22:混乱
あれは何だ。
無数の魔法陣が空を覆っている。
その魔法陣は闇夜を照らす様に煌々と輝き、やがておぞましい目玉の様に、混沌とした“穴”を作り出した。
「あれはゲートだ!!」
サンドリアさんは再び叫んだ。
「まさかっ!! ゲートと言うのは魔界とこちらを繋げるものだろう? あのような大規模な通路、今の魔王様の許可が出る訳……っ」
「……でも、あれはゲートよ。でもベルル様が私たちを呼び出すのとは違って、とても大きな…」
マルさんもらしく無い程に、焦った様子で空を睨んでいた。
無数のゲートからは、僕が見た事も無い様なおぞましい姿をした魔獣たちが、ワラワラと出現しては、城を目指している。
「だ、旦那様……」
ベルルはそ腕時計 casio
腕時計 casio
腕時計 カシオ
の様子に酷く怯え、僕の腕を取って震える。
顔は真っ青で、手に触れると、恐ろしく冷たかった。
僕は彼女の肩を抱いて、何故か急いでこの場から逃げねばと思った。
「旦那様、ベルル様を連れて城へ行って!!」
「で、でも……マルさんたちは……っ」
「良いからさっさと行け!! 俺たちは大魔獣だぞ。あんな小物ども、蹴散らす力はある!!」
サンドリアさんはそう叫ぶと、地面を蹴って、宙に水の水紋の様な水色の魔力の跡を残しつつ、どんどん高く登っていった。
大きな角は闇世の中でキラキラと、白と青の光を放ち、同じ色の魔力の帯を形成する。
それらは鋭い水の刃となって、一斉に魔獣たちに襲いかかる。
サンドリアさんの魔法は美しい。一度の攻撃で多くの魔獣を葬った。
「さあ旦那様、私の背に乗って!! 城は魔法結晶の結界が張られているのでしょう?」
「あ、ああそうだ」
「だったら安全ね」
マルさんはしゃがみ、その白い背中に乗るよう言う。
僕はベルルを抱え言われるままにマルさんの乗ると、マルさんは白い風となって僕らをサロンの側まで連れて行った。
本当に一瞬であった。
「旦那様、ベルル様の魔力が荒れているわ。どうか、ベルル様をお守りしてちょうだい」
マルさんはそう言い残すと、再び風の様に去って行った。
「……」
僕はベルルを抱え、彼女から感じられる魔力の流れを確かめた。
確かに、いつもは穏やかなベルルの魔力が、荒く波打っているのが分かる。
あのゲートの出現により、ベルルの大きな魔力が反応してしまっているのだ。
「大丈夫だよベルル。王宮の中は安全だ。この王宮は、多くの魔法結晶による結界が施されている。魔力を整える薬もある」
「旦那様……わ、私……」
ベルルは僕に抱えられたまま、胸元の服をぎゅっと握った。
小刻みに震える体は弱々しく、僕がベルルを守らなくてはと彼女を抱く腕に力を込めてしまう。
王宮のサロンに入る前、少しだけ振り返って空を見上げると、そこはいつもの王都の夜ではない。
禍々しい魔力の蠢く、鈍く赤紫色の空。
マルさんが王宮の北棟を上って空に舞い、魔獣たちと戦っているシルエットだけが分かる。
狼の遠吠えの様な、恐ろしい鳴き声が響いた。
この広間はリーズオリアの最新の魔法結晶による結界を何重にも張られているが、いつまでここに居れば良いのか分からないと言うのは、少なからず不安を煽るものだ。
僕は避難場所でベルルを寝かせ、魔力を整える薬を飲ませた。
聞いた所によると、魔獣たちの攻撃は一辺倒らしく、何かを要求してくるものでもないらしい。ゲートは閉門したようで、後は今居る魔獣たちをどうにかするだけだとか。
しかしいきなり大きな落雷のような音が響き、王宮がわずかに揺れた。
僕はベルルの頭を撫で、彼女が安心する様声をかけた。
「ここは安全だよ。何も怖い事なんて無いんだ……」
「だ、旦那様……」
「大丈夫だ。薬も飲んだし、安静にしていればすぐに良くなる」
ベルルは本気で怯えていた。
薬のおかげで魔力も落ち着いてきたのに、これでは彼女が可哀想だ。
もう一度落雷の様な大きな衝撃が王宮に届いた。
轟く雷鳴は近い。
一瞬、この広間のシャンデリアの光が落ち、真っ暗になったが、予備の魔法結晶に切り替わったのか、再び明るくなる。
何だろう……嫌な胸騒ぎがした。
しんと静まり返った広間の人々の、誰もがそんな不安を抱いただろう。
しかし再び大きな雷鳴が轟き、また灯が落ちた。今度はなかなか明るくならない。
真っ暗で何も見えず、僕はベルルを引き寄せたが、その時、耳元で知らない声を聞く。
『それはフクロウの瞳、夜を狩る』
まるで知らない国の呪文を聞いた様だ。
その言葉を聞いた後、フッと、真っ暗の中でも視界が鮮明になる。
「……こちらです」
再び、耳元で声が聞こえた。
ベルルもその言葉を聞いたのか、いきなり立ち上がり、どこかへ行こうとする。
「お、おいベルル。ダメだ」
僕が彼女を止めても、ベルルは無理にでもこの部屋を出て行こうとする。
「こちらです……こちらです……」
声は定期的に聞こえた。
僕も何故か、この声について行かなければならないと思い、ベルルと手を取り合って、暗闇に隠れつつこの場を離れた。
声はずっと、僕らを導いた。
「旦那様……ここは……」
