ここ2週間ほど よくわからない不調に悩まされていた。
いや 実際よくわからなくはないのだけど、理由のいくつかは理解しているのだけど、
「死ぬんじゃないか」と思うくらいだったんだよね。
もう のたうちまわるほどの苦しさ。
で、あれを思い出した。
3年前 犬のお散歩中に頭を大雀蜂に刺されたあのときのことを。
強烈な痛みと吐き気、足がもつれて動けない。
ご近所さんが草刈りをしていてどうやら 雀蜂の巣を破壊してしまったらしく、(後で知りました)たまたま そこを通りかかった私が刺されてしまったんだけど
私の悲鳴を聞いてとんできた庭師らしき職人のおじいさんに肩を借りながら 帰宅。
私より小柄で腰が曲がったおじいちゃんが「おぶってやるから」と言ってくれたけど
いやいや 無理だって。
おじいちゃんがつぶれちゃうって。
なんて思いながら けっこう 意識はしっかりしていた。
帰宅したら 救急車呼んでね。
って言われて 救急車を自分で呼んで、
あー明日会社いけないなーとか思いながら上司に連絡。
これまた後日聞いてわかったけど、自分では しっかりと事情を説明していたと認識していたのに 、ろれつがまわってなくて上司がなんとか聞き取れたのが
「今 救急車を待っているところ」だということだけらしい(;・ω・)
私と会話が成立しないと理解した上司が消防に連絡をして どこの病院にどういった経緯で運び込まれたかを知ったらしい。
ええーっ!あんなにテキパキ 事情説明してたとオモッテタノニ!(゜ロ゜)
到着した救急車のストレッチャーにだって自分で乗り込んだ。
お財布持った。
携帯もった。
保険証もった。
犬たちと猫たちがお留守番する態勢に調えてきた。
よし!完璧!
救急車を呼んだのは念のためだったし、すごく冷静だったんだけど
救急病院をめざすのかと思ったら ドクターヘリがくるんだっていう。
救急隊員の方にいろいろ説明されて 返事をしたり してるつもりなんだけど、なんだか様子と処置が慌ただしくなる。
大きな声で何度も名前を呼ばれて、もちろん聞こえてるから オッケーオッケーって意思表示はするのだけど、
なんかもう救命病棟24時かっ!っていうシーンが繰り広げられている。
脈拍数がなんちゃらとか 酸素が!とか
もう そりゃあ 大忙しな感じ。
こんなに意識しっかりしてるし、死ぬ気なんて さらさらないのに
あれ?もしかして これって・・・・
死ぬのかな?
意識が明確なのに 体は死んでいく方向に近づいてる。こんなに冷静にいるのに
意外と人はあっさり死ぬのかも。なんて思っちゃったりする。
もう体がどこにどうなってるのか認識できないほど 朦朧としてきた頃に ドクターヘリで ドクター登場。
ドクターに処置をして頂き、急死に一生を得て 今に至るわけですが、
そのときのね、意識はしっかりしてるんだけど、体がどこにあるかわかんなくて、なんか存在がすーっと消えていくみたいな感覚に数週間前になりまして・・・・
さっきまで激痛感じてた体がどこにあるかわかんないくらい感覚がないって
そりゃあ もうちょっとした恐怖。
そんな感じが何度か繰り返されてるうちに 、あれかな?神様がもう そろそろ帰ってきたら?みたいな感じなのかな?とか本気で考え始める。
もう そこから数日間はひどいもんでした。
恐怖のあまり自分も自分の未来すらも信じられなくなって 、そりゃあもうネガティブを引き寄せまくり。
自分が調えば私の世界は調うんだから大丈夫!と奮い立たせて 調えることに全力で挑んで その都度の「こう在りたい」をちいさなことでも やっていったら
一週間のうちに 葬式と出産がきた!みたいな展開になりました。
調えると 展開はやい!
