子供に時間が奪われて

自分のしたいことが出来ず

 

イライラする。

 

結果、子供に

キツくあたってしまい

後から自己嫌悪に陥る。

 

というループから

抜けられない。

 

 

よく聞く話。

私も陥ってた。

 

今も普通に

イライラはする。

 

普通に、というか

しょっちゅう

ブチ切れている(笑)

 

でも

 

このループに陥って

いつもイライラしている

そんな状態からは

脱することが出来た。

 

 

いや、キレては

いるけどね(笑)

 

 

*****

 

 

例えば私の場合。

 

 

私には

 

子供は思い通りには

ならない。

 

それから

 

自分は育児が

好きでも得意でもない。

 

さらには、

 

自分には他に

したいことがある。

 

 

というこの、

相容れない事実が

動かしがたいもの

としてあった。

 

 

 

で、こういう場合

 

子供が泣こうが叫ぼうが

まずは自分の機嫌を

とることが大切だ、

 

というのが私的には

王道の回答だと思っている。

 

 

が。

 

 

 

実際に

子育てやってる側としては

 

いくら泣き叫ばれようが

放っておいて

自分のしたいことをしろ、

って言われたって

 

 

実際問題として、

 

 

例えば私なら

ブログ書きたいと思っても

 

泣き叫ぶ彼は

振り払っても振り払っても

膝の上によじのぼり、

 

キーボードをぶっ叩き、

床にひっくり返って

積み木を投げまくり、

(しかも足に直撃する。激痛)

 

挙句、泣きすぎて吐く。

…という

 

ブログ書こうったって

まじそれは絶対ムリ。

 

って状況が

あるわけで。

 

じゃぁ、息子を

テレビでもつけて

リビングかどこかに

閉じ込めておけばいい、

ったって

 

だからって

泣き止むわけもなく

むしろリビングが

どんな惨事になるかが心配だし

 

てかもう

その攻防自体が

ストレスだし

 

ブログはそうね、

書けるかもしれないけど

 

私がイラついているのは、

 

自分が日常的に彼らに

時間及びエネルギー等々を

奪われていて、

結果、したいことが出来ない、

ということであって

 

今日、今、ブログが

書けたからって

解決♡って話では

ないわけで。

 

 

で、

 

あーーーーもーーーーー

うがああああああっっっ!!!

 

となっていた。

 

 

だから、結局、

育児のイライラは

奴らが大きくなるまで

解決しないのか、

という気持ちでもいたし、

 

自己嫌悪と

したいことが出来ないという

イライラをベースに

日常を過ごしていたので

 

楽しいことをしたところで

その瞬間は楽しいけれど

 

結局日常は変わらないわけで、

 

口を開けば出てくるのは

愚痴になっていた。

 

夫が帰ってきても

今日がいかに大変だったか、

それをわからせようとする態度を

無意識にとっていたり。

 

 

*****

 

 

 

んが。

 

 

そんな状態、誰が一番、

しんどいのかっていうと

 

私、なんだよね。

 

息子といない時間でさえ、

彼のせいで、

片付けが、とか

時間が、とかって

頭の中がイライラしていて

 

私の有り様は

犠牲者そのものだった。

 

 

で、そんなの

おかしいな、と思った。

 

 

なぜ、この私が

この貴重な毎日を

 

こんな気分で

過ごし続けなければ

いけないのか?

 

子供が育つまで

じっとこの状態に

甘んじて生きるしか

選択肢はないのか?

 

 

そんなバカな。

 

そんなおかしな話

あるはずがない。

 

私には

私を幸せでいさせる

権利と義務がある。

 

ってことは

そう出来る方法が

あるはずだ。

 

 

そう思い立って

自分の置かれている状況

自分の信じている理屈

色んなものを

新ためてよく見直してみた。

 

 

そしたらやっぱり

ちゃんと、

幸せでいる方法はあった。

 

 

*****

 

 

それは簡単にいうと

諦める、ということ。

 

受け入れる、

ということだった。

 

 

*****

 

 

思い通りにならない子供。

 

育児が好きではないこと。

 

したいことが他にあること。

 

 

これらはとりあえず

現時点での私にとって、

動かしがたい事実だった。

 

にもかかわらず

私は、

 

子供が思い通りに

なってくれること。

 

好きじゃない育児を

しなくてよくなること。

 

したいことが

出来るようになること。

 

という

 

絶対無理なことを

強く望んでいたわけで。

 

当然それは

叶うわけもなく。

 

叶わないから

不満を感じ、犠牲者になり。

 

 

…。

 

 

そこが間違っていた。

 

叶わないのだ。

 

そもそもそれは

叶わない願いなのだ。

 

なんでもへったくれもなく

それはそういうもんなのだ。

 

 

そもそも私たちは、

子供を持つことによって

大きな喜びを得ると共に

 

当たり前に

それによる不都合も

引き受けているのだ。

 

ポジとネガは

表裏一体。

 

両方受け取ることは

望まなくとも

避けられないことなのだ。

 

