そういうお話、たぶん
完全であればあるほど、明確であればあるほど
危うくて脆いものはないと思うのです。
より完全なほうが、より明確なほうが
根拠としては、強力となりうるし、そういった意味では
私の前段での考えは間違いだと捉えられるのかもしれません。
それでも、
完全な状態に近いほど壊れたときの衝撃は大きいし
完全な目的(ここでの完全ははっきりとした、かな)を持っているほど
それが達成されないときの喪失感は大きい。
だから脆く危うく壊れやすいと、そう思うのです。
何かの根拠としては完全であること、明確であることは
強力な武器であっても
その根拠そのものを否定されたとき
それはとてつもなく弱い
そういう意味です。
就活においては
より明確に自分をしていることを求められる、気がする
今までしてきたことの根本は何か
これからしたいこと、働く目的は何か
そういう部分をしっかりと持てているのかを探られてる、気がする
自分自身の行動の根拠について求めることは
まあ、100歩譲って認めるとして
どういう仕事をしたいのかと、求めてくることは認められない。
うちでどんな仕事がしたい?具体的にどういうふうになっていきたい?
そんな質問を投げかけられて
しっかり答えられるようにと自分がしたいこと具体的に明確にはっきりと描くことを
半ば強制しておいて
いざ、入社してみればそれができるかといえば、
できないことも、ままありますよ
なんて、無責任にもほどがあるわ。
絶対に希望を叶えられるという状態を作り出せないのなら
やりたいことを明確にさせるべきではないと思う。
あんなことやりたい
こんなことやりたい
具体的に描けば描くほどそれに対する思いは増して
それができなかったときに生じる
ギャップ、ずれ、違和感
それがやがては崩壊につながるのだと、思う。
若者の離職率が云々もこの辺に原因がある、気がする
就活中は執拗にやりたいことの明確化を求め
入社後のイメージを具体的に持たせておいて
でも、諸々の事情で君はこれをやってって言われる。
仕事だからと取り組むけれど
入社前、これでもかと明確に描かれたイメージは
なかなか方向を変えられずに
違和感が溜まっていく、溢れていく
そういた人たちが辞めてしまうのだと、思ったり。
明確であるほど、具体的であるほど
強力な原動力ともなるけれど
それは同時に修正が困難であるという危険もはらむ。
私は柔軟だから具体的なビジョンを持って入社して
それができなくても、対応できます
なんていうのは、それは所詮うわべだけのものだったと、そういうこと。
じゃあ、企業はうわべだけの明確なビジョンを求めているのだろうか。
だとしたら、就活とはなんて無駄なものだろうと思う。
明確であることが絶対だめだと
そう言いたいんじゃないんです。
ただ、すべての人に明確であることを求めないでと、
そう言いたいだけなんです。
明確でないことは、可能性を持っているのだと
そう捉えてほしいのです。
なんていうと、自分自身が
やりたいことをしっかりともてないことに対する逃げだ
なんて思われる人もいるんでしょうけど



