トルコ学生スカーフ解禁 | オハイオ・シンシナティから

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『女子大生のスカーフ着用解禁へ=改憲案を可決-トルコ国会(2月9日 時事通信のニュースより)

 トルコ国会(1院制、定数550)は9日、イスラム教徒の女性に大学でスカーフの着用を認めるようにする憲法改正案の第2回採決を行った。トルコからの報 道によると、エルドアン首相率いるイスラム系与党・公正発展党(AKP)の議員ら全体の3分の2以上が賛成に回り、可決された。改正案は今後、大統領の承 認を経て成立する見通し。

 トルコでは1980年以降、世俗主義の守護者と自任する国軍の意向により大学でのスカーフ着用が禁止された。』

 

 トルコで喜ばしいニュース。単にニュースの文面を追うと、トルコがイスラムにより傾倒している、というようにも聞こえるんだけど、トルコの事情をネジャーティから聞く限りでは、今の首相はイスラム系の党の出身ながら、以前の政権よりよっぽど民主的らしく、イスラムだけでなく、キリスト教など他の宗教活動が自由にできるようにしようとしているらしい。だいたい宗教心が本当にある人は、力ずくで物事を推し進めたりしない。力ずくというのは軍の方だろう。

 

 以前の政権までかなり介入していた軍はイスラムを初め、宗教色を排除する主義で、スカーフの件に関しても、公立、私立問わず、大学では認められてなかったらしい。他人事ではなかったのが、当初ネジャーティはトルコの大学に戻って教える側になる予定だったので、もしスカーフをしている学生を見かけたら(禁止だからしている学生はいないんだろうけど)、注意しないといけない立場にあった。

 

 スカーフをしようがしまいが個人の自由と思ってるのとは裏腹に、方針としてそうしないといけない、というのがあって、もしそういう状況になったらどうしよう、と言っていた。結局はトルコの大学に戻らなかったので、その悩みは取り越し苦労に終わったからよかったんだけど・・・。

 

 国が特定の宗教に圧力をかけたり、逆に保護したりしない、国はとやかく口を出さないというのが、あるべき政教分離の姿で、宗教色を排除するのが政教分離だとすると、宗教を認めない、といってるもので矛盾している。

 

 どこの国もそうなんだろうけど、軍が力を持つと、規制しようとしたり、閉鎖的になったり、自分たちの特権を考えるようになったりする。人々の生活がどうなるのかということは頭にない。今のトルコ政権は、しばしばかけてくる軍の圧力を払いのけて、人々がよりよい生活ができるように努めている、という印象を受ける。