学生時代の先生を偲んで | オハイオ・シンシナティから

オハイオ・シンシナティから

シンシナティ郊外での日々の暮らしを綴っています。

12/19
 某コミュニティーサイトで、たまたま卒業大学のあるゼミのページに行った。そこで今月に入って、その先生が亡くなったことを知った。在学中はまだ30代だったと思うから、まだ50代前半か半ばという若さだった。

 このゼミの先生や学生とは3年次に縁があって、3年次の必修科目だった授業の先生というだけでなく、この年の夏休みに参加した語学研修の引率の先生で、そのゼミ生も5,6人が参加していた。

 前の年は円高で語学研修に行くにはよかったんだろうけど(その年は円安で1ドル150円台後半→滞在中に140円まで上がった)、周りで誰も行く子がいなかったこともあったからか、3年次に参加した。この時は自分と同じゼミ生もいたし、同じ下宿から私も含めて3人いたし、知ってる子が多かった。

 当時の教員の中では若く、パワフルな先生で、高校の時に甲子園に出たという経歴もあり、野球好きの学生には慕われていた。語学研修でも一度全員でピッツバーグ・パイレーツの球場に足を運んで野球観戦をしたり(もう一度行きたいという学生は先生に後日連れて行ってもらってたらしい)、同じ寮にいたアメリカ人学生とも野球かソフトボール大会を通して交流したり、楽しい語学研修をサポートしてくださった先生だった。

 アメリカのどの大学院かわからなかったが、留学経験がある先生で、ある日、夏に開講されていた大学の国際政治の授業を聴講する機会を作ってくださり、先生ともう一人の学生と一緒に聴講に行ったり、時にはキャンパスの芝生の上の語らいで、将来の進む方向を聞いてくださったり、学生にとても親身になってくださっていた。私も将来、留学したいなという漠然とした夢はあったけど、最初にアメリカの大学院への留学の道を進めてくださったのがその先生だった。

 後にその時に聴講した学生も別の州で大学院に留学したし、この研修に参加したそのゼミの学生にも大学院に留学した学生がいたらしい。

 その先生がオハイオで留学生活を送っていたことを今回知った。一度落ち着いたらご報告も兼ねて、その先生に連絡を取ってみようかなと思っていたことがあったけど、それも叶わないことに。

 先生、早く逝きすぎですよ。でも本当にありがとうございました。