幕末の隠れた偉人小栗上野介忠順公縁の地である倉渕町をいつかは訪れたいと予てから思っていたのですが、先日ネットで倉渕に大層珍しい百庚申供養塔があるという情報を見て以来もういてもたってもおられず、先週末ついに妻と二人彼の地を訪れました。

実は最初高崎市内の寺院を目指していたのですが、いつの間にかクルマは倉渕町に向かっていました。風の向くまま気の向くまま、と言えば聞こえは良いですが要は行き当たりばったり…

まずは東善寺さんをお参りし忠順公のお墓に線香をあげ、遺品館に立ち寄りました。小さな建屋ですが貴重な遺品の数々、この地でいわれの無い罪で命を落とした忠順公の心情を考えると胸に迫るものがありました。


東善寺さんを出てすぐに百庚申塔のある浅間神社さんに向かいました。参道を歩いていると、ありましたありました。

百庚申というと普通思い浮かべるのが百基もしくは数多くの庚申塔が建っているイメージですが、こちらのものは角柱状の供養塔に百体の青面金剛さまが刻まれています。一つの面に25体✕4面で百体ということになります。

上の写真が前面でここだけ上部に日月が刻まれています

こちらは向かって左側の面です。

こちらは向かって右側の面。

裏面もびっしり彫られています。

基本はすべて六臂合掌形のお姿ですが、持ち物は組み合わせが数種類あるようです。ひとつひとつは小さいですが、極端にデフォルメされることなく丁寧に彫られています。

案内板を見ると寛政年間の造立で願主は塚越半次郎という名の方だったようです。
初めて見る形で本当に興味深いモノでした