*花火
僕とベルルは、無事に芸術展の展示を見て回る。
フィオナルドの展示は横長い絵画であった。
フィオ自身はその場に居なかったが、作品の前には常に客が留まり、人気であるようだ。流石、芸術院と魔術院が取り合った男の作品である。
正直何を描いているのか良く分からない抽象絵画と言うものであったが、油絵の具と、魔法粉を画材としたとても大きな作品。
青と白が不規則なうねりを見せ、魔法粉の部分はちりちりと色を変え、視覚を惑わす。
何やら大臣賞なるものを取っていたようだったけれど、僕は凄いなと思う以外、その感動を言葉にする事はできなかった。
ただただ、見つめていただけ。
ベルルもそうだ。いつもなら素敵ね、素晴らしいわねと、大きく声を上げる所だか、展示会場の少しduvetica デュベティカ
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ざわついた中でも、一生懸命目を見開いて、無言で彼の絵を見つめていた。
確かに、彼の絵にわざとらしい賛辞はいらないようであった。
無言、静寂こそが全ての作品であるようだったから。
「あら、リノ!!」
展示を見終わり会場を後にすると、オリヴィアが声をかけてきた。
ジェラルも共に居る。レッドバルト夫妻も芸術展を見終わったばかりだった。
僕らはそのまま、芸術展の隣のカフェに入り、ダブル夫婦でお茶にすることにした。
「今年はとても賑やかね。2年前はこんなに人が多くなかったと思うんだけど」
「そりゃあ、今年は大規模だからね。リーズオリアとしても、魔獣襲来の件があったからどうなるだろうかと言われていたけれど、国家のメンツを守るために予算は削らなかったそうだよ。ところでリノ、あの展示には行ったかい……」
レッドバルト夫妻は随分と博覧会を楽しんでいたようだった。
あれが楽しかったこれが楽しかったと、あれが美味しかったなどと、興奮した様子で語る。
「ベルルさんは、何が楽しかったかしら?」
オリヴィアに尋ねられ、ベルルは少し考えた後「全部面白かったわ」と。
「旦那様と一緒だったもの、全部楽しかったわっ! でも……私迷子になっちゃって……」
もじもじしながらも素直に迷子になったことを打ち明ける。
「あら、ベルルさん迷子になっちゃったの!?」
「それはリノ、気が気じゃなかっただろう」
夫妻はあらあらと、僕の方を見た。
僕は頷いた。
「勿論焦ったさ。でも、ヴィリジエン家の令嬢がベルルを助けてくださってね。僕らはこの展示会場で、無事に会う事が出来たんだ」
「……何事も無くて良かったわね。でも、確かに今日は凄い人ごみだもの」
オリヴィアは何度も「良かったわね」と言う。
ベルルはコクンと頷いて、そして再びそわそわもじもじし始める。
膝の上にポシェットをおいて。
「……ベルル」
僕は彼女の肩にポンと触れた。
オリヴィアに買ったお礼の品を、ベルルは手渡したいのだ。
ベルルは何とも緊張した顔をして僕を見ると、珍しくキリッとして大きく頷く。
まるでどこか戦場にでも行く様な……ベルルにとっては、それくらい特別で勇気の要る事なのだろうか。
「あ、あの……オリヴィアさん……っ、あの……」
ベルルは慌てつつも、ポシェットから包みを取り出す。
ああ、落ち着いてベルル……
あんまり焦っているので、僕は隣から視線でエールを送る。それしか出来ない。
お礼の品をあげるだけなんだけど……
「あの……オリヴィアさん、前にお化粧水、くれたでしょう? 私、とっても嬉しかったの。ずっと、使っているのよ……。それでね、お、お礼がしたくって……っ」
ベルルは顔を真っ赤にしながら、先ほど買ったばかりのお礼の品を手渡す。
オリヴィアは「まあまあっ」と感極まった様な声をあげ、それをちゃんと受け取った。
「ベルルさんったら……でも、とても嬉しいわっ。私、ご夫人同士のお友達ってとても少ないから、こんな事初めてだわ……」
