先日の記事で自分に優しくと書きました
コメントにも有りましたが、甘いのと優しいのを混同すると厄介なのだね
人に優しくと言うのも勘違いすると人に甘くに変わってしまう
そんな話は江原さんの講演の内容にも有ったね
例えば友達にお金を貸す事について
友達が恐らくギャンブルにお金を使うのに、度々お願いされたからとお金を貸すのは友達として優しいのかどうかと言う様な内容だった
これは江原さんでなくても色んな場面で題材にされそうだけど、こんな場合はキッパリと断って貸さない方がその人なら為であり、友達として優しいと言う話
でも、自分に優しくと甘くの違いは、判断するのは難しいかも
仕事に就いてもすぐに辞める場合
自分が気に入らないからすぐに辞めるのか
本当に頑張っても病んでしまうほど無理なのか
たまたま就くのがそんな職場ばかりなのかもしれないけど、見極めるのは難しい気がする
もし、その人が過去に長く続いた事があるなら、その見極めは自分を守る為、病む前に自分に優しくしたのだろうと思える
事の捉え方も、辛い事は自分の為にあると思えるなら多少は我慢できるんじゃないかな
ただ、誠意じゃなくて悪意を感じ、頑張ってみても無理なら、とっとと去った方が良いかもしれない
その方が自分に優しい
甘いのは、何の努力もしていない場合
そのままなら、きっとどこに行っても合う場所は見つからないね
いつだって、ぜ〜んぶ誰かのせいにする癖がつくと、そうなりやすいんじゃない
本当に誰かのせいで嫌なら逃げたらいい
そんな所に無理に居る必要はないから
でも、それが自分の我儘、逃げ腰なのか見極めないとね
ただの逃げ腰なら、踏ん張ると乗り切れるんじゃない
色んな意見が有るね
参考までに
斎藤一人さん