07:お願い
サフラナが腕によりをかけて作った御馳走は実に見事で、ベルルの誕生日を祝うのにふさわしい食卓であった。
沢山のベリーが載った鮮やかなケーキは特に美しく、ベルルは食べるのを勿体ないと言ったが、いざ一口食べるとフォークが止まらない様で。
彼女はサフラナのつくったチョコレートプティングも好きだと言った。
僕の母が誕生日に作ってくれていたものとは少し違うが、サフラナも必ず、僕の誕生日にこれを作ってくれる。ベルルの誕生日にも用意したんだな……
「ああ……もうお腹いっぱい」
ベルルは自分の腹部に手を当てながら、小さく息を吐いた。
「ベルルにしては、沢山食べたな」
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「だってとても美味しかったんだもの。嬉しいわ、私のお誕生日に、こんなに美味しいものを食べられて。ありがとうサフラナ」
ベルルは食器を下げているサフラナに礼を言って「私もお片づけ、手伝いましょうか」と聞く。
「いえいえ、とんでもない。今日の主役は奥様でございます。それに旦那様を放っておいたら……ふふ、お可哀想ですよ」
「……なんで笑うんだサフラナ」
なぜか顔を背けつつ笑うサフラナ。
僕はそんなに寂しそうな表情でもしていたのか?
結局その後、僕らは共に風呂に入り、いつもの様にお互いの髪を乾かすためドライヤーを手に取った。
ベルルの髪は濡れると特別黒く見え、雫を乗せた睫毛はいっそう濃く艶やかになった。
「そうだ……ベルル、何か僕に頼み事があると言っていなかったか?」
「……うん。でも、それは寝る時!」
「寝る時……」
ベルルはドライアーの熱で、しっとり温かくなった髪を撫でながら、今度は僕の髪を乾かしてくれた。
「旦那様の髪の毛は、濡れると少し焦げ茶色っぽく見えるわね。乾くともう少し明るいのに。それに濡れていると髪の毛、まっすぐになるのね。ちょっとキリッとして見えるの」
「それは……いつもの僕がぼやっとしていると言う意味かい?」
「そ、そう言う訳じゃないわよ! いつもは……こう、ふわっとしていて……。優しい空気の旦那様と言う意味よ」
「………」
言っている言葉は曖昧だが、ベルルの言いたい事のニュアンスは伝わってくる。
「……乾くと髪に癖が出てくるのは、君だって知っているだろう。寝起きは、たまに凄い事になっている」
「ふふ……でも、旦那様の柔らかいクセッ毛、私とても好きなの。早く乾け乾け~」
ベルルが僕の髪にドライアーの温かい風を送りながら、愉快そうにコロコロ笑う。
彼女に髪を触れられると、妙な気分だ。
ベルルは白いシルクのネグリジェ姿で、ベッドの上にぺたんと座り込んだまま僕を呼ぶ。
「もう寝てしまうかい、ベルル」
今日の彼女はとても浮かれていたので、まだまだ寝ないだろうと思っていた。
しかし案外、彼女はすぐにベッドに潜り込んだ。
「ええ。旦那様も隣に来て、寝て?」
「……?」
言われるがままに、ベッドに入り定位置で寝転がる。
ベルルは「ふふっ」と微笑み、僕の顔を覗き込むのだ。
「な、何だいベルル」
「旦那様、今日は私が、旦那様をぎゅっとして寝るの。これが私のお願い……良いでしょう?」
「………」
はて、それはどういう事だろう。
僕は目が点になって、覗き込むベルルの顔を見つめ瞬き。
「……それは、いつもと違うのかい?」
「全然違うわ!! いつもは旦那様がぎゅっとしてくれるでしょう? 私、旦那様の腕の中で、とても安心してすぐ寝てしまうのだけれど、今日は逆なの!!」
「………それは別に、かまわないが……」
いまいち趣旨が分からないが、誕生日は何でも言う事を聞いてあげると言ったので、ベルルの良い様にしてやろうと思って了解する。
するとベルルが、僕の左片側に身を乗り出す様にくっ付き、その小さな腕を腰に回す。細い彼女の足が僕の片方の足に絡み付き、思わず僕は身を強ばらせた。
多分彼女からしたら、抱き枕的な感覚で僕を抱き締めているのだろうが。
これは………なんだろう、拷問?