 

にも関わらず

 

表は欲しいけど

裏はいらない

 

って

 

無理だっちゅーの。

 

家事代行やらなんやらで

できうる範囲で私は

欲しくない部分を

排除したのかもしれない。

 

でも残る。

 

子がいる、という事実は

排除のしようがない。

 

 

つまりそれは

 

子供がいる自分を

受け入れろ、って

ことなのだと思い至った。

 

 

*****

 

 

確かに私は

育児が好きではない。

 

仕事がもっとしたいし

てかもっとフラフラ自由に

遊んでいたい。

夫と飲み歩きたい。

 

それが私だ。

 

 

でも、それは

私の一部だ。

 

 

それは、私が、

私を満たすことのひとつとして

生み出した望みであって

 

私自身がその望みの下に

いるようでは本末転倒だ。

 

どっちが偉いんだ?

 

私に決まっている。

私が創造主なのだから。

 

自分が生み出したものに

自分が縛られてどうする。

 

 

今、ここに生きる私が

すべてなのだ。

 

今、ここに生きる私が

幸せであることを

選択するのが、

私の責任なのだ。

 

 

子供だからわかりにくく

なるのかもしれない。

 

容姿やお金、健康、

住まい、家族、仕事。

 

同じだ。

 

 

今の小さな自分が

描いた望み通りでは

ないかもしれない。

 

お金が思うほどない、

理想的な容姿ではない、

つまらない職場だ、

 

でも、今、それが

目の前にあるのなら

 

いかにして

それを我が物にするのか。

 

もちろん出来るなら

望まないものは切り捨て、

排除し、変更すればいい。

 

でも最終的には

 

今の自分で

どう生きるのか

 

そこにしか

道はないのだと思う。

 

 

思い通りにならない子を

育児が好きではなく

他にしたいこともある私が

 

どれだけ楽しむのか

どうやって楽しむのか

どうすればそうなるのか

 

 

思い通りではないからといって

犠牲者になって

ふくれっ面して生きるなんて

 

それこそまさに

子供ではないか。

 

 

子供のために、大人が時に

子供の短絡的な望みを

叶えないでいるのと同じように

 

私たちがもし自分の

今の脳みそレベルで描いた望みが、

得られないでいるとしたら

 

それは誰か知らんが

神様的な誰かの

大いなる意志なんだと思う。

 

 

 

*****

 

 

私が、子供を通して

感じ続けたイライラは

 

わざわざ自分で

叶わぬものに固執し

犠牲者になりにいった結果だし

 

どれだけ育児を

自分の世界から減らしても

イライラが

なくならなかったのは

 

そもそも犠牲者になって

世界に自分の不幸を

訴えたかったからだし。

 

なんで不幸を

訴えたかったかというと

 

子供と関係なく

 

そもそも自分は

もらえていない人だし

奪われたんだ、という

 

成仏していない

被害者意識の表れだし

 

ところがどっこい

事実がどうだったかはさておき

 

そんな話はもう

過去にもほどがある上に

実体のない思い込みであり

私の想念だけの問題であり

 

つまりはいつまでも

そんなことに

引っ張られていたら

 

子供じゃなくても

何かしらの題材を使って

 

私は永遠に

被害者を演じなければ

ならなくなるわけで

 

つまりは

幸せでいたかったら

とっととその被害者ドラマ

やめろよってことを

 

この、子供に奪われる被害者

という役を演じて

イライラしまくることで

 

気づけよ、ってことを

神的な誰かに(てかまぁ、自分よね

導かれた、って話。

 

だったのだ。

 

 

******

 

 

私には子供がいる。

育児は好きではない。

他にしたいことがある。

 

だけれども

 

私は、

今の自分に与えられたものに

不本意ながらもw

付き合ってみる、と

”決めた”ことによって

 

新しい自分を

新しい世界を

 

新しい豊かさを

 

手に入れることが出来た。

 

 

私はもう

息子の犠牲ではない。

 

私の人生の玉座には

息子ではなく

私自身が座している。

 

 

*****

 

 

子供のせいとか

お金のせいとか

家族のせいとか。

 

 

自分以外のものによって

自分の幸福が左右されるのは

 

自分の人生の

コントロール(玉座)を

他人に渡している状態だ。

 

 

そして、 

目先の欲しいものに

こだわって、

 

その場から

動かないということは、

 

自分の豊かさや幸せは、

それ(目先の望み)しかないと

断定することであり

 

とてつもなく

小さく狭くセコイ可能性しか

自分に許していない、

ということだ。

 

目先の望みにこだわっても

 

その望みも叶わない上に

被害者意識ばかり高まり

 

挙句の果てには

 

目先を超えた

その先に用意されている、

 

自分の予想を超えた

豊かさを失うことに

通じているのだと思う。

 

 

まぁ、要するに

私たちは常に

 

自分に対する

信頼を問われている、

 

のだと思う。

 

 

本の角とかぶつけられるとマジ泣けるよね。

 

 

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