久しぶりです!

久々にアイライナー使い切ったので、買いに行ったらら在庫切れでした。
帰りに信号機を待っていると、目の前にいるアベックの喧嘩を目撃してしまいました。穏やかではありませんでした。
聞けば、男性の方は女性の親友と一対一で飲みに行ってから共に一夜を過ごしたそうです。
男性の主張では行為は一切無かった、潔白であると...
がしかし女性は自分に内緒で勝手に飲みに行ったのが許せないとか...
って信号がかわって、一歩前進した私でした。
よく「喧嘩する程仲が良い」とか言いますけれとも。“Loveのある喧嘩"と“愛もない不毛なpeace”どちらの方がより良いものでしょうか?
その答えは人それぞれでしょう。
(恋愛経験のない私は一度でいいから、喧嘩しても“Love”が欲しいです。T_T)
相手のいる人の中には“Peace”を選んでしまう人も少なくはないでしょう。でなければ離婚したり別れたりする人も存在しないでしょう。
愛しているから心が燃えているから一緒にいると暖かく感じられます。そして自分と相手の心に温度差が生じる時に冷えてる方が焼かれてしまい、痛くなります。さらにそれに対して自己主張すると、口論になり“戦争”が始まります。
“Love”から“battle”に発展して互いに“struggle”し始めます。そしてその後“共存”を選ぶか“自分”を選ぶかで違った意味の“平和”を手に入れられます。でも何れにせよ“peace”に収束されるのが落ちです。
男女の愛でも、親子の愛でも、兄弟愛でも、仕事愛でも、情熱の火花がなければ“愛”の次元に到達するなんであり得ないでしょう。

火花があって→愛がある
愛があって→共感を求める
でも互いに違いがあって→戦う
自分と戦って勝った人→共存する平和を得る
相手と戦った人→独りの静寂な平和を得る

結局“Love and peace ”ではなく
“Love to peace”の方がより現実的ではないでしょうか?

愛と云う感覚はただの発端、そこからいかに愛するのかが大事です。その結果、平和が訪れます。

不遇なチキンなアラサーおじさんの一つの人生考査でありました。m(_ _)m