ニューヨークからのたびだち


                        一
 

 ニューヨークへ行くアキラを見送るため、僕はバッファロー空港へ行った。ロビーに入っていくと、アキラはタバコを吸いながらイスに座って待っていた。夏休み中のことで見送る人はいないはずだったが、彼の隣には女の娘(こ)がいる。とっても可愛い娘だ。肩からポシェットを提げ、両膝を揃え、アキラに寄り添うようにしていた。バッファローに来て一年になるが、こんな娘は見たことはなかった。ましてアキラにガールフレンドがいたなんて、聞いたことはない。
驚いた。
 アキラは彼女を、
「ユリです」
と、紹介した。立ち上がったユリは、
「こんにちは」
と頭を下げた。
「はじめまして。ヒロシです」
と、僕も頭を下げながら、ユリの頭から足元まで、一瞬のうちに見てしまった。
 髪は軽いウエーブがかかり肩まである。パッチリとした二重の目が印象的だ。白い半袖のブラウスを着て、ショッキングピンクのミニスカートをはいていた。全体的に細身で、特に足首はしまっている。いつの間に、アキラはこんな可愛い娘を見つけたんだ。
 僕たちは、出発までの短い時間をそのロビーで過ごした。アキラと僕はニューヨークの事など話していたが、ユリはほとんど黙ったままだ。時折、自分の腕時計を見ては、時間を気にしていた。僕はそんなユリが気になっていた。
 出発の時間になるとアキラは、
「ユリのことを頼みます」
 と言って、ゲートをくぐって行った。呆気(あっけ)ない幕切れ、と言う感じだ。ただ、この一言が言いたくて、僕を空港へ呼んだようだ。
 アキラはバッファロー大学にいた留学生だ。この日は彼がニューヨークへ発つ日だった。アキラの専攻は写真で、一年間バッファローにいたが、もっと専門的に写真を勉強したいと言って、ニューヨークにある、アート専門大学のF・I・Tへのトランスファー(転校)を決めた。
 アキラのフライトは、スケジュール通りの二時に発った。
 親しかったアキラが行ってしまい、少し寂しかった。
 アキラを見送ったあと、アパートに住んでいるというユリを、車で送ることにした。
 ユリは、
「すいません」
 と言って助手席に座ったが、まるで元気がない。見ていられない。頼りなげで、今にも泣き出しそうだ。肩を抱いて、元気出せよ、と言ってやりたいほどだ。
 なぜ、アキラはこんな可愛いガールフレンドを残して、一人でニューヨークへ行ってしまったんだろう。僕なら一緒に連れて行くのに。


