ごきげんよう。

 

愛をみつける場所

クイーンズアカデミー

  

黒谷マリアです。

 

 

や、なんか意外と

みんなチャレンジしてくれてて

恐縮ですw

 

私でさえ、

目が滑るのにwww

 

▷①はこちら

 

 

 

でもまぁ大体いつも

何かを伝える時は

こんな感じで

 

脳内に先にある

感覚の塊みたいなもんを、

言葉に翻訳していってて、

 

それは、

全然伝わらへんやろけど、

ソナーで対象物の姿を

確定させる感じの作業。

 

だから私の頭には

いつもこんな感じで

考えの洪水が起きてて

 

しょっちゅう

それで溺れてる(悲

 

核心をシンプルに捉えたいのに、

いっつもこんな風に

無数の紐がついてくる。

 

 

これ、私の特性も

あると思うけどさ、

空間認識力とかみたいに

 

鍛えれば改善される

能力やとも思うねんな。

方法論学ぶとかさ。

 

誰か知らん?

どうしたらよくなるか。

 

情報求ム。

(なんの話や

 

 

 

でもまぁ、あれちゃう?

 

考えようによっちゃこれ、

薄める前のカルピスみたいなもんやん!

 

同じ500ミリなら

薄めたもんより値打ちあるやん!

(そのまま飲むもんちゃうけど

 

 

なっ!!!

 

 

 

はい。

では、続きです。

 

 

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■ ではあるが。

・個人的には、痛みを再現することが目的であったとしても、
 気が済むまで求めてみればいいと考える

・なぜならば、重要なのは気が済む(底打ち)ことだと考えるから
 

・幸福であるために必要なのは、本人が不必要になった自己の信念を、
 本人の幸福に、より役立つものへと変えることであり、それは本人にしか行えない

・そして、痛みの再現に固執している人は、気が済んでいないからそこから離れないでいる

・気が済んでいない=諦めきれていない 
 

・痛みを再現し続ければ、いつか誰かが可哀想な私に気づいて与えてくれるかも、

 …てかそうあるべきだ!的な気持ちがどうしても手放せないでいる

・世界中が「それはマジで無理」だと言ったところで、
 本人は「いや、そうは言うてもイケるかも」と思ってる 

・ので、仮に無理に行動を変えさせたところで、

 本人が諦めついていない限り“そこ”に意識が残り続ける

・禁止された分、それに争うためにより強固なエネルギーとなって残る =信念


・だから本人が諦めて自らそこから離れる意思を持たない限り、

 どれだけ表面上の思考や行動をコントロールしても信念は変わらない なんならひどくなる

・一方で、多少の未練は残しながらでも、底打ちして、

 違う信念を受け入れる気になって(そうせざるを得なくなって)さえいれば、

 表面上の思考や行動を変えるだけのことが、その浮上を大きく支えることになる

・そこに皆んなが言う具体的な差などない うっかりレベル 


・つまり大事なのは、本人の“気” その気。それがすべて。

・人によっては、周りがそっちじゃないよ!と言い続けることによって、

 底打ちして(気づいて)“その気”に転じる人もいるし、

 気づいていないとしても、その後の道筋を示しておくことは
 多少なりともその人のためになるから、周りの人や私たちにような仕事があるわけだが

・私自身がそうであったように、とことんまで事態を悪化させないと、

 もう完全にこれではダメなんだと諦めがつかない人もいるわけで

・そう考えれば、別に自体が悪化することも、その人が悶え苦しむことも、

 いずれ訪れる底打ちのためであり、決して悪いことではないとわかる

 

・なので底打ちに至っていない人は、とことん人に求め、痛みを無限再生し、
 自分と周りをボロボロにしながら、二度と浮き上がれない淵まで落ちてみるといいと考える

・目が覚めてしまえば、自分が、自分に向けられた数多の愛を搾取し、

 踏みつけにしたことに気づくし、

 それでも愛し許し受け入れ、それに甘んじてくれていた世界に気づいて、

 自分が一度たりとも愛と切り離された瞬間などなかったという腹の底から理解に繋がるから

・だからそういった意味において

・結局のところ、すべての人が堂々と、他人に求めればいいというのが私の結論

 

▷ただし

・自分の近しい人がそのような状態(搾取中)だとしたら、応える側は注意が必要

・先に述べたように、痛みから求める人に応えることは、その人を痛みに留めるのと同じ

・自己を痛めつけない程度に応えたら、程よい所で見放すことが、結局は本人のためになる

・相手は泣き叫ぶかもしれないが、それは見放したのではない 

・その人を真に見捨ててしまわないための距離を、正気を保っている自分が、

 裏切り者と罵られる痛みを引き受けてまで、互いのために選択するのであり、愛と言っていい

・愛する者のためにと、必要以上に自己を差し出すことは(犠牲)、それもまた愛ではない

・信じようとする人に応えるのと、信じられないことを八つ当たる人に応えるのとは全く違う

・借金を、返すつもりで借りる人と、返す気なく借りる人、みたいなもん

 

▷結果、

・分離を立証するために他人からの愛を求める人の周りからは、愛を持って人々が去り、

・現象としては、その人が望んだように、さらなる分離(孤独)が実現され、

・「信じてみたのにまた裏切られた」とその人の恨み節に磨きがかかる

・そのような人は内側に怒りを抱えている(恥のフィーリングがコア)

・自己を否定し応えてくれない(と信じている)世界に対して、

 被害者でいることで復讐しようとする(=世話してくれる人を呼び続けている)