ベルルの買った赤い薔薇の髪飾りは、オリヴィアを多いに喜ばせた。
包みからそれを取り出したオリヴィアの瞳は、美しく煌めいた。
彼女の夫のジェラルも、穏やかな瞳で妻の様子を見つめている。
「ありがとうベルルさん。大事にするわね。とっても素敵、気に入ったわ!」
そう言って、オリヴィアは笑顔で髪飾りを纏め髪の横に付ける。華やかな飾りが、彼女には良く似合う。
ベルルはオリヴィアの嬉しそうな表情を見て、ホッとしていたのと同時に、何か言いようの無い感情を得ているようだった。
彼女にとって、このような経験は今までに無かったのだろう。
僕にはベルルに与えられないものがあるのだなと、何となく思ったものだ。
夜、ホテルの一室での事だ。
ドン、ドンと、大きな音が聞こえ、ベルルはビクッと体を震わせた。
僕はホテルの窓辺から外を眺める。ベルルも僕の隣にやってきて、恐る恐る外を眺める。
川辺で上げられる花火の音だった。大きな音と共に、夜空に無数の光の華が咲いている。
ベルルは目をまん丸くしていた。
「だ、旦那様っ、あれはなあに!!」
「……あれは花火だ。ベルルは見た事が無いかい?」
「ええ。初めて見たわ!! でも、最初は雷かと思ったの……」
脇の服を摘んで、困った様に眉を八の字にして僕を見上げる彼女。
「確かに音は大きいけれどね……でも美しいだろう? 博覧会のときはいつも花火を打ち上げているよ。ここからだったら、よく見えるからね……」
「………まあ、それで、ホテルに泊まる事にしたのねっ」
「グラシス家の館だと、あまり見えないからね」
絶え間なく打ち上げられる色とりどりの花火。
どことなくベルルの作り出す妖精のおやつを思い出す、多種多様の色合いだ。
王都の町のシルエットと、祭りの灯が暗闇の中にぼんやり浮かんで、花火が打ち上がる度にくっきりと見える。
チラチラと、ベルルの顔を照らす色とりどりの光は、大輪の華を咲かせては散っていった。
「旦那様……」
ベルルはそっと僕に寄りかかり、僕の手を握った。
彼女は腕を抱くのはいつものことだが、手を握ってくるのは珍しい。
僕は少しだけ驚いたが、彼女の小さな手を優しく握りかえす。本当に小さな手だ。
「旦那様、とても楽しかったわね。私、こんなに賑やかな事があるんだって、知らなかったわ。……知らない事が沢山あるんだって、改めて思ったの」
「……そうだね。でもベルル、僕だって、まだまだ知らない事が沢山あるんだよ?」
「そうなの? 旦那様は何でも知っているんだと思っていたわ」
「そんな事は無い。世界はとても広いし、新しいものはどんどん作られて行く。……ベルル、知らない事が沢山あるのは嫌かい?」
「……」
ベルルは僕を見上げ、少しだけ首を傾げて、小さく首を振った。
「そんな事無いわ。知らない事が多ければ、知ったときの喜びも、とても多いと言う事でしょう? 知らない事が無い人は、とても退屈だと思うわ……。でも、少しだけ怖いの。今日みたいに一人になっちゃった時、どうしたら良いのかしらって。私……ただオロオロしているだけだったもの。いつも、本当に何でも旦那様に頼ってしまっていたのね」
「………」
「私って本当に子供みたい。今だってそうよ……旦那様に甘えたくて仕方が無いの……」
ベルルは大きな瞳を、少しだけ伏せて、それでも僕の腰元にぎゅっと身を寄せる。
確かに彼女は甘えたがりであるが、このベルルはどこか頼りなく放っておけない。
思わず頬に触れた。
「どうしたんだいベルル。別に、良いんだよ甘えたって……。ぼ、僕だってそれは……嬉しい事だし」
何の否定の余地もなく嬉しい事だし。
ベルルが僕を頼らなくていいくらいしっかり者になったら、嬉しいけどきっと寂しい。
「本当? 子供っぽくても良いの? これからも、こんな風にぎゅってしたり、手を握ったりしても良い? おねだりしても良いの?」