「王宮の庭だ。礼拝堂がある……」
僕らは王宮の少し上った所の、その空中庭園に出た。
声のままについてきたのだが、僕はベルルを側に置きつつ、周囲を睨む。
「僕らを呼んだのは誰だ」
そう尋ねると、側の銅像に、一匹のフクロウが降り立った。
大きく茶色の、金色の瞳をしたフクロウだ。僕はすぐに分かった。こいつは大魔獣だ。
マルさんやサンドリアさんと、同じ偉大な魔力を感じる。
銅像の後ろから、すっと一人の人間が姿を現した。
深い緑色の髪を一つに結った、東洋風の黒い羽織を着た女性。歳は18、19くらいに見える。
「……そう身構えないでください。私は敵ではありません」
女性は淡々と言う。銅像の上にとまっていた大きなフクロウは、ポワンと音を立て小さなもふもふした小フクロウになる。
さっきまでの威圧感はなくなり、可愛らしい仕草で女性の腕にとまった。
「君はいったい…」
「私はミネ・ルーヴ。こちらはフクロウの大魔獣……ノーゴン・ペンタルス」
「やはり……大魔獣」
ミネと言う女性はノーゴンという小フクロウの顎を掻いて、僕たちをじっと見つめた。
「ノーゴンは、旧魔王様に仕えていた大魔獣の一匹です」
「……君はいったい何者なんだ」
「私は、元々旧魔王様にお仕えしていた身です。旧魔王様に、使命を与えられ、ノーゴンを授けられました。……ベルル様が地下牢をお出になられてからは、ずっと側で見守っておりました」
ミネはベルルの前に、スッと跪く。
ベルルは少し驚いていた。彼女はミネに対し、何かしら興味を持っているようだったが、記憶は無いようだ。
「ずっと見ていたと言う事は、レッドバルト家の別荘にも居ただろう? あと、僕らがスラム街で暴漢に襲われたときも」
マルさんたちが、誰かに見られている気がすると言っていた。
ミネはゆっくりと頷く。
「ええ、私たちも同じ事件を追っていましたから」
「同じ事件?」
「妖精ゼリーの事件です」
一つ大きな雷が落ちた。
ベルルは飛び上がり、僕の腕にすがりつく。
ミネは空を見上げ、その怪しい雲行きに眉を潜めた。
「今から、あなた方を、事件に関するある場所へ連れて行きます。ここに居ては危険です。“あれ”と正面から戦っても、敵いません」
「あれ?」
僕が彼女に聞き返した時、ガサガサと、側の植木が音を立てサンドリアさんが出てきた。人型の姿だ。
腕には大けがを負った、毛玉姿のマルさんが。
「マルちゃん!!」
ベルルはマルさんに駆け寄って、涙を流しながら腕に抱える。
いったい何があったと言うんだ。
サンドリアさんは僕らの側に居るミネとノーゴンに驚いているようだった。
「……お前は、ミネか? それにノーゴンまで。ああ、なるほどな……今まで俺たちを監視していたのは、お前たちだったのか」
「ご無沙汰しております、サンドリア様。しかし今は、再会を懐かしんでいる暇はありません」
「分かっている。“奴”が来ている。……雷を司る大魔獣、スペリウス・グローバー。あいつは旧魔王様の大魔獣の中でも、三本指に入る最上位大魔獣だ。ローク姉様でなければ……っ」
サンドリアさんは眉を寄せ、ベルルの腕の中のマルさんの毛並みを優しく撫でた。
うっと、涙をこらえている。
「大丈夫よお兄様、泣かないで」
「……バカやろう!! お前、あいつの事、特別苦手じゃないか!!」
マルさんは力無く、パタンとしっぽを振った。
僕は、いったい今何が起こっているのか、全く理解出来ていない。
「ミネさん、いったいどういう事なんですか? 今、何が起こっているのですか」
「……それをここで教えるには、時間がありません」
ミネさんは腕の小フクロウをフッと宙に放った。するとフクロウは音も無く大魔獣の姿になる。
大きな、立派なフクロウだ。
「乗ってください」
「え」
「ノーゴンは姿を視覚的に隠し、空を飛ぶ事が出来ます。“敵側”はそろそろ、王宮への攻撃をやめます。そもそもこの攻撃自体、威嚇と時間稼ぎを含め、リーズオリアの戦力と最先端の魔法結晶の程度を計る為のものです。彼らの目的は他にあります」
「他の目的?」
「……妖精ゼリーです」
「何だって? でも、あれは全部第七騎士団が回収して……僕らが妖精に戻したはず……」
「まだあの事件は終わっていません」
「……」
僕は多くの事を気にしつつも、言われた通り彼女について行く事にした。
ベルルを手前にして抱え込む様にフクロウに乗る。
「では、行きますよ」
ミネさんはノーゴンの首辺りに、慣れた様子で立っていた。
手に持つ槍の様なものを目の前にかざし、一つ呪文を唱える。
『それはフクロウの羽、無を狩る』
そのフクロウはフワッと舞い上がり、夜の空をスーと飛んでゆく。
体への衝撃が少なく、風が髪を流すその感覚させ心地よく思える。
「ノーゴンの飛行はとても優雅です。姿を見せる事も無く、無駄な音も聞こえない。本当に静かな飛行。旧魔王様も、お好きでした……」
ミネはどこか懐かしいと言う様な、寂し気な声でそう言った。
ベルルはただただマルさんを抱えて、そのフクロウの背の感触に、何かを思い出そうとしていたようだった。