・被害者とは、自己を否定して生きる姿勢→主体性を放棄する態度(玉座がお留守、一番嫌い

 

■ このありようの原体験は

・2歳児の全能感とその喪失体験に見ることができる 

・世界が自分の意に沿わないのはおかしい!という憤り

・誰かが自分の世話をもっとちゃんとすべきだった という怒り

 

▷2歳児の全能感問題

・新生児〜2歳頃まで子供は、自らは世界の中心であり、

 世界(オカン)は自分の意のまま(一体)だ、という全能感を保持

・そもそも新生児は自己と外界の区別がない

 色々あるが、まぁ絶対の信頼感と安心の延長線に世界を認識

・だが2歳ごろから自我は世界が自分と一体でないことに気づき始める(自我=個=分離)

・結果、自己認知と現実世界のギャップにブチ切れて起きるのが、イヤイヤ期(ざっくり

 

▷2歳児は、完璧だった世界を喪失するという経験に憤るが、

・実際のところ、それはただ呼んですぐ母親が来なかった、という事象に過ぎす

・子が実際に親(愛)と切り離された瞬間など存在しない
 

▷親が子の欲求に寸分違わず応えることは不可能(この世の理

・子はこの理を受け入れるしかない 

・イヤイヤ期の子供には、親がどれだけ声をかけ手を出しても納得しない

・結局は本人が極限まで泣いて、ふと我にかえる瞬間まで、誰もそれを止めることは出来ない

・周りが出来るのは、せいぜいきっかけを与えることぐらいで、それもタイミングが合えば程度

 

▷自分とはすべてに値し、世界と自己は一体だと認識していた本人からすれば、

 物事が思い通りにならないことは、拒絶の体験に他ならず、

 完璧だった自分を喪失し、恥のフィーリング(自己不信の原体験)が刻印される

・これは本人にとっては、理不尽極まりない体験であり、大きな喪失感と不安感から、

 憤りや怒りの感情を得る(ここで葛藤が生まれる

・愛(一体)と切り離されたと信じ込む経験を得て、この時のフィーリングは刻印され、

・その後のあらゆる分離のフィーリングの原型となる

・(とはいえこの経験は悪いことではない(諸々割愛

 

▷子はイヤイヤ期を通過していく中で、徐々に全能感の喪失を受け入れていく

・肉体という境界線や、この世の理を学び、適応していくにつれ、

・世界は自分を見捨てておらず、

・自分が世界と切り離されたわけではないのだと理解していく 

 

▷他人から与えてもらうことに恐怖が張り付いている人は

・無意識下でこの、2歳児全能感への執着&拒絶による恥のフィーリングが反応している 

・このような理不尽は起きて良いことではなく、不当であり、

 物事をこんな風にしてしまった誰かがその責任を取って状況を改善(私に応える)べきだ、 

 と憤っている(これを今の現実で再現

 

▷だが、私たち全員が経験してきたように

・実際はただの一度も世界(愛)が私たちを見放したことがない

・私たちがどの様な道筋であれ、現在生きているということは、必ず、どのような人も、

 何かしらの愛とつながってきたことを示している 

 

▷親(という生物)が(無意識的にも)子供に自立を促していくのは、

 愛していないからではない

・親という狭い愛のフィールドから、社会というより大きな愛のフィールドに

 子がつながっていけるようにするためであり

・親から愛されなければ生きていけないという、分離によって生まれた信念から解放され、

・どこにいようが何があろうが、自己は常に愛の中に在るのだという

 原点(一体)へと向かわせるもの

 

▷要するに

・希望通りだけを受け入れるということは、

 希望以外を受け入れないということであり、つまり分離

・希望通りでないものを受け入れる以外に、真に一体(安心)である道はない

・よって、親の選択が希望通りでなかっても、それもやはり愛である

・この事実を受け入れることによって、子は親(条件)に依存しない安心と繋がっていく

・そういう意味で言えば

 親は身を挺して、子が世界と一体であるための必要な障害となっているのであり、

 求めても与えてくれない彼氏や旦那は、同じ働きをしており

・この事実を認識していくことで、応えてもらうことに張り付いた疑念が

 実は全くの勘違いであったことに気づいていけたら、良き

 

▷が、おそらく

・この辺の解釈までは、当該本人からすれば「他人に求めるな論」と同様であり

・身体にいいかもしれないが、一向に痛みを取り除いてくれない漢方薬みないなもん

・で?案件だと思われるw よって解決しない(するならそれでいい

・なぜならば、当該本人が抱えている真の欲求に触れていないから 

 

■ では真の欲求はなんなのか

 

▷他人に求めることに痛みを抱える人は、

 今の現実において2歳児だった自分の痛みを再現し、

・誰かがもう一度、その痛みの面倒を見に戻ってくれることを期待(切望)している

・不安を再生し続けることで、誰かが状況を変えに駆けつけてくれるよう、
 世界を脅し、試している(助けてくれないと死ぬよ!的な) 

 

▷そこにある感覚は

・そうしないと忘れられてしまう 

・自分がどんなに悲しかったか、忘れ去られ、ないがしろにされる

・そして、欲しかった注目(愛)がもう二度ともらえなくなってしまう、という恐怖

・忘れ去られてしまうことへの恐れと

・誰かへ向けて必死で自分の存在を伝えようとする感覚

 

・つまり、助けを求める声である
 

 

…もちろん続く(どーん

 

 

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