「と、当然だ!!」
思わず声が大きくなった。何かを誤摩化したくなり咳払いをする。
「ベルルが色々知って、大人になっていっても、僕とベルルの何かが変わる訳じゃ無い。確かに、君一人でも色々出来る様、知っておかなければならない事は沢山あるだろう。でも、僕と一緒の時くらい、僕を頼ってくれ。……甘えたって良いんだよ」
ベルルが甘えてくれなくなったら、むしろどうして良いのか分からなくなりそうなのは僕だ。
きっと僕は焦りに焦り、ベルルの気を引こうとあらゆる手を尽くすだろう。
ああああっ、考えただけでも恐ろしいっ。
「……だったら、だったら……おねだりしても良い?」
「勿論、良いよ。何だい?」
「……旦那様、屈んでちょうだい」
「……?」
ベルルは僕に屈んで欲しいと言った。
僕は言われるがまま屈んで、彼女と視線を合わせる。
ベルルは僕の額の髪を払って、そのまま額に口づけた。
「……??」
「………」
ベルルは頬を染め、瞳を揺らす。
「こ、今度は……旦那様からよ……っ」
「……え?」
僕が少々ぼやっとしていたせいで、ベルルが目をパチパチして、少し不安そうな顔をした。
「旦那様……キス、してくれないの?」
「え!? あ、ああっ……ベルル……」
思わず僕は声が裏返ってしまった。
今までベルルからキスをねだる事はあまり無かったので、不意をつかれてしまった。
変化球の攻撃で、僕の心臓は思いきり飛び跳ね、一気にバクバクと……。
「お、おねだりしても良いって言ったじゃない……」
ベルルは顔を真っ赤にして恥ずかしがる。きっと勇気を振り絞ったおねだりだったのだろう。
僕は慌てて、そんな彼女の頬を両手で覆って、キスをした。
花火がとてもロマンチックに窓辺を照らしているが、僕はそんなものを気にする余裕も無く、そのまま彼女を抱き締めた。
「……旦那様?」
一時、ベルルを離せずに居る。
「旦那様、ありがとう……おねだり、聞いてくれて。私ね……っ、何だかとても、旦那様にキス、してほしい気分だったの。……どうしてかしらね」
「………」
「とっても、旦那様に触れてもらいたかったの」
僕はベルルをゆっくり引き離し、彼女の顔を見た。
口元で手を丸くして、照れつつも素直にそう言う。
純粋無垢で、なんと罪深い事か。
「旦那様、これからも、沢山沢山、私に触ってね。旦那様に触ってもらわないと、私、落ち着かないの。……キスしてくれたら、もっと元気になるけど……」
だんだんと小声になっていったが、最後までしっかり聞きましたとも。
何と言う無自覚な超威力破壊兵器。
さてはベルル、その愛くるしさで僕を殺す気だな?
「……旦那様?」
「あ、いや……」
僕はぶんぶんと頭を振って、一度深呼吸をした。
サフラナの世継ぎプレッシャー、ベルルの無自覚な攻めの両ばさみにあっている僕は、せめてベルルが17歳の誕生日を迎え、結婚式を挙げるまでは理性を強く持って、この葛藤に耐えたい所である。
いやしかし、いざその時がやってきても、僕は死んでしまいそうだ……
「旦那様、そろそろお風呂に入りましょうよ……?」
「こっ、このタイミングで……!?」
「……? もう眠たいの? 一緒に寝てしまう?」
「このタイミングで!!」
ベルルは本当に、何も分かっていない。
「はあ~……君って人は……」
「??」
手のひらで顔を覆って、間の抜けた声を出す。
ベルルよ、君は何て事なくそう言っているんだろう。当然、日常の事だから。
だけど憎い。可愛い、憎い。
ベルルはきょとんとして、僕の挙動不審な態度を見上げていた。
花火はそろそろ最後の大輪の華を咲かせ始めている。
勢いのある無数の光と音が、僕らにも届いていた。
ベルルは「早くっ、早く旦那様っ」と、僕を風呂場へと引っ張る。
何にも分かっていないくせに、その可愛らしい様子で、ただ僕を呼ぶのだ。
それが僕の妻、ベルルである。