混乱していた時は全く聞こえなかった心の声が
「夜明け前が一番暗い」「自分を信頼すること」
と伝えてきて、
あんなひどい日々も全部必要だったんだなーとしみじみ。
さてタイトルの「信頼と心配」。
私、数年前までは「心配する」ってことが 愛からくる行為だって勘違いしてたんですね。
身近な方から「死にたい」と言われれば
心配して 、あーでもないこうでもないと 死にたいなんて言わないように諭して説得。
なにか困ってると相談されたら 、やっぱり 心配して あーでもない、こうでもないと 諭したり説得したり。
でも あるとき、心配するって「相手を信じてない」行為なんだなって気づいて、「私はあなたを信頼してません」っていうエネルギーを向けて 相手がよい方向に進めるようにお手伝いしている気になってた自分が 恥ずかしくなりました。
じゃあ 心配じゃなくてどうしたらいいのか?
目の前の相手が 望む未来にいて笑ってるところを思い描いて 、そうなるように、そうできる人であることを信頼して手を放す。
それが私がそのとき相手にできる たったひとつの愛の行為だなってとこに着地。
だから 彼らが同じようなことを言ってきても 今は、へーって聞いてられる。
困ったとか言いながら ちゃんと前に進んでいけると信じてるし、私のやり方をこうしたらなんて 言わなくても 相手の選択しているやり方で 望む未来にたどり着くと知っているから。
手は放しているけど、信頼のエネルギーを相手に向けているので
そこで相手の望む未来の創造ということで繋がっていると思っている。
でも 癖がぬけきってなかったのか、少し前に
うっかり 相手を心配してしまったことがあった。
信頼している人なのに 心配するなんて 相手の望まない未来に力を貸してるようなものなんじゃないの?と反省。
行ったり来たりを繰り返しながら 丁寧にエネルギーを選択することを日常化していきたい。
そんな中 、今回の件で私をすごーく心配してくれた方と信頼してくれた方がいた。
この人は何があっても大丈夫って無条件で信頼されるって
こんなに力になるんだな。
言葉は少なくとも その信頼のエネルギーでこんなに早く 自分を調えられた。
信頼って 本当に愛なんだなぁとその方々にただ ただ感謝✨
絶望して 思いを言語化することもできずに 支離滅裂で泣いてる私を大丈夫よと信頼のエネルギーで 包んでくれた。
そして心配してくれた方。
それをしたことによっての未来が大変になってしまう件や 私のパートナーが傷ついたのでは?という心配を多方面に渡ってしてくれた。
言っていることは間違えてないし、一理あるのだけど、向けられてるエネルギーでやっぱり 心はしゅんとした。
で、このままの状態で終わりたくない!と思ったので、
「世間一般では そうよ」とか
「私がって言うんじゃなく みんなが言ってる」
という彼女に率直に伝えてみた。
「世間とかみんなとかは興味ない。今あなたが (どう思っても)どう思っているかの方が私には重要。」
と伝えると 彼女の真意の言葉が伝わってキリキリした心配のエネルギーが切り替わって ふんわりとしたエネルギーが 流れてきた。
心配のエネルギーが信頼に切り替わったのを感じた気がした。
そして「心配してほしかったわけじゃない。信頼してもらいたいんだ」と 心で呟いた自分にはっとする。
あ〜っ(。>д<)
私が相手に言う言葉は
本来の自分から言われてる言葉。
つまりは本来の自分に(これをハイヤーセルフと表現したり様々ですね🎵)
もっと 自分自身を信頼して!
って言われてるってこと。
愕然。
そこから 数日、偶然見たサイトとか本とかに
「自分を信頼する」
って あちこち書いてあって
これでもかってくらい そのワードを目にする( ̄ー ̄)
あーもー
わかりました!わかりましたから!(´Д`)
私を一番に信頼するのは私だった。
自分を信頼できなくなって それを相手に求めるなんて そりゃあ 調和から ずれるに決まってる。
やっぱり自分に集中する。ことなんだなぁ。
他人のすることは関係ない。
他者を通して 自分の中の何を見るか、知るかなんだなぁと思い知る。
自分からの「信頼して!」とのお叱りに うなだれつつも ぽんこつ多めなのは、
もはや それも「初期装備」なんだってことで
そんな自分も愛し信頼しようと誓いなおしました✨