苦界から抜け出せる希望が現実にならない事。

そして徐々に戻りつつある生活が終わりのない地獄のように感じた。

もう限界だったんですね。

長年蓄積された苦しみが心を蝕み、まるで爆弾を抱えているようだった。




早くこの苦しみから救われたかった。




今すぐにでも終わらせたかった。




死にたい。




でも自分で死ぬのはやはり怖かったんですね。

やっぱり死ぬのは怖い。

死ぬときの苦しみ、そのあとどうなるのか。

怖い。



だけど死にたい。




ただひたすらいつか来る死を今か今かと待ち望む日々でした。

そうしてより一層強くなった死への願望のせいか体に異変が起こり始めました。



睡眠不足、胃酸過多、食が細くなる、ヒステリック球・・



ヒステリック球はひどかった。

物を飲み込むのもつらくて辛くて・・

喉の奥に何か詰まっているような嫌悪感・・苦しさ・・

しょっちゅう食べ物も詰まらせました・・




そんな日々を過ごしていたある日、ホームに立って電車を待っていると走ってきた電車になぜか体が吸い込まれるような感覚を感じるようになりました。

立っているだけで感覚がフラフラしてきて走ってきた電車に体がスー・・っと吸い込まれるような気になるんです。



あっ・・私このままだといつかきっと吸い込まれるように倒れてはねられる。



そう思いました。

でも、もし、それで死ねたら・・・それはめっけもんだな、と同時に思いました。

だから自然に体が倒れて死ねる日を待ち続けました。



だけど心のどこかで"助けて"と叫んでいたんだと思います。



思い切って叔母にそのことを言ってみました。

ボロボロに泣きながら祖母のこと、死にたいこと、苦しいこと。

一度に言えるところまで吐露しました。



その時に電話で、それでも私はあなたに会えることを心待ちにしていたんだよ。と言われました。




あなたのお母さんもそう。

みんなみんな、あなたが生まれてくることを楽しみにしていたんだよ。




そう言われました。



ホームでボロボロ泣きました。

その言葉をきっと待っていた。

私の存在をつなぎとめてくれる言葉が欲しかった。



死んではだめとか、考えるなとか、否定的な言葉なんていらなかった。

私のことを思う人がいるなら頑張って生きよう。

もう一度そう思わせてくれました。



その時にいつまでも過去に囚われてはいけない、とも言われたのでしばらく祖母との思い出とはサヨナラしようと思いました。

生きるのに大切なのは未来に進む一歩ですから・・



その後数か月はその思いで前向きに生きる努力をしました。

今日は大分長く語ったのでまた次の機会にでも続きを書こうと思います。




そういえば自分の病名を間違えて打っていました。笑



(´▽`)


すみません。


正しくは持続性気分障害でした。





この間病院に行った時両親との接触時間を一週間35時間以内にするようアドバイスされました。

鬱のような病気を持っている人の家庭は過干渉であったり、人格否定、また威圧されたり等のパターンが多いそうです。

そしてもれなく私の家もこの部類に属しています。笑

そうするといくら回復しても家族との接触により社会復帰が困難になるケースが多いとか・・


要するに家族と接する時間が長ければ長いほど病気は治らないんですね。

そのボーダーラインが一日5時間が目安だそうです。



これがなかなか難しいのです。

部屋に引きこもっていれば会わずに済むのでいいのですが・・



引きこもっても部屋に入ってきて話しかけてきますからね。





(´▽`)



あと気をつけなければならないのが接触時間です。



会話だけでなく会う、見るという要するに同じ空間を共有する時間もカウントされるということです。

同じ部屋にいるだけでアウトなんです。

そういうわけで一週間35時間以内に済ませる事が中々難しいです。



そこで私がせめてもの対処として考えたのが認識しないことです。

そもそも気に留めるような存在でない、知らない人として接する。

知らん顔ってやつです。

話しかけられたら応対しますけど、それ以外は誰か人とすれ違ったくらいの認識レベルまで意識しないように心がけました。

あとなるべく顔を見ない、目を合わせないことです。


私自身としては心を許していない存在であるアピールにもなるのでいいかな・・と思ってます。