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東宝が60億円の気合を入れて作る3部作の第1章. 原作は未読の私が見ても1本の映画としては物足りなさが残るものの、3部作の序章としてはそれなりに楽しめるものでした. ただ「映画」というよりはTVドラマの延長版のような空気が終始漂っていたのが非常に辛いところ. 3部作と銘打っているからこそ映画館で見るべき映画にしてほしかったのが正直な感想でした. オープニングから「昨日の荒井注見た? 」という何気ない会話に妙に笑ってしまったのは、やはり私もギリ1970年代生まれだからでしょうか. ケンヂ家族が経営するコンビニの昇り旗に懐かしのロッカー「王様」が起用されていたり、TVショッピングにダンディ坂野が出ているところにもニンマリしてしまうなど、ハットリくんのお面を始め世代的にちょっと懐かしいものが随所に出てくるところも、竹中直人のいつもながらの顔芸とはまた別の意味で結構面白かったです. ただ映画全体的に言えるのはそのどれもが懐かしい割りに大味なところ. つまり 『ALWAYS三丁目の夕日』 と違い、その世代の人間でなければ分からない「そう、それ! 」というようなマニアックなものがこの映画にはないんですよね. 例えば第169回ともだちコンサートでロックを歌っていたのはミッチー王子でしたが、主人公の名前が「ケンジ」ではなく「ケンヂ」なんですから、あのシーンは是非筋肉少女隊に! と思うのがあの世代というもの. そういう細かな演出があるかないかは製作者が原作に忠実に映画化するかどうかで迷った挙句に出された結果だと思いますが、1本の映画として物足りなく感じたのはそういった細かな演出が欠けていたからだと思いました. そして1本の映画として物足りなく感じた一番の原因は配役が豪華すぎるところ. オッチョやユキジなど6人の仲間に見せ場があまりないのはこの映画が「序章」であるため仕方ないのですが、脇役まで豪華にする必要はあったのでしょうか. オリラジやタカトシ、藤井フミヤなど脇役が異様に豪華すぎたのも疑問に思えたところでした. また笑わそうとするシーンも見事に滑ってましたね. 私が笑えたのはユキジが相棒の警察犬が人前で○○を舐めてくるとグチるところと、ヤン坊マー坊が大人になった姿をあの俳優が演じていたところだけでした. 今回は序章ということで謎をバラまく内容になることは分かっていただけに、ホラーサスペンスに仕立て上げるならそれを最後まで貫徹してほしかったという感想だけが妙に強く残ってしまったのが、ちょっと残念でした. しかし本編終了後に上映される『第2章』の予告編を見る限りでは、今回バラまかれた謎が芽を出しそうで面白げな感じでした. 公開日も来年1月末ということで、もしかしたら『第1章』を見てからあまり時間を置かずに『第2章』を見たいと観客に思わせる演出に堤監督が意図的にしているのでは? とも思えました. とにかく 『ロード・オブ・ザ・リング』 の時のように振り返ればやはり1作目は序章に過ぎなかったと思えるような続編を是非期待したいところです. 深夜らじお@の映画館 は「ヤン坊マー坊」と聞けば「天気予報」と即答してしまいます. 全人類に警告する」前にスティーブン・スピルバーグに警告します. いつまでもこんなレベルの映画にばっかり携わっていては「スピルバーグブランド」に傷がつきますよ. 予告編段階から「スピルバーグ」の名前が連呼されていたのは、彼の名前以外で売りになる要素がなかったからでは? と思えるほど、新鮮味のない古い映画でした. もはやスティーブン・スピルバーグのセンスは過去のものということでしょうか. まず『エネミー・オブ・アメリカ』そのまんまの設定に新鮮味がありません. スパイ衛星中心からケータイなどの身近な機器中心にシフトしているのは面白いものの、ケータイ片手に走り回る姿はどことなく『24』を連想させてくれます. さらに序盤から主人公ジェリーに双子の兄がいてという設定も『マキシマム・リスク』や『9デイズ』でお馴染みですし、電話の声の主であるアリアの正体も 『イーオン・フラックス』 と似たような、似てないような. もうとにかくどこかで見たことある設定の連続がちょっとしんどかったです. またアリアがジェリーたちを動かす指令方法も途中からめちゃくちゃすぎます. ケータイへの通電や信号機乗っ取りなどならまだしも電車を駅に戻したり、空港のチェック機能を麻痺させたり、そして最後は何の罪もない子供を暗殺の道具として使おうとしたり. テロ対策のために作られたアリアが極悪非道なテロリストになっているなんて、アホすぎますよ. で最後のギロチン作戦もめちゃくちゃ. 大統領が職務遂行できない場合のために副大統領がいるのに、そんなシステムさえも無視. ただ国防長官がなんとなくアーミテージ氏に似ていたのは間接的にブッシュとチェイニーに対する批判なのか、アリアシステムも現在のアメリカ国防論に対する警鐘なのかとも思えるのですが、それならそれでもう少し練った脚本にしてほしかったですね. あと前半でジェリーがポーカーで駆け引きの巧いというところを見せておきながらも、結局そのシーンも最後まで何の意味もなさず. 『エネミー・オブ・アメリカ』が最後に主人公が弁護士であることを巧く用いていたのと比べても、楽しめない映画ではないのですが物足りなさが大いに残るラストでした. 深夜らじお@の映画館 は盗聴盗撮の趣味はございません.