最近の話
本当に久しぶりにブログを書く。
かけなかった理由は、本当に自分がやりたかった仕事を選ばずに、できる仕事を選んでしまった自分が嫌いで、
認めなくなかったからだと思う。
でも、それでもご縁あって始めた仕事を続けてもうすぐ1年がたとうとしています。
正直1日目から辞めたいと思っていたのでこんなに続くとは思いませんでした。
なぜ続けられたのか?それでもなお、いまなぜ自分の中に孤独と自由への渇望が残っているのか?
それを私はブログで発信することにより、自分と向き合ってみたい。
なぜ続けられたのか
これは、「自分の居場所と承認欲求を満たしてくれたから」
これに尽きると思う。
なんだかんだ、チャレンジを選ばずにできる仕事を選んだといえど、
好きでなかったら選んでない。
最初は、フルリモートワークがよかったけれど、地元で接客をして、
人と直接かかわれる仕事は、やっぱり楽しいな。とも思う。
考えてみれば、地元に帰ってきて、一人でフルリモートワークから始めるのは、
結構さみしさ募るだろうし、人に依存もしてしまうと思うので、
それに関しては良かったかなと。
そんなこんなしていたら、1年足らずで昇進の話も出てきたので、
あの時、フルリモートの仕事を選ばなかった自分は今でも後悔しているけど、
この道は、その当時の私の心境としても、きっと選ぶして選ばれた道だったのだと思う。
総じて、とっても大変だけどとってもやりがいがあり、難しいけど楽しい仕事です。
それでもなお孤独を感じる理由
地元で人と直接かかわり、仕事終わりに飲みに行く友達も増え、
なのになぜ孤独を感じるのか?
みなさん、ふと大人数で楽しく過ごした次の日、虚無になることはないですか?
たぶん私の中で、人とたくさん過ごせば過ごすほど、その対比で孤独感がとても増長されるのではないかと。
良いと言えばよいのかもしれないが、
そういう気持ちになるのはきっと、一人でいる自分を自分で満たせていないからではないかと。
きっとそう。
だって、一人の時に考えることは、
「最近私にアプローチしてきてくれた人が、ほかの人と付き合った:ということを聞かされたときの言葉の堂々巡りだからだ。
みんなといて楽しい、彼氏とかいらないかも、
だからアプローチされてもまた今度でいいや。
でも、いざ、その人が彼女を作ったと聞かされると、
みんなと過ごして楽しかったという記憶から、その人にとって私はどうしても必要な存在ではなかった、なぜあの時に誘いを断ったのだろうか、という後悔の事実に記憶が塗り替えられ、そのことばかりを考えて孤独を感じる。
きっと私の頭の中は、「後悔」「隣の芝生は青く見える」思考が多くを占めるのだろうと思う。
楽しいことがあっても、少しの悲しいことに心が奪われるのは人間の性とはいえ、
外部に自分を必要としていてほしいという、コントロールできないものに依存するゆえなのだと思う。
要するに気になる人からもずっとアプローチしていてほしいし、
仕事でも友達にも私を必要としてくれていてほしいという、とても受け身な姿勢なゆえなのですね。
なぜ自由を渇望するのか
それでもなお、フルリモートワークで場所を選ばず生活したいという希望が消えません。
人と直接会って自分の欲求を満たすにはとてもいいはずなのに。
いまでさえ、孤独を感じているのに、自由を渇望したら、自由と孤独は表裏一体。
さらに孤独を感じてしまうのではないか。
それでも未知なものに惹かれてしまう。
自由に生きて、孤独の中に自分が何を見つけられるのかを試してみたい。
場所に縛られることなく、自由に生きてみたい。
恋愛にはスピード感が大事。っていいますよね。
私は連絡も遅いし、とってもマイペースなので、そんな私に最初は良くてもみんな愛想をつかしてしまうんだと思います。
自由を渇望するマイペースな女性は、なんかよくわかんなくって、めんどくさいからほかの女性に行こう、となりますよね(笑)
でもそんな自分も自分なので、ご縁だと思って過ごします。
でも、これだ!と思うものにはすぐ飛びつく性格でもあるので、今はそういうものが現れていないのだと、
そう思うことにします。
急に恋愛の話になりましたが、孤独を感じながらも自由を渇望する、これってすごく大胆な話だと思いますが、
それでも人生、やってみたいな、と思うんです、
という最近の話でした。
