- イントロダクション -
※ 死後のさばきから救われるための福音をYOUTUBE動画で見れるようにしました。
主イエス様のお力をお借りし、完成しました。是非ご覧ください。
これをご覧になった全ての方がイエス・キリストを信じ救われますように。
哀歌は通常、エレミヤ書のあとに自然な流れとして続きます。この短い書の中には、預言者のたましいが、私たちの目の前に赤裸々に表現されています。この書はエレミヤの嘆きの歌です。エレミヤは、ヨシヤの治世の間にミニストリーを始めました。エレミヤもヨシヤも若者で、明らかにふたりは友人同士でした。
ユダの歴史の中で最後のリバイバルを指導したのは、ヨシヤでした。とても多くの人たちの心に触れたリバイバルではありましたが、全体から見ると、おもに表面だけの動きにしか過ぎなかったことが証明されました。ヨシヤは、メギドで、パロ・ネコと戦って若死にしました。この戦いは、ヨシヤが決して参加するべきものではなかったのです。エレミヤはヨシヤのあとに続いた4人のひどい王たちの治世の間も、彼の預言のミニストリーを続けました。エホアハズ、エホヤキム、エホヤキン、そしてユダの最後の王ゼデキヤの治世です。
自分の民と自分の国を、神さまに呼び戻そうとする彼のメッセージは、厳しいものでした。でも彼には、ユダが下に向かって落ちていくのをとどめることはできませんでした。彼は、エルサレムの崩壊を目の当たりにしました。エルサレムの町が燃えるのを見ながら、彼はまだ暖かい灰の上に座って、頬に熱い涙を流していました。
哀歌は、5つの章から成り立っています。そして、ひとつひとつの章が挽歌であり、ほとんど葬式の追悼歌のようです。これらの挽歌は説明できないほど悲しいものです。私たちは、挽歌の中でエレミヤがエルサレムを見渡す場所に立って涙を流しているのを見るのです。この書は、涙と悲しみに満ちています。痛みの歌、あわれみの詩、哀感の箴言です。哀歌は、心痛の賛美歌、みじめさの詩篇、悲しみの交響曲、ふるいにかけられる物語です。哀歌は、聖書の中の‘嘆きの壁’なのです。
哀歌は、私たちをまさにエレミヤの心の中に連れて行きます。彼は、実際に自分の心を痛めた神さまからのメッセージを語りました。何と悲劇的でひどい話でしょう。もしあなたが、科学的な見地から分析するために彼の涙を試験管に注いだとします。どれだけの塩化ナトリウム、あるいは塩分が含まれているかを測定したとしても、あなたにはこの人の悲しみも心痛も理解することはできません。
彼は、心痛の預言者と呼ばれて来ました。彼の生涯は、哀感と哀れみで満たされています。彼のすすり泣きは、独唱です。この人物エレミヤは、女性の心を持っていました。彼は繊細だったのです。誠実でした。同情的でした。母親のように優しかったのです。それでも、彼は聖書の中で一番強く厳しいメッセージを語りました。彼はエルサレムの崩壊を語り、さばきを宣告し、ネブカデネザルに降伏するように人々に助言を与えました。彼は、メッセージをすることで、実にさまざまの問題に巻き込まれました。エレミヤは、自分は神さまのみことばに喜びを覚えるのだ、と言うことができました。
(エレミヤ15:16)「私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。万軍の神、【主】よ。私にはあなたの名がつけられているからです。」
この人は、何とすばらしい人であったことでしょう!エレミヤは、座ってエルサレムのために泣かれた、もうひとりの方を思い起こさせます。ただひとつの違いは、エレミヤがその残骸を見つめていたとき、エルサレムはすでに廃墟となり、宮は焼き払われていたということです。イエスさまは、エルサレム町に起ころうとしていることのゆえに、(エレミヤから)6世紀ののちにこの同じ町のために泣かれました。エレミヤにとって、エルサレムの崩壊は歴史の出来事でした。イエスさまにとって、エルサレムの崩壊は預言のできごとだったのです。
哀歌の中のカギとなる節が、エルサレムが廃墟と化した理由を説明しています。
(哀歌1:18)「【主】は正義を行われる。しかし、私は主の命令に逆らった。だが、すべての国々の民よ聞け。私の痛みを見よ。私の若い女たちも、若い男たちも、とりことなって行った。」
※ 是非、引き続きブログテーマ「哀歌」をお読みください。
※ 約5分の救いのためのメッセージ動画です。是非ご覧下さい。