 僕らの行っている大学は、アメリカ五大湖の一つ、エリー湖東端のニューヨーク州バッファロー・シティにある。ここは国境に近く、街一つ挟んで、もうカナダだ。北に位置するため冬は長く、寒さも厳しい。人々は背中を丸めて、暖かくなるのをじっと待っている。そして、夏には、自然の全てが鮮やかに色づき、その短い生命(いのち)を華やかに競って萌(も)やす。その美しさは人々の自慢だ。
 大学には二万六千人の学生がいて、キャンパスは三つある。それぞれのキャンパスは、大学が運行するシャトルバスによって連絡されている。学生は自由にそのバスを使って行き来する。僕たちのような留学生も約六百人いて、八十数カ国から集まっていた。
 僕は車を運転しながら、少しでもユリの気がまぎれればいいと思い、話しかけた。まず、自分のことを静岡から来て二年目で、社会学を勉強していると話し、ユリからは、名古屋から来て同じ二年目で、美術を専攻していることを聞き出した。
「美術って、絵を描いてるんですか?」
 僕は聞いた。
「服飾デザインです」
 洋服や帽子など、身に着けるもののデザインを考えて、それを作ったりするやつだ。
 意外だった。
「自分で縫うの?」
 こんな子供のような娘が、自分で縫えるのだろうか。
 ユリは肯いた。
「すごいんだね」
 感心して言ったのだが、ユリの反応は鈍かった。まっすぐ前を向いたまま、ちょっと苦笑いしただけだった。
 僕は、ユリの沈んだ気持ちを引き立てるつもりで、冗談を言った。
「じゃあ、僕のパンツも作って下さい」
 言ってから、しまったと思った。つまらない冗談だ。
「男物はやらないんです」
 それでもユリは微笑んだ。
 ホッとした。
「社会学は面白いですか?」
 ユリが聞いてきた。初めて自分の方から話をしてくれた。
「僕は人間に興味があるので、僕にとっては面白いですよ」
 ユリには興味がないだろうとは思ったが、社会学について、簡単に説明した。
「面白そうですね」
 ユリは興味を持った。なかなか知的好奇心が旺盛だ。僕はもう少し社会学について話した。
 車は、空港と街をつなぐハイ・ウエイを走っていた。何度となく走った道だ。南米、アフリカ、アジアへと帰っていく友人たちを送った道だった。
 僕はドーム(学生寮)に住んでいるので、クラスや学年に関係なく友人が出来た。まして、様ざまな国から来た学生たちだ。その出身国も様ざまだった。また、アメリカの大学は、セメスター(学 期)ごとに卒業出来るので、そのたびに別れがある。僕はそのわずか一年の間に、出会い、そして別れていった友人たちを思い出していた。アキラもその一人だ。
 アキラと僕は同じドームに部屋があり、親しくしていた。三つ年下の彼は僕を、ヒロシさんと呼んで、暇を見つけては僕の部屋に遊びに来ていた。彼はよく、自分で撮った写真を見せてくれた。技術的な事は分からなかったが、カメラマンとしての目は、すでにいいものだった。
「ところで、アパートの生活はどうですか?」
 僕はドームにいるので、アパートの生活は知らない。
「うーん、ドームと違って、他の人に煩(わずら)わされる事はないですよ」
「一人で住んでるの?」
「そうです」
「じゃあ、気が楽だね」
「ええ、でも、その分だけ寂しいですよ」
「でも、静かでいいでしょ」
 ドームの騒がしさはひどいものだった。廊下でフットボールの投げ合いをし、タックルでドタンバタンと大騒ぎ。キャッチボール、バッティング練習などはまだましな方で、夜中にオートバイを持ち込んで走り出す始末。とにかく賑(にぎ)やかだ。
「ええ、確かに静かでいいんです。ただ、一人でいると、夜なんか、ふと、誰かとオシャベリをしたくなるんです」
 一人になったユリは、これからの寂しさを感じているようだ。
 なぜ、ユリもニューヨークへトランスファーしなかったのか不思議だった。ユリとアキラが、この日で別れてしまったようには見えなかったし、ユリはこれほど寂しがっている。それに、ニューヨークのF・I・Tはデザイン科も優れていて、ユリの勉強にはバッファローよりむしろよかった。
 しかし、僕が口出しする問題ではない。
「じゃあ、ドームに越してくればいいのに」
「そうするんです」
「えっ?」
 ユリが冗談を言ったのかと思って、彼女を見た。
 ユリは微笑んで、
「この秋のセメスターから、ドームに入るんです」
「そうなんだ」
 その方がいいと思った。アパートで寂しい思いをするよりは、多少うるさいくらいの方がいい。
「今日、その引越しです」
「これから?」
「はい。もう、アパートは解約しました」
「ドームの方は?」
「昨日、手続きしました」
「じゃあ、帰ったらパッキング(荷造り)?」
「パッキングも、もう終わりました。昨日から今朝にかけてやりましたから」
「やる事、早いね」
 感心した。子供のようなユリも、案外しっかりしている。
「そんな事ないです。ただ、日にちがなかったから」
 今日は土曜日。クラスは月曜日から始まる。
「じゃあ、もう荷物を運ぶだけなの?」
「はい」
「車はどうするの?」
 以前、友達の引越しの際、僕の車を貸した事があった。
「タクシーを使うつもりです。そんなに荷物もないし」
 ユリは一人でやろうとしていた。手伝ってやりたかった。
「僕が手伝うよ。この車で」
「そんな」
「どうせ暇だから」
 まだ、学校も始まっていないこの日、別に用はなかった。と言うよりは、暇を持て余していた。
「悪いですから」
 手を振りながら、ユリは遠慮した。
「僕は、することがないから」
「・・・・」
「遠慮なら、いらないよ」
 ユリは迷っている。
 僕たちはこの日、出会ったばかりだ。
 車はハイ・ウエイを降りようとしていた。ユリのアパートまで、あと五分ほど。
「本当にいいんですか」
 ユリは決めた。