この投稿、期待してくれている方と、自分のカップはどうだろう?と戦々恐々の方と。

そして言われては困る方といらっしゃるでしょう。

 

ティーカップの個人的趣味やそれぞれのコレクションの意義についてはとやかく言うつもりは毛頭ありません。

 

しかし、茶碗、ティーカップの製造の歴史の上に歩んできた者から申し上げれば

 

ティーカップには個人の愛好とは別にれっきとした良しあしがあります。

 

「決めつけないでほしい」とか現在日本で主流の「個人の自由で好きならいいじゃないか」「多様な楽しみ方があっても」

という批判を受けそうですが、じつは物理的理由に由来する良しあしであり、茶味に直結する問題です。

デザインやブランドや希少性、市場価格、有名無名とは一切関係ありません。

 

高級茶のスペックやポテンシャルを出し切れる茶器とそうでない茶器があることは

最近おぼろげながら感じる人が増えてきているようです。

 

高級茶葉の本来持つ繊細かつナチュラルなバランスと奥行き、余韻。

残念ながら茶器にはそういったものを出し切る障害になる素材や工法のものがあるのです。

 

近年お茶関係で製造の実績を上げている人の中には、じつは公式のテイスティングカップとは別に

お茶の味の繊細さを極限まで表現できるカップを認識、理解、入手して長年利用している人が少なくないのです。

お茶の品評が普通の方よりも非常に細かく見極められるのですから、評価、戦略の立て方が正確になります。

茶器の質がテイスティング対応の質であれば茶葉のポテンシャルはもちろん製茶のライン上の問題など筒抜けに感じ取れるわけです。

ごく一般的な量産素材のテイスティングカップなどは有体に言えば「度の合わない眼鏡」をかけた状態なわけです。

茶の味の輪郭や細部は阻害され感じることができません。

これがピントがピタリあって8k画像のように繊細なところまでくっきり見えるとしたら

テイスティングには最強の武器となりえます。

 

高級なお茶を飲み始めたら、これまでのカップの素材と製造工程を見直す必要が

出てきます。素晴らしい茶葉をわざわざ凡庸な味に格下げして味わう意味があるでしょうか?

多くのお茶通も古今東西すべての素材の茶器を使ったわけではありません。

美味しいお茶のために「餅は餅屋」の話をお役立てください。

 

続く