これ私の命式表
正財も偏財も持っている私は、まいちゃんのこの記事で、なんか 泣けてきた。
大好きの気持ちも大嫌いの気持ちも、
どっちも知りたくて
体験してみたいんだよね。
だから、そう感じられる相手をいつも探してる。
愛せる人を見つけた時は幸せだろう。
でも、愛し過ぎて疲れた時もまた幸せなんだよ。
大好きの気持ちも
大嫌いの気持ちも同じ人を通して知りたくなる癖。
同じ人からどちらも感じたくなる矛盾。
愛しすぎて疲れた時もまた幸せなんだよって指摘されて 涙でる。
あんなに疲れはてた時だって私は幸せだったんだなぁ。
恋愛だけじゃなく、大好きな人にはエネルギー100持ってたら100使っちゃう自分がずっと嫌だった。
人との間の空気は、かろやかに いたいのに、100全力で使う自分が重たい気がして、ちっともかろやかじゃない感じがして。
おまけに自分が好きで使ってるエネルギー100なのに、すっからかんになると、
清々しい気持ちになるときばかりじゃなくて、
なんだか さみしくなってる自分も嫌だった。
自分だけが愛しすぎて疲れてるみたいで悲しくなってたと思ってだけど、
でも そんなときも幸せだったんだなぁ。
本当は100使っちゃう泥臭い自分も好きだったんだなぁ。
いつだって、
自分の身に起こる原因は自分にある。
人を通して、
怒ってみたかった。
悲しんでみたかった。
愛してみたかった。
愛されたかった。
だからそのために
自分の前に人が現れてくれて、
その気持ちを体験させてくれた。
まいちゃんのこの文章のね、「人を通して」を「あなたを通して」に変換して読んでみたら、またまた泣けた。
私は、
あなたを通して
怒ってみたかった。
悲しんでみたかった。
愛してみたかった。
愛されたかった。
いろんな人の顔がよぎった。
この気持ちを体験させてくれるために
私の前に現れてくれた人たち。
感謝が溢れだす。
「感謝」ってするものじゃなくて、
勝手に湧きあがって溢れるものなんだなぁって改めて感じる。
最近 まいちゃんの過去記事を読みあさってるけど、それって
あたしは、あたしのことを
もっとわかってあげたくて 子宮推命の記事読んでるんだなぁ。
さちまるさん風に言うなら、
「私の世界がよくなる為に
私の世界に假屋舞ちゃんが現れて、私が私であることを思い出すメッセージを送ってくれている。」
のだなぁ。
自分の中に当たり前にあるものって 自分でわからない。
どうして そうなっているのかも、
どうして そうなってしまうのかも、
自分で自分に説明してあげられない。
私は私のことを誰かにわかってほしいわけじゃないんだ。
私がわたしのことを 紐解いてあげたくて
必死なだけだった。
そうなってしまうことも
そう在ることも
それでいいんだよ。って、
それは 私が
そう在りたいと望んで
この星を選んで 、この日を選んで生まれてきたんだよ。
って、思い出したかった。
子宮推命は私を
私のもっているものを照らして思い出させてくれる。