「今晩は私が旦那様をぎゅっとして寝るの。どう? 安心して寝られるかしら、旦那様?」
「………」
言葉が出て来なかったが、どうやら安心して寝られる以前の問題の様だ。むしろ真逆だ。
僕は神に試されているのか……
「いっつも私ばかり先に寝てしまうから、今日は旦那様に先に寝てもらうの。私、旦那様の寝顔を見てから寝るんだから」
「……それはいったい、どんな挑戦なんだ?」
「ずっと、やってみたいと思っていたのよ。だってちょっと悔しいわ、私ばかり、旦那様に安心をもらってすやすや子供みたいに寝ているんだもの」
「………」
ベルルはそう言うと、いっそう僕を抱き締めた。
「私、17歳になったのよ旦那様。もう子供じゃないわ……。これからは私も、旦那様に安心を与えられると良いな……」
「……ベルル」
思わず彼女の頭を撫で、その繊細な髪を指で梳く。
僕の左胸の上に頭を乗せ、まるで僕を枕の様にして横になる彼女の重みはあまり感じられない。とても軽い。
小さな体が、特に大柄でもない僕の胸の上に収まる。
これは……僕の心臓の高鳴りは全部ベルルにバレてしまうな。
「あら……旦那様の心臓の音、とても早いのね」
「そりゃあ……そうなるさ」
僕は出来るだけ淡々と答えた。妙に上ずった声にならない様に。
内心バクバクだったくせに。
「私がぎゅっとしても、あんまり安心しない? そりゃあ、私はそんなに頼りになら無いかもしれないけれど……。これじゃいつもとおんなじね。私が甘えているみたいだわ……」
「い、いや……そう言う訳じゃ無く……ただ……はああ~……」
ベルルが僕の上に乗りかかったまま、顔だけこちらに向けて心配そうに聞いてくる。その仕草が実に無防備で憎らしく、僕は思わず妙なため息が出てしまった。
目の上に手の甲を当て、隙間から彼女を見る。
「どうしたの旦那様?」
ベルルがよいしょよいしょと僕を這い登って、目の上の手をめくったりする。
「旦那様……」
ベルルが僕の額に自分の額を当て、視線を合わせる。
彼女はどこか照れた様に頬を染め、視線を逸らしたり合わせたりを繰り返したが、そのまま軽く唇を重ねた。
柔らかく、心もとない感触。鼻をかすめる彼女の髪の、フローラルの香り。
目眩を起こしそうだ。彼女の無自覚、これでイチコロ。
ベルルは恥ずかしかったのか、すぐに僕の胸に顔を押し当て表情を隠してしまったが。
今日のベルルはえらく積極的で、僕は驚きと同時にハラハラしてしまい、常時心乱された。
当たり前の様に、彼女は僕に触れてくる。それは嬉しさこそあれど、僕にとっては非常に耐え難い拷問のようでもあった。
でも、確かに今日、ベルルは17歳になったのだ。
今までは彼女を愛おしいと感じていても、まだ子供なのだと思い込んで、女性として、妻として触れる事を躊躇っていた部分がある。しかしもう……
「べ……ベルル……」
ベルルは丸太にでもしがみつく様に、僕の腰をがっちり抱き締め、なかなか顔を上げてくれない。
小さな彼女の頭を手のひらで包み、流れる様に指で頬を撫でた。
「ベルル……その、僕と君は……夫婦として……」
僕は妙に緊張しながら、彼女に夫婦としてのもう一段階について説明しようとした。
こういうのは流れの問題で、説明なんていらないのかもしれないが、僕としては無知で無防備なベルルに夫婦とは何たるかを……
あああ、しかしキツい。
こう言うのは本当に難しく、こっぱずかしい。
言い方を一歩間違えると彼女に酷くショックを与え、僕は嫌われてしまうかもしれない。
「………」
僕が一人もんもんと苦しみ、ありとあらゆる説明パターンを考えていた時、すうすうと息を吐く、心地よいリズムの寝息が耳に届き、ハッと現実に引き戻された。ベルルを見下ろす。
「……寝ている」
彼女はすっかり夢の中だった。
昼に杖を使い魔法を練習した疲れが、今となって出てきたのだろうか。それとも誕生日と言う事で、今日は特にテンションが高かったから、フッと気の高ぶりが収まったのか。
いずれにしろ、彼女はとてもあどけない表情で、僕に乗りかかってすやすや寝てしまっていた。
今日は僕の寝顔を見るのだと意気込んでいたと言うのに。
「……ふふ、全く……」
やはりまだ幼いな。
17歳になったからと言って、突然大人っぽくなると言うものでもないか……
彼女を隣に移動させ、ゆっくり寝かせてあげようと思ったが、思った以上に彼女の足が僕の足に絡み付いていて、引き離そうとすると「だんなさま~」と寝言を呟きながら余計しがみつくので、どうしようもない。
僕にとっては酷く拷問に近い体勢であるが、仕方が無いのでそのまま寝る事にした。
彼女の背を撫でながら、色々とホッとしたり残念に思ったり。
困った様に、フッと笑みがこぼれた。
「……ベルル、17歳……おめでとう」
きっと彼女に聞こえていないが、僕は改めて彼女の誕生日を祝い、一人呟いた。
これは僕自身に言い聞かせた、戒めの言葉でもある。
これから歳を重ね、何度彼女の誕生日を祝う事が出来るのだろうか。
最初の今日と言う日を、ベルルは幸せに過ごす事が出来ただろうか。
ぐるぐる巡る季節と、必ずやってくる誕生日と言う日。
明日、目を覚ますと、そこから始まるベルルの17歳があるのだ。僕は彼女の一年を見守り続けなければならない。
きっとそれは、小さな変化と、変わらない愛らしさに溢れた、素晴らしい一年であるに違いない。
そして来年のこの日、僕は彼女にまた「おめでとう」と言うのだ。