夢の病院。

ずっとそのフレーズをつかってきたけれど、病院という構造物が最終目標にはない。
なんなんだろう。久々に考えてみた。


複雑な現代社会。家庭が持っていた機能を外部化することで、社会の効率をあげ、各人の生産性を上げた。
けれどその結果として、たとえば教育はいびつなものになっている。成果を、学校任せ。責任を、家庭がとらなくなった。

医療も同じことがおきてきている。
「病院にいったら殺される」と口にする病院嫌いなお年よりはほとんどみなくなった。
その結果、救われる人は増えた。けれど、傷つく人も増えた。

何より、教育とか、医療とか、生きる機能を外部化するのは、ほんとうにひとのためになるの?? 効率的がゆえに、逆に非効率になっている。


これを、ほんとうに効率的な社会に戻したい。
そんな社会で、ひとといっしょに感動したい。


やっぱり、生活の中でじんわりとした感動をしたい。
救急を断らない病院があるといいな
頼れると、安心感がある。

そのためには、1次、2次、3次はやっぱり違う人間がやるべき。

24時間のコンビニ外来、は存在すべきだ。人の生活が24時間サイクルになった流れは止められない。だから、きっちり夜の1次の外来は用意されるべき。
そのためには、せめて次の日はオフにできるようにすべき。36時間、ひとは戦えない。夜間の外来に医者の定期の枠をつくれば、それは可能だろう。

3次は、もちろん必要。
それがないと、助からないひとがいる。

2次も、大切。3次を各地域に配備するなんて不可能。窒息とか、出血とか、まずバイタルを早急に安定させる病院も各地にないといけない。

各地にある、ということが大切。3次がある病院は2次もやるべきだし、2次がある病院は1次もやるべき。

1次だけの診療所は存在すべきか??
大人はともかく、小児はあるべきかもしれない。実際、存在する。
1次を夜11時までやる診療所は各地にあるべきだろう。